テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:研修会
【2017年8月22日(火)】
次女は8月17日に東京から来ましたが、今朝、家内が最寄りの駅まで送って行って東京に戻りました。今日は東京に帰って仕事だとのこと。次は、里帰り出産で11月下旬ごろ来ることになると思います。 長女は出産10日目の検診でした。赤ちゃんの体重は順調に増えていて、母子ともに健康です。 私は、今日は色々と忙しかった一日でした。 1)9:30~11:30 研修会(後で説明)。 2)鴨川縁で三味線練習(こちら)。 3)昼食を兼ね、四条河原町近辺の修学旅行食事処を一軒見学(こちら)。 4)「歴彩館」で、伏見稲荷大社関連の図書を閲覧(こちら)。 5)17:00~三味線レッスン(こちら)。 ここでは(1)の研修について書きます。 「ここまでわかった幕末」シリーズとして、京都女子大非常勤講師の中村武生先生に3回お話をいただきます。今日はその1回目「薩長同盟」でした。 http://tempo.knt.co.jp/shop_search/1324/seminar/hakodate.html 要約です。 「薩長同盟」成立過程をについて、それを知り得る当事者による資料は2つしかない。いずれも木戸孝允の手によるもので、一つは晩年に記した回想。もう一つは、同盟の6ヵ条を記した、坂本龍馬宛書簡。これらの資料により、坂本龍馬が薩長同盟成立に大きく関わり、薩長同盟は「断乎幕府と決戦」を意識したものであると信じられている。 しかし、青山忠正氏は、木戸自自叙の内容に疑義を呈した。「薩長同盟」の主たる狙いは「決戦」ではなく、「戦争回避」であると。 また宮地正人氏は、「市岡家文書」から、一会桑(一橋・会津・桑名)勢力はおろか、幕府軍との抗戦や天皇奪取まで計画されていたとする。 三宅紹宣氏は、「同盟」の日の特定を試みた。1月18日、20日、21日、22日の4説あるが、詳細検討され、1月21日とした。 本年、町田明広氏は、「同盟」研究の常識をいくつも覆す説を唱えた。一例をあげると、「同盟」は坂本到来以前に決着していたというもの。すなわち、坂本は薩長同盟成立にそれほど寄与していないというもの。 「薩長同盟」という言葉は知っていても、内容は知りませんでした。今回の研修でかなり突っ込んで知ることができたし、まだまだ分からないところが多くあるということもよく分かりました。 熱く語っていただいた2時間。価値のある研修でした。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) ------------------------------------------------------------------- よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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