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2016/05/13
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カテゴリ:京都のニュース
2016年5月12日  京都新聞ホームページから

 織田信長足利義昭のために造営した旧二条城跡(京都市上京区)の発掘調査で、築城後に新たに設けた堀の跡が見つかり、最終的に三重の堀だったことが分かった、と「古代文化調査会」(神戸市)が12日に発表した。義昭が信長へ対抗するために増築した堀とみられ、当時の緊迫した状況と室町幕府最後の15代将軍義昭の意地と誇りを感じさせる。

 調査地は室町通丸太町上ルで、旧二条城の造営前は13代将軍義輝の城「武衛陣第(ぶえいじんだい)」があった場所。義輝が三好三人衆らの襲撃で殺された城の跡を利用して、義昭を奉じて入洛した信長が1569年に旧二条城を築いた。

 見つかった堀跡は、すでに確認済みの外堀跡と内堀跡の間に2段に掘られていた。幅7メートル、最も深い場所は3・4メートルあり、堀の北側には防御用の柵を設けたとみられる穴列があった。

 将軍義昭は信長に利用されるのを嫌い、武田氏などの武将に協力を呼びかけて次第に対立を色濃くしていく。宣教師ルイス・フロイスの記録によると、1573年に信長を恐れた義昭が新たな堀を作り、兵を集めたと記される。城の堀が三重だった記述もあり、今回の調査結果と合致した。

 さらに、調査地北側では義輝の城の堀跡も初めて見つかった。義輝時代の状況は不明だったため、旧二条城への変遷を知る貴重な史料となりうる。同会は「義昭は武田信玄の上洛を期待していたのだろうが、その可能性もなくなり、籠城して必死で守りを固めようとしたのだろう」とみる。

 14~16日の午前10時~午後3時に見学会がある。当日のみ同会携帯電話090(3267)5730。




旧二条城跡で見つかった増築されたとみられる堀の跡(京都市上京区室町通丸太町上ル)=左=
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最終更新日  2019/03/26 08:51:20 AM
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