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ワルディーの京都案内

2016/09/12
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テーマ:京都。(5819)
「京都市内全寺社巡り」2016年9月10日(土)東山区第3日の第2回です。


◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201609100003/

◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記の東山区#3です。
https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing


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【東山区第3日 第2回】

 続きです。


京都駅⇒新熊野神社⇒夢の浮橋跡⇒浄心寺⇒伏水街道一之橋旧趾⇒宝樹寺

と歩いてきました。

宝樹寺の南に瀧尾神社があります。こじんまりとしたお社です。


瀧尾神社


 創建年代は不詳ですが、「源平盛衰記」にその名が見えます。天正14(1586)年10月に、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、現在地に遷座しました。本殿や拝殿に立派な彫刻があることで知られます。高名な京の彫刻家・代々当主が新之丞を名乗る九山新之丞氏の子息(九山新太郎)作の彫刻が社内には多数見られます。

 特に今年は祇園祭との関係で、この神社とその彫刻が脚光を浴びました。

 京都・祇園祭で後祭の山鉾巡行の最後尾を飾るのは、一昨年150年ぶりに復活した「大船(おおふね)鉾」。その船主には元々龍頭があり、その復刻が図られました。専門家の調査で、江戸後期に瀧尾神社の龍を彫った、九山新之丞・新太郎親子が彫った可能性が浮上。瀧尾神社が寄進をすることになりました。公募で選ばれた滋賀県米原市の彫刻師、森哲荘(てっそう)さん(69)が、瀧尾神社(京都市東山区)拝殿の天井につり下げられた全長8メートルの龍の彫刻を参考に彫りました。そして今年の巡行では、大船鉾の船首にこの「龍頭」が据えつけられました。


瀧尾神社 西側の鳥居 

 鳥居の向こうが拝殿

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瀧尾神社 南側の鳥居

 鳥居の向こうが拝殿

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瀧尾神社 本殿

 「北山貴船奧院御社」旧殿を移築改築したもので、京都市指定有形文化財に指定されています。

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 拝殿にはスリッパを履いて上がることができ、大船鉾の龍頭のモデルになった龍を間近で見ることができました。

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 神社の写真を撮っていると、ご近所の方が、この神社のことを色々説明してくださいました。

 大丸百貨店を創始した下村家が、この神社のパトロンとのことで、大きな絵馬にも大丸百貨店の古い建物が描かれていました。

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 現在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、下村家の手により、は江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて造立されたようです。

 それから、本殿の回廊には十二支の姿が彫られていることも教えてくださいました。

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 本殿横には幾つもの摂末社が並びます。大丸創始の下村家が勧請したと思われる「大丸繁栄稲荷」もあります。

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 その前には三嶋神社の祈願所があります。

 本宮は東大路通東入に鎮座されていますが、かつては三嶋神社の近くに瀧尾神社があったというご縁もあり、「瀧尾神社」の境内内にも三嶋神社の祈願所が設けられ、絵馬の奉納や祈願が行えるようになっています。

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 うなぎを眷属として祀る三嶋神社の信仰には水場が欠かせませんが、本宮の近くを流れていた音羽川が枯れ、近くに水場がなくなったことも祈願所の設置には影響しているそうです。

「うなぎ」を描いた絵馬

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 三嶋神社の由緒は、後白河天皇の中宮(皇后)平滋子建春門院様にあります。皇子のないことを嘆いた平滋子は、摂津(大阪府高槻市)の三嶋大明神に祈願したところ、夢の中に白衣の翁が現れてお告げを受け、間もなく後の高倉天皇をお産みになりました。喜んだ後白河天皇は、この地に邸宅・小松谷邸を持っていた平重盛(平清盛の嫡男)に命じて社殿を造営し、三嶋大明神を勧請したのがはじまりとされています。

 私は以前高槻市に住んでいたことがあります。そこの「三島」と関係があるというのは驚きです。

 現在も皇室とのつながりがあり、秋篠宮殿下が2度参拝されるなど皇室の子宝祈願にも一役買っています。

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 伏見街道を南下し、京阪・JR東福寺駅のすぐ横を通ります。

仲恭天皇九条陵・崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵参道【道標】

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[北]仲恭天皇九条陵
  崇徳天皇中宮皇嘉門院月輪南陵参道
  東福寺山門ヲ経テ 参道
[南]昭和四年十二月建之
   大阪皇陵巡拝会
[東](矢印)



稲荷・東寺【道標】

 伏見街道が九条通と交わったところを少し東に入ったところにあります。

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[南] 南 いなり【以下埋没】
[西] 西 東寺洛陽観【以下埋没】
[北] 北 大仏即成院【以下埋没】



伏見街道 第二橋 高欄親柱
 
 鴨川を渡る九条通の高架下にあります。

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万寿寺 東福寺塔頭

 かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えましたた。しかし、永享6年(1434年)の火災後、衰微し、天正年間(1573年-1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転しました。これは三聖寺の開山が万寿寺と同じ十地覚空と東山湛照であった縁によるものといいます。

