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ワルディーの京都案内

2016/08/28
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テーマ:京都。(5814)
「京都市内全寺社巡り」2016年8月17日(水)東山区第2日の第1回です。


◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。

http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608170004/


◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。

https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing


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それでは第1回です。

自宅を出たのは午前10時半過ぎ。遅くなったので、バス+阪急+地下鉄を使い、地下鉄蹴上駅からスタート。

東山ドライブウェイを北側から上り、山科区で見つけられなかった「花山道路碑」発見に再挑戦(3回目)しましたが、結局発見できず。

そのまま将軍塚まで上り、将軍塚の門の手前を、京都一周トレイルの道を「粟田口・知恩院」の方向に入りました。東山区第1日では、逆側から上ってきました。


P1080682.JPG


東山一周トレイル道標
右の「東山山頂公園」の方から下りてきました。「粟田口」が東山区第1日で上ってきた方向です。今日は京都一周トレイルから外れ「知恩院」方向に下りていきます。
P1080681.JPG



「知恩院」方向に下りていくと、木の道標とともに、石の道標2つが見つかります。


手前の道標 将軍塚・円山公園【道標】
P1080675.JPG

建立者:中井慈眼(推定)
[南]右 将軍塚
[西]左 円山公園



奥の道標 山縣公紀念樹・菊渓・高台寺【道標】
P1080674.JPG


「菊渓」は「きくたに」と読み、高台寺の北の菊谷菊という菊が咲き誇っていた場所のようです。


「山縣公紀念樹」に方向に行くと、平らな少し広い土地に出ました。

木にこのように「高台寺山」というラミネートされたカードがぶらさげてありました。


P1080678.JPG


一つは「26 高台寺山198.6m 関西・東山三十六峰を歩く会 H22.9.4/9.9」
もう一つは「京都・東山三十六峰 第26峰 高台寺山 標高200m 兵庫・東山三十六峰を愛する会」2014.9.20と書いてあります。いずれも東山三十六峰を歩く団体の方が、山の場所を特定するために、ぶらさげられたのだと思います。

この場所はピークでも何でもなく、山の中腹の少し平らになったところです。そのような場所も、東山三十六峰の一つになっているということです。色んなネット情報を見ますと、東山三十六峰の中には、特定するのが非常にむつかしい山も多いようです。

それにしても、H22といえば、6年前。ラミネートされているとはいえ、風雨と高低温の中、あまり劣化もせずに、文字が読める状態というのは驚きです。

山縣有朋紀念樹を示すものは見つかりませんでした。


もと来た道を戻り、東山山頂公園を南下し、東山区第1日でも歩いた京都一周トレイルの道を下ります。

次は、伊藤博文の詩碑を目指します。場所の確信はなく、まず林道と交差したところで林道を西に向かってみました。この林道は、結構広い通りで、伊藤博文の詩碑が建てられたより新しい時代にできた道だと思われ、これは間違いかなと疑いつつでしたが。案の定、何も発見できず。林道と東山トレイルの交差点に戻りました。

さらに京都一周トレイルに沿って南下すると、少し広くなった場所に着きます。


P1080685.JPG


このような道標がありました。
左に行くと東山区第1日で歩いた京都一周トレイルですが、点線の方向に行くと、「清水寺」とともに、「木戸孝允の碑」とあります。

P1080684.JPG


「うん?木戸孝允?伊藤博文のはずだけど。」と思いながらも、この点線の方向に進むと、道標にもあった分かれ道に来ます。


清水寺・将軍塚・伊藤博文詩碑・高台寺【道標】

P1080686.JPG

建立者:中井慈眼(推定)
[南西]右 将軍塚 大日如来
   左 伊藤公詩碑
     高臺寺 木戸公墓所
[北西]右 清水寺 参町
[南東]左 清水寺 参町

ありました、ありました。「伊藤公詩碑」の方向に向かいます。「通り抜けできません」とありますが、無視して行ってみました。

しばらく行くと「通行止」の標識。

P1080687.JPG


それでも無視して進みます。誰も歩いていないので、山道はクモの巣だらけで、手に持った地図で前のクモの巣をかき分けながらの前進でした。途中からは、腰まで草が生えている中を歩かないといけませんでした。アドベンチャーです。

しばらく行き、ようやく伊藤博文の詩碑を発見。難道中でしたので、喜びもひとしおです。

伊藤春畝詩碑

P1080688.JPG

P1080689.JPG

(以下、「いしぶみデータベース」の説明)
 公爵伊藤博文(号春畝,1841~1909)自作の七言律詩を表に記し,裏面には建立の経緯を記す。伊藤と井上馨は明治42(1909)年に木戸孝允(1833~77)の三十三回忌列席のため来京。伊藤が木戸の墓所に詣でて作った七言律詩を中井慈眼に示したところ,中井が伊藤・井上の詩碑を東山に建立することを発意し建設された。井上馨の詩碑はこの碑の東方にあり姉妹碑とでもいうべきものである。
 中井慈眼(1851~1932)は中井三郎兵衛と称し,三条東洞院で紙商を営んだ人物。府会議員・市会議員をつとめ明治京都の実業界で重きをなした。かたわら京都を観光都市として発展させるために東山の開発に尽力した。中井は近くの将軍塚の大日堂を明治41年に建立し,この碑一帯の整備にも意を注いだ。


