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ワルディーの京都案内

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2016/05/11
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テーマ:京都。(6065)

2016年4月15日(金)

 山科区の5日目の第4回
(最終回)です。


 牛尾観音の前の「桜の馬場」という広場に到着です。

 2013年の台風18号被害まではBBQスポットになっていたらしく、トイレもここにあったようですが、今はないようです。ここまで車で上がってこれます。


この写真の場所には「黒門」という門が建っていましたが、台風被害で無くなってしまいました。

P1060987(桜の馬場).jpg




急な階段を上っていきます。後で聞いたご住職さんの話ですと、ここはもともと石の階段だったのが、台風被害で壊れて最近ようやく、こうやって木で階段ができたそうです。

P1070009(階段).jpg




階段を喘ぎ喘ぎ上って、ようやく牛尾観音に到着しました。


正式名称は法厳寺ほうごんじ)。本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の単立寺院。

寺伝では、垂仁天皇(すいにんてんのう・第11代天皇)の時に大國ノ不遅(おおくにのふち・大国之淵)が山の上に音羽山権現社を祀ったのが始まりといいます。

その後、延鎮が夢のお告げによって、金色水の水源を尋ね歩いた際にこの地で、お告げをした本人である行叡に出会い、その後、延鎮は行叡が亡くなったこの地にお寺を創建しました。

それ以来各宗派の修行僧の道場として栄え、弘法大師空海も入山した事があるといわれています。

そして音羽山清水寺が建てられてからは「清水寺奥の院」として親しまれるようになりました。

戦国時代には豊臣秀吉(とよとみひでよし)が祈願成就の奉謝に、前田玄以(武将であり僧・五大老の下の五奉行の一人)に命じて本寺の再興をさせました。

また江戸時代には赤穂浪士の大石内蔵助良雄が毎夜毎夜、人目を避けて訪れ、祈願したんだそうです。

さらに幕末にも尊王攘夷派の志士達が談合の場として牛尾観音を使ったといわれています。

「京の通称寺」三十三番霊場でもあります。



年に何回か観音様のご開帳があるそうで、私が訪れた4月15日の翌々日がそのご開帳になっていて、若いご住職さんが忙しそうにされていました。


外で作業中で申し訳なかったのですが、ご朱印をいただきました。

4-牛尾観音(web).jpg




本堂
 本尊十一面千手千眼観世音菩薩が安置されています。
 天智天皇(第38代天皇)が自ら彫ったと伝わります。
P1060989(本堂).jpg




この本堂の後ろに、金生水があります。
前述のように、延鎮が夢のお告げによって金色水の水源を尋ね歩いた際に岩の間から見つけたものと云われています。
今これを書いているときに金生水があることを知りました。残念ながら当日は見逃していました。



釣鐘堂(空の道場)

P1060990(鐘楼).jpg

釣鐘堂の後ろにあるのが、護摩堂(火の道場)



大杉堂
 背後の大杉は「天狗杉」と呼ばれ、京都市の巨木・名木に指定されています。
 麓のほうには「天狗の爪研ぎ岩」もあるとのこと。
P1060992(大杉堂).jpg



下から見るとこんな感じです。竹に隠れて見にくいですが。

P1070008(大杉).jpg




藤原顕孝歌碑
 「牛の尾や 春はのるまにかつ消えて まだらに萌ゆる 峯の白雪」
P1060994(歌碑).jpg



西国三十三ヶ所観音霊場、四国八十八ヵ所霊場の御砂踏み場

P1060996(霊場).jpg




滝行の「五智瀧」へ続く踏み石
P1070002(滝道).jpg




「五智瀧」(水の道場)
  滝行をするとき、右上の石の懸け樋から水が流されます。
  高さは「役ノ行者」の教えである18尺。
P1070001(不動).jpg



天龍王神(風の道場)

