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ワルディーの京都案内

2016/05/30
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テーマ:京都。(5814)
2016年5月7日(土)

 「京都市内全寺社巡り」の山科区8日目の第2回です。

 
◆この日全体の行程、ルート地図と第1回
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201605290006/


◆この日の訪問スポットのプロット
https://drive.google.com/open?id=1SGrnwgoP7rixTRJqtGOjDEo2oaE&usp=sharing


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 それでは山科区第8日の第2回です。


 物騒な張り紙と「ストライキ決行中」の横断幕に驚いた後、少し西に向かいます。


●専正寺(浄土真宗本願寺派)
一般住宅風の寺院です。山科ではこのような一見して寺院と分からないような寺院が多いような気がします。
P1070413.JPG



南に向かいます。

●増福寺(浄土宗)
P1070415.JPG



●王将フードサービス本社
 以前社長の銃撃事件のあったところです。「王将、負けずにガンバレ」の雰囲気がありましたが、最近では黒い噂が話題になり、イメージダウンです。
 
 東証一部上場 売上高 753億17百万円(平成28年3月31日現在)
 従業員 2,000名(平成28年3月31日現在)
 店舗数 直営店:473店舗 FC店:233店舗 合計706店舗(平成28年3月31日現在)

 昭和44年頃、兄弟喧嘩のような形で『大阪王将』が分派として飛び出したそうです。

P1070417.JPG

P1070416.JPG


●来来亭  
 昼食はこの日はその王将ではなく、来来亭山科新十条店。味噌ラーメン、餃子、生中をいただきました。
P1070418.JPG


 元気を出して、もう一度歩き始めます。

 岩屋寺へ向かう途中に多くの道標があります。いかに大石内蔵助が人気だったかということを示していると思います。(碑文は京都市歴史資料館フィールドミュージアムにサイトの「いしぶみデータベースを参考にさせていただいています。)


●義士大石良雄寓居地【道標】
 左 大石やしき(埋没)【道標】
(この2つは「いしぶみデータベース」にないようです)
P1070420.JPG


大きい方の碑の裏には多くの字が彫ってあります。
P1070421.JPG



●岩屋寺【道標】
 [東]本尊大聖不動明王岩屋寺
 [北]右 上 大石旧地義士四十七人
 [西]天保十四年癸卯九月
 [南]施主 銭屋八良兵衛

P1070423.JPG



●山科の棲家(すみか)岩屋寺【道標】
 [東]右奥深き山科の棲家岩屋【以下埋没】
 [南]当寺実物義士木像拝観
 [西]明治四十一年十二月一日泉妙場

●大石大夫閑居址
 [東](巴紋)大石大夫閑居址
 [西]昭和十三年戊寅歳五月
  神遊山金地院巌谷寺前住八十三居西川堅明識
 [南]
  十二代天神治三郎 深見源次郎 西村喜三郎
  大    和田卯三郎 布井公弥 井上丑松
     熊野惣平 日野ツキ 山口徳次郎
  阪    前田興兵衛 北村マス
     西田条次郎 杣田ミツ    発   布井鹿之助
       宇野徳蔵 斎藤トモ      起   前田儀兵衛
      仝 キヌ 取次丹羽勝造   人   仝 イマ

P1070424.JPG

P1070425.JPG

P1070426.JPG



●大石良雄閑居址・岩屋寺【道標】(岩屋寺内)
P1070427.JPG


●岩屋寺(曹洞宗)

 忠臣蔵でよく知られた大石内蔵助が隠棲して討ち入りの策を練った由緒のある寺です。創建時は比叡山三千坊の一つで天台宗に属していましたが、今は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で神遊山金地院と号しています。南隣の山科神社の神宮寺だったこともあるようですが、赤穂義士・大石良雄が隠れ棲んだことでよく知られ大石寺とも呼ばれています。智証(ちしょう)大師の作とされる本尊大聖(だいしょう)不動明王が本堂に安置されており、近畿三十六不動尊第二十四番霊場として信仰を集めています。この不動明王は大石良雄の念持仏でもありました。寺域には大石良雄の遺髪塚と邸宅址があります。大石良雄は討ち入りが成功した後に邸宅、田畑等のすべてを岩屋寺に寄進しました。境内には本堂と明治年代に建立された木像堂があり、大石良雄の遺品や浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)の位牌、四十七士の位牌、遺品等が安置されています。毎年12月14日には「山科義士まつり」の行列が行われ、討ち入りの当時が再現されます。

大石良雄君隠棲旧址碑
 [南東] 明治三十四年仲秋
     大石良雄君隠棲旧址
  正三位勲二等男爵北垣国道題

 播磨赤穂藩主浅野家の家老大石良雄(1659~1703)は,江戸城内での刃傷沙汰で領地召し上げとなったため,縁戚で浅野家に仕える進藤源四郎の縁故により,進藤の出身地である山科に居を構えた。ここから伏見撞木町に通って吉良邸討ち入りの機を見計らっていた。この石標は,その隠棲の跡を示すものである。

 京都府第3代知事北垣国道の書です。

P1070428.JPG



大石内蔵助遺髪塚
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忠誠堂(納骨堂)
 大石内蔵助の座像とともに永代供養されています。

P1070429.JPG



岩屋寺への階段

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大石稲荷大神
 階段の横にあります。

P1070441.JPG



本堂

P1070434.JPG



ご朱印
 いただくときに、他に訪れる人もいず、庵主さんと少しくお話させていただきました。主に世間の風潮の話をさせていただきましたが、「義士祭のときは賑わいますが、それ以外は暇で暇で。観光ガイドをなさるのなら、是非宣伝してくださいな。」などともおしゃってました。心やすまるひと時でした。

8-岩屋寺(web).jpg



可笑庵
 大石内蔵助ゆかりの茶室

P1070436.JPG



可笑庵と大石内蔵助手植えの梅
 左に小さく写っているのが、庵主さん。庭仕事の手を休めていただいて、ご朱印をいただきました。

P1070437.JPG



梅の木の下にシランの花
 庵主さんが、開花時期の長い花だとおしゃってました。

P1070438.JPG



大石辧財天

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かわいいお地蔵様

P1070435.JPG



お隣に山科神社があります。急な階段を上っていきます。

●山科神社
 社伝によれば、宇多天皇の勅命により創建されたと伝え、以後、この地の豪族宮道氏の祖神として、また山科一ノ宮とも呼ばれてこの地の産土神として人々の崇敬を受けて栄えてきた。
 盛時には、社領を丹波、山城に持ち、社殿の規模も大きかったが、度々の兵火のため焼失し、現在は、三間社流造の本殿及び権殿、拝殿、神庫などが残っている。
 また、元禄14、5年(1701~2)赤穂浪士の大石良雄が山科の里に接棲していたが、その時、当社奥の院岩屋神社に参篭して、大願成就を祈ったといわれている。(社前の説明板から)

P1070442.JPG

P1070444.JPG

P1070446.JPG


(続きます)

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最終更新日  2019/08/26 10:31:42 AM
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