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ワルディーの京都案内

2016/07/31
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テーマ:京都。(5814)
 「京都市内全寺社巡り」2016年7月27日(水)山科区第13日の第1回(2016/9/8加筆 赤字部分)


◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201607270003/


◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。
https://drive.google.com/open?id=1MoOqYBgZk5sF5srdqHZ1RpL0zKM&usp=sharing


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それでは第1回です。

午前9時半に自宅を出て、地下鉄五条駅までバスで行き、そこから地下鉄で御陵駅へ。

地下鉄御陵駅から、午前10時40分スタートです。

駅を出て、三条通に沿って東に向かいます。三条通りの北側に3つの碑があります。



●粟田口名号碑

 木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんしょうあしょうにん)は、江戸時代中期の木食上人の一人。木食とは、草根木皮の生食のみで生きる、難行中の難行を云います。
 
 当時の京都には、十一か所の無常所があり、いずれも刑場に近いので、僧属一般に敬遠されがちでした。しかし、上人は敢えて寒夜を選んで念仏回向にまわり、享保2年(1717)7月、永代供養のため、各所に名号碑を建立しました。なかでも、粟田口は京都最大の刑場なので、一尺三寸(約4メートル)の特大にしたとのことです。

 もと九条山周辺にありましたが、明治の廃仏思想の折、人為的に切断されて道路の溝蓋などに流用されてしまいました。そのときの痛ましい傷痕が、今も判然と残っています。1933(昭和8)年に国道改修工事が行われた際、上半部分が出土し、道路改修で動かされて、現在地に復元されました。

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●日ノ岡宝塔


 上記にも出てくる粟田口の刑場では一万五千人以上の罪人が処刑されたといわれています。処刑された罪人たちのために、各仏教諸宗によって1,000人に1基ずつ15基の供養塔が建てられたと伝えられています。

 しかし、これらの供養塔は、明治時代になって粟田口刑場が廃止された後、仏教寺院の既得権益を取り上げるなどを行った廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、破壊されてしまいました。

 廃仏毀釈から約70年ほどが経過した昭和14年(1939年)。法華倶楽部創設者の小島愛之助によって、処刑者の霊の冥福を祈るために供養塔が建てられました。

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●京津国道改良工事竣工紀念碑

 京都市の蹴上と大津市の札の辻を結ぶ京津国道は,昭和6(1931)年から昭和8年にかけて,内務省大阪土木出張所京津国道改良事務所により拡幅舗装が施工されました。この碑は工事竣工を記念して建てられたもので,3段の基壇には三条街道車石の廃材が使われているます。また碑本体には竪に溝が走っていて,車の通行で溝ができた橋材を再利用したものと考えられています。

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●車石広場

 江戸時代に京都周辺の街道に車石と呼ばれる敷石が整備されていました。米などを運ぶ牛車が通りやすいように道に敷いた石で、車輪が通る部分にあるすり減ったへこみが特徴です。東海道や竹田街道、鳥羽街道では今でも名残をみることができます。

 ここ日ノ岡峠の九条山付近にもその一つ、京都市が2004年に整備した車石広場があります。三条通をさきほど記念碑からさらに東進し、京都市中に向かって左側にあります。平成9年に地下鉄東西線の開業に伴って廃線となった京阪京津線の軌道敷を利用して作られました。牛車の実物大の見本や実際の車道を見学できますが、「実際の牛車とは形が違い、車輪の幅も狭い。車石の敷き方も資料と違うので間違った情報として認識される可能性がある」と指摘する向きもあるようです。

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●日ノ岡丸彫り地蔵


 この近辺には石仏が多く残っています。これはその一つです。

 三条通と東山ドライブウェイが交差する少し手前、京都市中に向かって右側にあります。

 花崗岩製の2m近い丸彫り地蔵。宝珠と錫杖を持ちます。風化があまり進んでいないので、比較的新しいのでしょう。やさしいお顔です。

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三条通を右入り、急な坂道を日向大神宮に向かいます。


●日向大神宮

 清和天皇の勅願4により、天照大神を粟田山に勧請したことに始まり、その後応仁の乱で焼亡しましたが、寛永年間(1624-44)に伊勢人野呂左衛門尉源宗光が再興したと伝えます。

 内宮・外宮は京都市の登録有形文化財で、市内では例の少ない神明造本殿として貴重です。御門と板垣で敷地を区画する社殿構成が古式を伝えています。「京のお伊勢さん」と親しまれています。

 神官にご朱印をいただくとき、外宮・内宮の造りの違いを教えていただきました。

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・外宮

屋根の千木(ちぎ)が外削ぎで、堅魚木(かつおぎ)が内宮より1本少ない7本。外削ぎは男性の神様を表します。

主神は天津彦火瓊々杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)

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・内宮

千木は内削ぎで、堅魚木は8本。内削ぎは女性の神様を表します。

主神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)

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・祭石 影向岩

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・天岩戸 戸隠神社


 昨今、注目のパワースポットになっているようです。

 この岩穴のトンネルは通り抜けられるようになっています。途中で直角に曲がり、その曲がるポイントには天手力男(あめのたじからおのみこと)を祀る戸隠神社があります。天手力男は、日本神話で天岩戸に隠れた天照大神を外に出すために重い天岩戸を手で開けたという力の強い神様として知られています。

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この前の道を東に向かうと、山道ですが、南禅寺や大文字山に繋がっています。



・カキツバタ

  境内の池に一輪だけひっそりと咲いていました。
 (花弁の根元の色からカキツバタと思いますが、葉の中央の葉脈がはっきとしているので、ハナショウブかもしれません)(2016/9/8加筆)
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・拝殿
 拝殿越しに外宮を眺めます。


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正面の鳥居の下に戻ると、伊勢神宮遙拝所の案内があったので、行ってみました。前に来たときは気が付きませんでした。急な坂道や階段を10分くらい登ります。


・伊勢神宮遙拝所

伊勢神宮の方向を向いていると思いますが、木が茂っていて見通しはよくありませんでした。

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もう一度鳥居の下に戻ると、もうひとつ遙拝所のようなものがありました。何も説明はなかったですが、遙拝所まで行くのが困難な人のための遙拝所かもしれません。

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参道を下っていきます。

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(続きます)

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最終更新日  2019/08/26 10:38:27 AM
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