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ワルディーの京都案内

2019/03/19
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テーマ:京都。(5818)
カテゴリ:私的ガイド
【2019年3月19日(火)】

 ガイド会の研修後(こちら)、同期ガイド仲間に昼食を誘われましたが、お断りをして京都府庁方面に向かいました。

 今年のM社事業部門のOB会に参加したとき、アメリカ赴任時代に長期出張で支援に来ていただいたNGさん(イニシャルではNGですが、とても良い人です)と隣合わせになり、私が京都で観光ガイドをしていることをお話ししたら、会社のOB仲間で定期的に集まりを開いており、ガイド料を払うので、是非京都案内をして欲しいというお話しがありました。その後、参加の皆さんの賛同も得られたようで、ガイド1回目を4月3日に行うことになりました。会社の先輩方でもあり、初回はガイド料無しで、お気に召したら次回から有料でと提案し了解を得ました。

 初回は、私の知識が最も濃い、二条城を案内させていただくことにしました。桜のシーズンですから、ちょうどいいでしょう。全体で4時間か5時間くらいを想定して、あと桜のきれいなところとして、京都府庁や京都御所を廻ろう考えました。京都御所も何度かガイドしたことがあるので下見は不要です。一方、京都府庁は中も一度見学したことがありますが、だいぶ前ですので、今日は、津軽三味線のレッスンまでの時間を利用して、京都府庁とその周辺を下見のため歩きました。


京都府庁旧本館



 まずお昼どきでしたので、腹ごしらえ。ガイド当日も、二条城見学が終わったタイミングで昼食時間になります。皆さんどんな好みか分かりませんが、話しのネタに京都府庁の職員食堂もいいのかなと思い、行ってみました。事前にネットで調べて一般の人も利用できることは確認してありました。ここは修学旅行の昼食処としても使えそうなので、そちらのカテゴリーに投稿します。→こちら

 昼食を済ませ、旧本館を裏側からアプローチしました。


旧本館(パンフレットから)




京都府庁旧本館の設計は松室重光。京都市出身で東京帝国大学卒業の建築家。竣工年は1904年(明治37年)です。国の重要文化財に指定されています。

 旧議場が公開されていました。係員の方が常駐しており、案内もお願いすればしていただけるようです。


旧議場(パンフレットから)




 続いて本館正面の2階へ。旧知事室横の部屋に入って、係の方に伺いました。旧知事室の案内がしていただけるとのこと。正庁は今日は撮影が入っているので入れませんでしたが、当日は自由に見学できるとのことです。


旧知事室(パンフレットから)




正庁(パンフレットから)





 門を入って左側に大きな碑があります。


京都慶応義塾跡碑



京都慶應義塾は、東京の慶應義塾の分校として、明治7(1874)年2月、福沢諭吉により開校されました。福沢と親交のあった京都府参事槇村正直の斡旋によって,この地にあった京都府中学校の一部を借りて建設されました。英学や算術などを教えたましたが、同年9月廃校となりました。(いしぶみデータベースより)


 門を入って左側に京都守護職屋敷址碑が建ちます。

京都守護職屋敷址碑







京都守護職は、文久2(1862)年、京都の治安維持のために設立された幕府の役職で、会津藩主松平容保が就任しました。京都所司代・京都町奉行などの上位に位置づけられました。その役宅は、はじめ黒谷金戒光明寺内に置かれましたが、文久3年末この地に新築されました。慶応3(1867)年12月に廃止され、その跡地に京都府庁が移転しました。(いしぶみデータベースより)


 同じ敷地内にある京都府警察本部も1929年(昭和4年)建築の歴史ある建物です。

 府庁門前にも大きな碑が建ちます。

明治天皇行幸所京都府庁碑



明治天皇は、孝明天皇二十年祭のため、明治20(1887)年1月26日~2月21日まで京都に滞在し、1月29日、京都府庁に行幸しました。その行幸を記念するものです。(いしぶみデータベースより)


 門前の南東交差点にも石碑があります。


明治天皇御駐輦所(ごちゅうれんしょ)合薬会社阯碑



明治10(1877)年,明治天皇の関西行幸が行われました。この行幸は西南戦争勃発のため長期化し、京都には1月28日~2月6日、2月16日~7月28日に滞在。2月1日には、合薬会社を視察しました。京都合薬会社(アポテーキ)は、京都の薬業界が設立した薬局で、医師の処方箋による調剤を行いました。この石標はその合薬会社跡を示します。(いしぶみデータベースより)


 府庁南西に旧京都市立滋野中学校(現・京都まなびの街生き方探究館)があります。この建物も竣工1937年(昭和12年)と古い建物です。

 その元中学校の東側敷地内に「滋野井(しげのい)の井桁」があります。

滋野井の井桁







個人のお宅にあったものを、移設したものです。滋野井は、古くから京洛七名水の一つに数えられてきました。学区名の由来となった平安初期の公家滋野貞主の邸宅の敷地から湧き出ていたとされます。その後、ここには蹴鞠の名人藤原成道が住み、滋野井のほとりに鞠の神・精大明神の社が建ちました。いまは白峯神社に祀られています。近くの生麩の老舗・麩嘉では、麩作りに良質な井戸水を多量に必要とするそうで、ここの井戸は「滋野井」を更に40m掘り下げて地下60mの水脈より取水を行っているそうです。


 その近くに小篠(おざさ)長兵衛旧宅跡碑があります。

小篠長兵衛旧宅跡碑



小篠長兵衛は楽器絃製造業を営んだ人物です。明暦年間(1655年)に初代小篠長兵衛が京都伏見下鳥羽の地にて、染物業を営みました。二代小篠長兵衛より五代に至るまで継承され、嘉永2年(1849年)六代小篠長兵衛が上京区西洞院通下立売下ルのこの地にて楽器絃の製造を創めました。今も和楽器の弦を製造しており、会社は、上京区油小路通下立売下ルにあります。


 京都府庁及びその周辺の下見はできました。

当日は、

二条城→妙顕寺城跡→御金神社→京都府庁近辺→京都府庁→平安女学院→旧二条城跡→有栖川宮邸→京都御苑・御所

で行こうと思っています。皆さんの疲れ具合と時間と相談しながらとなると思いますが。

 もっと時間をかけたいところですが、溜まったブログをどこかに入って書きたいので、切り上げて、河原町御池方向に移動しました。→こちら


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最終更新日  2019/08/26 08:10:48 AM
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