P1070003(天竜).jpg





P1060993(桜).jpg






桜とアカシアでしょうか、コントラストが美しい。

P1060997(桜).jpg



牛尾観音をあとに、山を下ります。



再び「夫婦の滝」
P1070010(夫婦滝).jpg



往きには気付かなかった「しずく谷不動尊」
P1070011(しずく谷).jpg



くるっと丸まった木
P1070015(木).jpg



麓まで下りると、紀貫之・熊谷直好歌碑がありました。
 「秋風の吹きにし日より音羽山峰のこずえも色づきにけり」
 「音羽山峰の松風うちしぐれ冬にはなりぬ山科の里」
P1070016(歌碑).jpg



大塚天神社

P1070023(鳥居).jpg

P1070021(神社).jpg



「帰って来た石」
  神社の中には2015年に発掘された伏見・指月城跡とされる石垣から移設された石が
  置かれています。
  この神社の背後の「行者ヶ森」山一帯が山科石切場の中心地だったのでこう呼ばれています。
P1070022(石).jpg



妙見寺(日蓮宗)

 ちょうど御開帳法要が終わったところでした。
P1070028(妙顕寺).jpg

P1070027(寺).jpg

P1070025(寺).jpg



妙見寺前の鳥居
P1070029(社).jpg



「旧東海道線(引上げ線)トンネル跡」

  この妙見寺前の鳥居の背後にあります。
  1921(大正10)年に現在のJR東海道線が完成するまで、かつての東海道線は現在の名
  神高速道路の辺りを通っていました。旧山科駅(現在の小野小学校北側付近)から
  旧大谷駅(現在の京阪大谷駅付近)にかけて、上り(東京)方向に向かって急な上り勾配
  が続いていました。そして、大塚地域には「大塚信号所」が設置され、スイッチバック式
  の引上げ線が設けられていました。
  この煉瓦づくりの壁面は引上げ線の線路下にあったトンネルの入口跡と伝えられています。
P1070030(トンネル跡).jpg




宝迎寺(浄土宗)

 井原西鶴『好色五人女』の主人公「おさん・茂兵衛(もへえ)」の墓があることで
 知られています。
P1070031(宝迎寺).jpg



皇塚
 もともとこの地には,直径20mほどの円墳があり,大塚・王塚・皇塚などと呼ばれていました。
 6世紀前半ごろのものと推定され,山科区内最古の古墳と考えられるが,原型は留めていません。
 その名称から,桓武天皇の墓所という伝承もあり,大塚という地名の由来となったと言われます。
 現在,この地は岩屋神社の御旅所となっています。
P1070034(皇塚).jpg



道標
[南西]みぎうじみち
[北西]ひだりおゝつみち
P1070036(道標).jpg



今日も王将京都東インター店で昼食。
 遅い時間で、夕食まで時間が短いので、焼きそばだけにしました。あっ、ビールもいただきましたが。
 でも例によってボリュームがあるので、結構お腹いっぱいになりました。
P1070037(王将).jpg



地下鉄東野駅から帰途につきました。



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山科区#5の行程と歩いたルート
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605010011/

訪問先プロット
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zyKUfjjbtmc8.k9FIwpANuH-Q&usp=sharing


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最終更新日  2019/08/26 10:48:24 AM
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Re:【京都市全寺社巡り】山科区#5-4(牛尾観音など)(05/11)   ケイサン9574 さん
 妙見寺前の道路は、車がすれ違えない程の、細い道ではなかったですか。 (2016/05/11 08:00:07 PM)

Re[1]:【京都市全寺社巡り】山科区#5-4(牛尾観音など)(05/11)   ワルディー・ヨーリョ さん
ケイサン9574さん
> 妙見寺前の道路は、車がすれ違えない程の、細い道ではなかったですか。
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よくご存知ですね。その通りです。ここにも書いた、鉄道遺跡の煉瓦は、事前情報にはなく、偶然見つけました。面白です。 (2016/05/11 09:11:06 PM)

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