【
2016年4月7日(木)】
朝からかなりきつい雨が降り続いています。ルーティーンの一日でしたが、雨でご近所散歩はなしでした。
** 京都市内全寺社巡り 伏見区#24-5 **
「京都市全寺社巡り」2月24日(水)の歩き・伏見区24日目の5回目。
長尾天満宮、赤間薬師堂を訪れた後、再び醍醐寺境内に入ります。
●醍醐寺・理性院
理性院は、平安時代に賢覚(けんがく)によって開かれ、
三宝院、金剛王院、無量寿院、報恩院とならんで「醍醐五門跡」と呼ばれる門跡寺院の一つとされてきました。
門を入って千体地蔵までは拝観できますが、それ以上は立ち入り禁止で、外から写真を撮らせていただきました。
門
千体地蔵
境内
●朱雀天皇醍醐陵
醍醐寺の北門を出て少し行ったところにあります。
朱雀天皇は、醍醐天皇の第11皇子。延長八年(930)9月、醍醐天皇は皇太子・寛明親王に譲位して程なく、46歳で崩御する。天皇はわずか八歳で即位したため、藤原忠平(時平の弟)が摂政となる。即位後、醍醐上皇、宇多法皇が相次いで崩じて後ろ盾を亡くし、摂政となった藤原忠平が実権を握った。醍醐天皇の御代、清涼殿に菅原道真公の祟りと言われた落雷があり、比較的安定していた平安時代前期が終了する。醍醐天皇のあとを受けて朱雀天皇は即位したが、相次ぐ内乱や天災に悩まされた在位期間であった。醍醐天皇時代に完成した「延喜式」に続いて、朱雀天皇の承平4年(931)に「和多類聚抄」(和多抄)も完成を見ている。
●一音寺
浄土宗西山禅林寺派の寺院
●愛宕燈明
●醍醐天皇後山科陵
醍醐天皇は第60代天皇。在位897~930。宇多天皇の第1皇子。藤原時平・菅原道真を登用し、延喜元年(901)に菅原道真が藤原時平に讒(ざん)されてからは、時平を重用して親政を行い、後世「延喜の治」と称された。治世中に「三代実録」「古今集」「延喜格式」を編纂させた。
●弘法大師独鈷水
独鈷(どっこ)とは、密教の法具の一つです。弘法大師(空海高僧)が独鈷で地面をついたところ、水がわき出たという伝承をもつ井戸を示しています。
弘法大師にまつわるこういった伝説は、全国いたる所にあります。独鈷水だけでなく、弘法水、弘法清水、弘法井戸、大師の水などの名称で呼ばれて
います。北は青森県、南は鹿児島県まで1500以上も存在します。
道標も兼ねており、上醍醐、日野薬師(法界寺)、山科御坊(山科本願寺の跡地に建てられた東西両派の別院)が刻まれています。
●西方寺
浄土宗知恩院末寺。風情のある佇まいです。
●王将醍醐店で遅い昼食
この日は「揚げそば」 ボリューム満点
この後、山科川を渡り、以前も探して見つからなかった法琳寺跡碑、小栗栖瓦窯跡を再度探しましたが、また探し当てることができませんでした。
●山科川
のどかな流れです。
地下鉄醍醐駅から帰途に着きました。
この日に訪問した場所は下記にマークしました。
https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&authuser=0&mid=zyKUfjjbtmc8.k_fxVU6SM0nk
これで伏見区は踏破しました。それまでに回ってきた、上京・中京・下京・南各区に比べ、面積が格段に広いので、24日もかかってしまいました。
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