その詩碑の近くに、ラミネートされたカードがあり「27 霊山 176m 関西・東山三十六峰を歩く会 H22.9.4/9.9」と書いてありました。さきほどの「高台寺山」のカード一つと同じグループ、同じ日付けです。ここも特にピークになっているわけではなく、中腹で少しフラットになっているだけです。

P1080690.JPG


さらに山道を下りようとしますが、今度は、工事中に使う三角コーンが置いてあり、立ち入り禁止を示しています。無視して坂を下りていきます。

霊山護国神社の裏に出ました。鉄条網でその先に進めなくなっています。回りは崖になっていて、回りこんで進むこともできないようです。ところどころ鉄条網が切られていて、無理やり入ったあとも見えますが、身体が硬い私がトライすれば、きっと血だらけになってしまいます。

P1080691.JPG


あきらめて、今下りてきた山道を戻りかけました。そのとき、少し崖になっていますが、鉄条網のないところがあって、そこから下りることができそうです。気をつけて下りました。やれやれ。下りたところは墓地でした。霊山護国神社の墓地だと思ったのですが、墓地の中を進んでいくと、正法寺というお寺の墓地であることが分かりました。

からくりはこういうことだと思います。昔は、霊山護国神社の墓地(坂本龍馬や中岡慎太郎など、幕末の志士の墓が多く置かれている)は、無料で入れたのだと思います。そのころは、伊藤博文の詩碑にも、行くことができたのだと思います。ところが入場料をとるようになり、無料での入場を阻止するために、このようなバリケードを神社が設置したのでしょう。正法寺の墓地が隣接しているのですが、正法寺は拝観料をとっているわけではないので、鉄条網がないのでしょう。

いずれにしても、正法寺に助けられました。


この崖を下りました。

P1080692-.jpg


正法寺(しょうぼうじ)

時宗の寺院。山号は霊山(りょうぜん)または霊鷲山。この一帯を霊山とよぶのは当寺山号に由来しています。

この寺は、最澄の開山により創建された天台宗の寺院に始まると伝えられます。はじめは霊山寺と称し、光孝天皇・宇多天皇の勅願所となりました。鎌倉時代初期には法然がこの寺で別時念仏を修したといいます。その後荒廃していたが、1383年(永徳3年)に時宗の僧国阿が再興して正法寺と改め時宗の寺院となりました。室町幕府3代将軍足利義満の帰依を受け寺運は興隆しました。江戸時代には時宗十二派の「霊山派」の本寺とされ、江戸幕府から朱印状を与えられ、塔頭十余宇を有したが、明治以降衰退し、現在は本堂(釈迦堂)・庫裏などを残すのみとなりました。 また、当時正法寺で授けたお札は「柏のお札」といって柏の葉の形の中に「伊勢熊野参詣輩」「許永代汚穢」(永代の汚穢を許す)の文言が刷られていました。


本堂

P1080693.JPG


裏から不法侵入に近いかたちでお寺に入っているので、本堂にお参りしてから、山門に向かうということになりました。でも山門には内側からカンヌキがかけられていて閉まっています。内側からなので、カンヌキを外せば出られないことはないはずです。しかし、そうするとお寺の方に見つかったとき、どうやって入ったか詰問されることになります。困ったなぁと思ったところで、閃きました。お墓があるということは、お墓参りの人が入れる通路があるはずだ。山門を右に回り込んだところに道があり、山門の下に出ることができました。


山門

P1080694.JPG


正法寺の山門を少し下りたところに霊明神社という小さな社があります。


P1080696.JPG


創建者の村上都やす(くにやす)(「やす」は”りしんべん”に山+豆)は朝廷に仕えていた貴族で徳川政権下では仏式で葬祭を行なうと決められていたことに疑問をもちました。そこで文化6年(1809)、正法寺の塔頭が所有していた山林を買い受けてこの地を購入して神式の葬祭を始められたそうです。お墓がある神社として珍しい存在です。

文久2年(1862)京都で亡くなった長州藩の志士を葬ったことに始まり各藩の尊王攘夷派の志士を埋葬するようになります。久坂玄瑞が先祖の永代供養を申し入れたという記録もあるそうです。そして慶応3年(1867)龍馬と慎太郎が近江屋で刺客に襲われ亡くなると同志によって運ばれ神葬祭をおこなって埋葬したという記録が残っているそうです。


P1080697.JPG

P1080698.JPG



明治10年(1877)政府によって墓地と境内地の大半を召し上げられ政府が管理する招魂社(現在の京都霊山護国神社)に管理させます。したがって現在は龍馬を始め志士達のお墓は霊明神社にはないのですが神社の前の階段を西側へと降りていくと神道墓地として少しばかり残されています。


ご朱印
#05-霊明神社(web).jpg



急な階段を下りていきます。

P1080700.JPG



八坂の塔の眺めが見事です。

P1080701.JPG



前述の霊明神社の神道墓地

P1080705.JPG



(続きます)

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最終更新日  2019/08/26 10:41:15 AM
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