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ワルディーの京都案内

2016/08/11
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テーマ:京都。(5819)
「京都市内全寺社巡り」2016年8月11日(水)東山区第1日の第1回です。


◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608100007/


◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。

https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing


===============================

それでは第1回です。

自宅を、午前10時過ぎのバスで出て、五条駅で地下鉄に乗り換え。渋滞がひどく、ここまでで1時間もかかってしまいました。蹴上駅を11:30出発。

山科区は一応終えましたが、最終日に見つけられなかった石碑や、帰ってからネットで見つけたスポットがあったので、それも含めて回りました。


まず、三条通を山科側に歩いて、山科区に入り、日向神宮方向に坂を上がります。


●旧九条山浄水場(山科区)

 山科区の最終日でも、横を通っていますが、特に気をとめず通過していました。帰ってからネットで、色々調べると、ここはかつて大日山貯水池(御所へ水を供給するための高度貯水池)だったところでした。戦後、進駐軍の指示で大日山貯水池を「九条山浄水場」として改造したものですが、昭和62年に浄水場としての操業を停止しています。

P1080577.JPG


 これが御所水道に水を送っていた貯水池ではないかと思います。

P1080576.JPG



●玉姫大明神(山科区)

丘の上の住宅地にあります。

P1080578.JPG



●全和鳳美術館(廃墟)(山科区)

 山科区の最終日で発見し、すでに投稿済みですが、この日は入口も撮影してきました。

P1080582.JPG

P1080579.JPG


 荒れ果てていますが、入口のお花は誰かが世話しているのか、きれいに咲いていました。

P1080581.JPG



 三条通の東側歩道を、さらに山科の方向に歩きます。

●「X王護国X」と掘られた石(山科区)

 擁壁に、何故かこんな石が・・・
 
P1080584.JPG


 この付近に粟田口刑場が江戸時代より前からあり、約15000人ほどが処刑されたと推測されています。そして刑死者の供養として、京都の各宗派寺院が1000人ごとに供養碑を建てたといいます。その数は幕末までに15基に及びました。しかしこれらの供養塔は明治の廃仏毀釈によって撤去され、石材として転用されてしまってほとんどが失われてしまいました。一部はこのように最終的には擁壁に使われたのでしょう。



●車石(山科区)

 擁壁に、車石が使われており、車輪によって削られた石もちらほら見えます。

P1080585.JPG



●車石 旧舗跡(山科区)

 車石の轍(わだち)の部分を擁壁に使って碑が作られています。

P1080586.JPG



三条通の西側歩道を岡崎方向に戻ります。

P1080587.JPG



●粟田刑場跡(山科区)

「萬霊供養塔」「南無阿弥陀仏」と刻まれた2つの石碑が建っています。粟田口の刑場は明治維新後に廃され、明治5年(1872年)に舎密局の申請で京都府によって同地に粟田口解剖場が置かれました。しかしその年には解剖場は病院に移転となり、この土地は忌み地として残されました。2つの石碑は、この解剖場時代の供養塔です。

山科区最終回では、草が茫々で、とても近付けるような感じではなかったのですが、草がきれいに刈られていて、間近で観ることができました。

P1080583.JPG

P1080588.JPG

P1080593.JPG



こちらの供養碑は大正元年、ここに鉄道を敷いた、京津電気軌道会社によって建てられたもののようです。

P1080594.JPG

P1080595.JPG




●日岡峠修路碑(山科区)

 京都から山科へ通じる三条通(東海道)の日岡峠は急坂の難所として知られていました。江戸時代には、街道に車石という牛車用の軌道を作ったこともありました。慶応3(1867)年には三条通(東海道)自体が峠の前後で付け替えられ現在の経路になりましたが,さらに明治になり急坂自体をなだらかにする工事が京都府により実施されました。このことを記念して建てられた碑です。同時に三条大橋から滋賀県境までの三条通が整備されました。
 碑の南側面に記される本間英一郎はアメリカに留学したこともある土木技術者。のちに碓氷峠の鉄道敷設に尽力しました。

P1080596.JPG


[東]
修路碑【篆額】
京都三条橋以東抵近江国界道路険仄往
往称不易行而日岡嶺為最甚焉然以当両
京周道車馬旅客之行皆靡不由於此使憧
憧之人永苦往来豈忍乎哉因以明治八年
経始起工越二年而告テン(*)計為程一里十九
町五十一間有奇易険為夷易仄為平而嶺
之道高者又低一丈一尺四寸庶幾乎車馬
旅客皆可以免往来之苦也歟明治十年三
月京都府知事従五位槇村正直撰
太政大臣従一位三條實美篆額
京都府四等属中村勤謹書
[北]石工 白川村 内田徳左衛門
  土工 同 岡野傳三郎
[南]主任 京都府雇 本間英一郎
森寺廣三郎
 主事 京都府七等属角田利永
       十等属紀野信存


(*)はブログで扱えない文字のため、カナ書きとした。

●花屋道路碑

東山ドライブウェイを上がり、山科区最終回で見つけられなかった「花山道路碑」を探しました。ネットでより正確な位置が分かったためです。しかし、今回も見つけることができませんでした。

止むなく、東山ドライブウェイを下り、三条通を岡崎方向に向かいました。



●ウェスティン都ホテル

ウエスティン都ホテルには、美しい庭園があるので、見学しようと思い、寄りましたが、庭園を見つけることができませんでした。帰ってきてから、ネットでホテルに問い合わせたら、「ご宿泊の方でなくても見学はしていただけますので、フロントでその旨申し出てください。」とのことでした。今度近くに行ったら、お庭を見せていただこうと思います。



●佛光寺本廟

・門


P1080597.JPG



・本堂

P1080602.JPG



・御廟(おたまや)

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P1080600.JPG



・鐘楼と手水舎

P1080603.JPG



・焼香箱・バケツをお墓参り用にここで預かっているようです。

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P1080606.JPG



・「お茶所」を示す石。弘化3年と彫られています。

P1080605.JPG



・御廟の前に「三条小鍛冶宗近古跡」碑があります。

P1080599.JPG

[北]三条小鍛冶宗近之古跡 唱導者山本祐山
             粟田口町住人一統建
[南]大正六年三月


三条小鍛冶宗近(生没年未詳)は,平安中期の刀工粟田口宗近のこと。その住居は三条通北側の合槌稲荷附近にあったといいます。

三条小鍛冶宗近は名刀「小狐丸」や祇園祭長刀鉾の鉾頭の長刀で有名です。


P1080598.JPG



(続きます)

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最終更新日  2019/08/26 10:39:36 AM
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