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ワルディーの京都案内

2016/06/20
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テーマ:京都。(5814)
 「京都市内全寺社巡り」2016年6月15日(土)山科区第11日・第3回(最終回)です。



◆この日の行程、ルート地図、歩行データを示します。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606150003/ 

◆この日の訪問スポットのプロット

https://drive.google.com/open?id=1wqRukJgmJMZ1ZA79woke1ox4UUs&usp=sharing

◆第1回の投稿
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606180002/

◆第2回の投稿

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201606190004/

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それでは山科区第11日の第3回(最終回)です。

毘沙門堂の前の道を北西に進み、双林院の前も通り過ぎて、さらに北西に向かいます。


●春秋山荘

 茅葺の山荘風の建物があります。「春秋山荘」ですが、どうも閉店したようです。

P1080080.JPG

 帰ってきてからネットで調べてみたら、2014年ごろ閉店したようです。本店は祇園の料亭高月(最近、岡崎に移転したようです)。蕎麦が美味しく、懐石料理も楽しめたようです。閉店を残念がる書き込みが多くありました。古民家の維持がとても大変だったのが理由とのこと。特に茅葺屋根の維持が難題だったらしく、ある時、お客さんがいるときに屋根の一部が崩落して、これは危険だということになり、閉店を余儀なくされたのだとか。


その少し先に道が2つに分かれるところに石柱があります。


●後山階陵(ごさんかいりょう)遺跡碑

 [北]後山階陵遺跡
 [南]この付近 たたら遺跡(古代製鉄跡)
 [西]昭和六十年一月 京都洛東ライオンズクラブ建之

日本古来の方法による製鉄をたたら製鉄という。この遺跡は,比良山系から湖西・湖南地域に分布する製鉄遺跡の一つ,如意ヶ岳南麓遺跡群に含まれる後山階陵遺跡である。これらの地域の製鉄は6・7世紀を最盛期とし,鉄鉱石を原料としていたと考えられている。この石標はたたら製鉄の遺跡を示すものである。なお,後山階陵とは安祥寺寺域内の安祥寺川上流西岸に東面して築かれた円墳で,左大臣藤原冬嗣(775~826)の娘順子(809~71)の墓である。
(「京都フィールドミュージアム」の「いしぶみデータベース」から)

P1080073.JPG


右側の道を行くと後山階陵があります。ずっと行くと、大文字山に至るようです。
左側に行くと、南禅寺・日向大神宮・蹴上などに至るようです。



すぐそばに道標があります。

●後山階陵参道【道標】

 [東南]→後山階陵参道
 [西北]大阪皇陵巡拝会

P1080074.JPG



まず右側の道を歩き、すぐのところのに後山階陵があります。

●後山階陵
  仁明天皇の女御藤原順子(ふじわらののぶこ)の御墓です。宮内庁の管理になっています。
  藤原順子は藤原冬嗣の長女、道康親王(のちの文徳天皇)の生母です。

P1080075.JPG

P1080076.JPG



さきほどの分かれ道のところまで戻り、今度は左側の道を行きます。

次第に山に分け入るという雰囲気になってきます。

途中に何かオブジェやワインの空き瓶を並べた建物がありました。アーティストのアトリエでしょうか。

P1080079.JPG

P1080078.JPG



●安祥寺上寺(かみでら)跡碑
 安祥寺は仁明天皇女御藤原順子(809~71)の発願により嘉祥・仁寿年間(848~53)頃に建立された寺で,唯摩会など国家的仏事が行われた。開基は入唐僧恵運(798~869)。斉衡8(856)年,寺の北方50町がさらに施入され伽藍が建立された。この山上に位置する伽藍を上寺と呼ぶ。のち勧修寺や高野山の支配が強まり,上寺は南北朝の兵火で焼失し,五大堂本尊などは東寺観智院に移された。
(「京都フィールドミュージアム」の「いしぶみデータベース」から)

 [南]安祥寺上寺跡
 [東]北へ七〇〇米丘陵の頂部
 [西]昭和六十年一月 京都洛東ライオンズクラブ建之

P1080077.JPG


道標によると、まだ700メートル山を登らなければならないようです。ちょっときついし、雨が降りそうなので、止めました。




今来た道を戻り、双林院に入ります。

●双林院(山科聖天)
 毘沙門堂門跡塔頭の一院です。毘沙門堂は、寛文五年(1665)後陽成天皇の勅により徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ、天海大僧正公海大僧正に至って現地に再興されましたが、双林院も同年に建立されました。当初、本尊には湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来(藤原時代作「光坊の弥陀」と称す)を安置しますが、のち明治元年に聖天堂を建立し、門主の公遵法親王ご念持仏「大聖歓喜天」を賜り本尊としました。
 そのほか武田信玄、源勝政や多くの信徒や寺院から奉納された聖天像を七十数体合祀し、願いのかなう霊験あらたかな「山科の聖天さん」として広く信仰されています。


お寺のはずですが、なぜか鳥居が迎えてくれます。
P1080081.JPG



・聖天堂

  大聖歓喜天は、修行をした聖天行者しか拝むことのできない秘仏(非公開)です。
P1080096.JPG



・不動堂
 堂内で護摩が焚ける特殊な構造をしています。比叡山の千日回峰行者であった第二十四代住職が明治十六年に比叡山無動寺より勧請された不動明王を安置します。
P1080090.JPG

P1080089.JPG



・山科聖天不動の滝

P1080091.JPG

P1080092.JPG



・不動の滝の石不動明王
P1080094.JPG



滝のそばに、普段見かけない花が咲いていました。
P1080093.JPG



・ご朱印
17-山科聖天(web).jpg


ご朱印をいただくときに、輪王寺宮墓地の場所を尋ねてみました。

そのお寺の裏の建物の中に一旦入って、出たところの階段を上がっていったところに輪王寺宮墓地がありました。


●輪王寺宮墓地
宮内庁管理のなかなか立派な墓地です。双林寺の敷地ではなく、毘沙門堂の敷地のようです。

P1080082.JPG

P1080083.JPG



後西天皇の第6皇子・公澄親王、公弁法親王、第8皇女喜久宮、第1皇女誠宮 及び中御門天皇第2皇子公遵親王、東山天皇皇曾孫公延親王がここ輪王寺宮墓地に眠っています。

門は閉まっていますが、横に回り込むと墓地の全貌が分かります。

此処には歴代の毘沙門堂門跡が眠って居られて、宮内庁治定外を含めれば全13基が並ぶ壮観さです。
制札には「後西天皇皇子、公弁親王墓以下六墓五塔」と書かれています。

P1080084.JPG

P1080085.JPG


 毘沙門堂(前身は出雲寺)は鎌倉以来の荒廃が続きましたが、江戸時代初期に活躍した天台宗の僧である天海が再建。その弟子の公海僧正へと引き継がれ制札にある後西天皇皇子・公弁法親王を迎えて以来の門跡寺院の格式を誇ります。




 双林院をあとにして、毘沙門堂へ向かおうとしたところで雨が降り出しました。結構強い雨足なので、傘を差して山科駅に急ぎ、帰宅しました。

 この日で、山科区を完了したかったのですが、出だしが遅れたのと、予定になかった琵琶湖疏水第1トンネルまで行ったのと、雨で早めに切り上げたことなどで、完了はできませんでした。次回は確実に完了可能だと思います。

 これで山科区第11日目を終わります。


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最終更新日  2019/08/26 10:36:11 AM
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