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 三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持つ有力寺院であったが次第に衰微し、明治6年(1873年)に万寿寺に合併されました。明治19年(1886年)には万寿寺が東福寺の塔頭となり、21世紀に至っています。東福寺境内にある愛染堂と仁王門、万寿寺入口にある鐘楼(以上、各重要文化財)ももとは三聖寺の建物でした。昭和10年(1935年)には京都市電と東山通、九条通の開通により境内が分断され、万寿寺は東福寺の飛び地のような位置に置かれることになりました。非公開のため拝観はできません。


 九条通を横切り、東福寺の塔頭が多く集まる地域に入ります。


東福寺 仁王門
 
 塔頭万寿寺(三聖寺)にあったもの。三間一戸の八脚門で切妻造本瓦葺(重要文化財)。


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東福寺 北門


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北門から一旦東福寺エリアの外に出て、伏見街道を南下します。


法性寺(ほっしょうじ)

 浄土宗西山禅林寺派。本尊は千手観音菩薩。洛陽三十三所観音霊場第二十一番札所。

 息子を二十歳で亡くした後、家内と洛陽観音巡礼をしたとき以来ですから、5年ぶりでしょうか。

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 925年(延長3年)藤原忠平の創建と伝えられます。藤原氏の寺として栄え、大きなお寺でした。関白藤原忠通が、この寺に入り「法性寺殿」と呼ばれるなど、当時の隆盛は想像を超えるものがあります。現在の清水寺や大徳寺ぐらいの寺だったようです。が、その後衰退し、現在の寺院は明治維新以降、旧名を引き継いで再建されたもの。木造千手観音立像は国宝で、旧法性寺の潅頂堂の本尊と伝えられ、「厄除観音」として知られます。

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 また、現在、東福寺の塔頭・同聚院(どうじゅいん)に安置されている木造、不動明王坐像(重要文化財)は藤原道長が建立した五大堂の中尊と伝えられています。

再び北門から東福寺に入ります。


 東福寺塔頭 退耕庵


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 幕末の鳥羽・伏見の戦いの際、東福寺に長州藩の陣が置かれた縁で、退耕庵は鳥羽・伏見の戦いの戦死者の菩提寺となっています。

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退耕庵 地蔵堂

 玉章(たまずさ)地蔵と称される地蔵菩薩坐像のほか、小野小町100歳像などを安置します。玉章地蔵は京都市東山区の渋谷(しぶたに)越えにあった小町寺から明治7年(1874年)に移されたもので、小野小町宛ての恋文を納めると伝えます。

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 関ケ原の合戦のちょうど1年程前に、石田三成、宇喜多秀家と軍議を開いた茶室『作夢軒』があります。お庭もきれいですが、普段は拝観できません。特別拝観のときに、訪れたことがあります。


東福寺塔頭 盛光院

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東福寺塔頭 霊源院

 
 非公開のようですが、水子供養で訪れる方が多いようです。


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 庭手入れの方が来られていて、落ち葉を集める送風機がお地蔵さんの前に置かれています。何ともいえないコントラストです。

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東福寺塔頭 龍眠庵

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東福寺塔頭 海蔵院

 今は社会福祉法人洛東園となり、老人ホームを営んでいます。昭和27年(西暦1952年)に東福寺によって設立されたようですので、歴史の長い施設です。

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 一部お寺の雰囲気が残っています。

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南門から再度東福寺エリアの外に出て、伏見街道を南下します。


念仏寺 浄土宗 

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遣迎院 浄土宗西山禅林寺派

 1201年(正治3年)に九条道家の開基、証空(浄土宗西山派の派祖)の開山により釈迦と阿弥陀を本尊として現在地に創建されたのに始まります。1583年(天正13年)には寺の敷地が豊臣秀吉により大仏殿(後の方広寺)の敷地と定められたため移転を余儀なくされました。移転は大仏殿計画地が渋谷仏光寺境内に変更されたため中断されたが、一連の経緯の中で2寺に分かれることとなりました。その内の1寺はそのまま残され、浄土宗西山禅林寺派の寺としてここに現存しています。もう1寺は現在の北区鷹峯に移され、浄土真宗遣迎院派の遣迎院となっています。

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 西山国師(証空)終焉の地です。

遣迎院 西山国師御終焉地碑

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[西]鑑智
   西山国師御終焉之地
[北]泉州堺 神南辺隆光
[南]南遣迎院


 南遣迎院は2寺に分かれた南の方の寺という意。

 神南辺隆光は天保12(1841)年に没するまで諸国に道標や石標を建立したといいます。


田中神社

 伏見稲荷の境外摂社。社殿は正保2年(1645)だが、創建は一條天皇の御代(986-1011)といわれます。

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極楽寺 浄土宗禅林寺派

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伏見人形 丹嘉

 伏見人形は江戸時代後期に最盛期を迎えた最も古い郷土玩具です。全国で90種類以上もある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないと言われるほどの土人形の元祖であり、民俗的な美しさを誇っています。
     
 当時、伏見街道沿いには、約60軒もの窯元が軒を連ねましたが、現在では寛延年間(1750年頃)創業の当窯元、丹嘉のみ。

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長谷川工務店

 ゼネコンではありません。伏見稲荷に奉納する鳥居などを製作する会社です。千本鳥居の一番小さなもので、175,000円といわれています。
 
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 もう伏見稲荷に近い場所なのですが、この長谷川工務店のある地域だけ、東山区が半島のように突き出しています。


(続きます)

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最終更新日  2019/08/26 10:43:21 AM
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