テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌治療情報
読売新聞「一病息災」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。
2015年の大谷直子さん(取材当時64歳)の記事です。 私が抗がん剤治療後の次の治療で、粒子線治療で入院中の記事です。「がん」のことで色々当ブログを読むうち、標準医療を全面否定するような記事が、たくさん読まれていることに危機感を覚えていた時期でもありました。 私が粒子線治療のおかげで、がんを克服し、普通の生活に戻れるかもしれないという希望の光が見えた時期でもありました。そして、粒子線治療は「痛くも痒くもない」治療で、体力的にも精神的にも余裕がありましたので、私のできる範囲で、がん治療について参考になるような本の内容や、新聞記事の内容を紹介させていただこうと思い、2015年3月から毎日1記事ずつ投稿させていただいて、現在に至っています。 そのとき、この大谷直子さんの記事は、芸能人の闘病記としては、初めて紹介させていただいた記事です。当時は新聞を切り抜いて、スキャナーで読み取って投稿していました。第1回はありませんが、第2、3、4回がログに残っています。 第2回~http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201504090002/ 第3回~http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201504100007/ 第4回~http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201504160002/ どこかにリンクが貼られているのでしょうか、私の「よく読まれている記事」のリストによく登場します。毎日の投稿は大変ですが、投稿を続けるモチベーションの源泉の一つになっています。 ≪2015年3月26日の記事≫ [女優 大谷直子さん]悪性リンパ腫(1)57歳で「血液のがん」に 19歳でNHK連続テレビ小説の主役を務め、人気スターになった。女優業と、3人の子育てに懸命の日々が続いた。 57歳で血液のがん「悪性リンパ腫」となり、「余命3か月」と子どもたちには伝えられた。抗がん剤などでの闘病から4年後、女優に復帰できた。 東京・北千住の下町に育った。快活な少女だった。「芸能界とは無縁で、大きくなったらBG(ビジネスガール)になるんだと思ってました」 高校1年生の時、岡本喜八監督が、戦争を題材とした自作品「肉弾」で、お下げ髪、もんぺ姿が似合う少女役を募集していた。知り合いが内緒で、大谷さんの写真を送った。知らないうちに、応募者約300人の中から選ばれてしまった。 「演技も何もわからず、この映画だけのつもりで出演したんです」。この映画がNHKのドラマ制作者の目に留まった。 1969年(昭和44年)から1年間放送された「信子とおばあちゃん」の主役に抜てきされた。同じ年頃の九州生まれの信子役。平均視聴率37・8%、最高視聴率は46・8%。大人気となった。 収録は高校3年の時から始まった。10代のヒロインとして、突然、全国で知られるようになった。 「でも、どこに行ってもじろじろ見られるので、好きな所にも行けません。とても不自由で、いやでした」 私も「余命数ヵ月」と言われました。しかし、こうして大谷直子さん同様、生きています。しかも、普通に生活できています。 寿命の伸びや、生活習慣の変化で、より多くの人が「がん」に罹る時代ですが、より多くの人が、医療技術の発達で、助かるようになった時代でもあります。 にほんブログ村 ___________________________________________________________________ 【関連カテゴリー記事一覧】 ◆がん治療情報 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=16 ◆がん治療日記 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10 ◆がん治療振り返り http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019/04/20 08:20:07 AM
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