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2016/03/19
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テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

≪2015年12月2日の記事≫ 

 東京都に住む音楽教師でテノール歌手のYAさん(44)は、赴任先の中国・上海で体調の異変を感じ、帰国後の2009年8月初旬、血液のがん「多発性骨髄腫」と診断された。

 上海の日本人学校に3年間勤める予定だったが、1学期だけで休職することになった。

 3年の任期を終えたら、次は東京都の離島で3年教え、55歳ぐらいで退職したい。子どもは3人ぐらいほしい――。そんな計画を妻のMさん(35)と立てていた。

 「妻との約束を、守れなくなってしまった」。そう感じた。

 この病気は、抗体をつくる白血球ががん化する。がん細胞がつくる異常なたんぱく質が血液中に増え、貧血や免疫機能の低下などを招く。また、このがん細胞は骨を壊す指令を出すため、骨が弱くなり、折れやすくなる。一般に高齢者に多く、30代以下で発症するのは非常に珍しい。

 YAさんは診断された病院で、若く、体力があることから、抗がん剤でがん細胞を徹底的にたたく「大量化学療法」を勧められた。

 血液の元になる正常な「造血幹細胞」も壊れてしまうので、それを補う移植と組み合わせる。自分の造血幹細胞をあらかじめ取っておいて後で戻す「自家移植」という方法だ。

 治療を受ける病院は、移植の実績や車で通う便利さなどから、国立がん研究センター中央病院(東京都中央区)を選んだ。

 「がんの治療を受けると無精子症になることがあるから、精子を保存した方がいい」。看護師の知人から、そう勧められ、自分の精子を民間のクリニックに保存した。Mさんと話し合い、子どもをつくるのは移植後にすることに決めた。「移植で命を落とすこともありえる」と思ったからだ。

 8月下旬に入院。抗がん剤とステロイド剤を使う治療が、始まった。

 入院して間もなく、同室だった別ながんの患者が、終末期の緩和ケアを受けるため、退院していった。「自分もいつどうなるかわからない」。それまでは覚悟を決めてはいても、がんになったという事実がどこかひとごとのような感覚だった。初めて、現実味を帯びて感じられた。






 ネットで色々調べてみますと、多発性骨髄腫は、抗がん剤治癒はあまり期待できないものの、延命効果が期待できるがんとあります。大量化学療法とは、自家移植などの方法も合せることで、より大量の抗がん剤を与えることを可能とし、延命だけではなく治癒も狙うという治療方法と理解すればいいのでしょうか。この記事でも、ネットで私が調べた範囲でも、イマイチよくわかりませんでした。


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最終更新日  2018/05/21 07:49:43 AM
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