3998746 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ワルディーの京都案内

2019/04/29
XML
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
【2019年4月29日(月・祝)】

 GW中は10日間中8日間がフリー日です。今日はフリー日の3日目。溜まっていた修学旅行の返信文書3件を作成し、事務所にFAXしました。そして、5月9日の某講義講師に向け、資料の最終化に取り掛かりました。5月7日には印刷するので、5月6日には最終化完了が必要です。この前のガイド会の研修時の資料からの見直しですので、明日以降6日間のフリー日で何とかなると踏んでいます。

 一昨日から次女が孫#2を連れて我が家に帰ってきています。孫は来たときから少し咳をしていたのですが、ここのところの寒さで、風邪をひいてしまったようで、昨晩は38度を超える熱を出してしまいました。今朝は少し下がって37度台で、食欲もあり元気にしているので、大丈夫だとは思うのですが、念のため病院に罹りました。GW中で、次女が出産した三菱京都病院では診てもらえず、紹介してもらった乙訓休日応急診療所での診察となりました。早く治りますように。


 4月25日の某講座座学の材料を使ったガイド会地区組の座学研修後(こちら)、午後はその某講座のフィールドワークの予行を兼ねた現地研修でした。研修の方は座学・フィールドワークを今日の午前、午後を使って1日で実施しますが、講座本番は座学が5月9日、フィールドワークが5月23と2日間に分けて実施されます。フィールドワークの訪問先は若冲ゆかりの寺・石峰寺と前半の琳派繋がりから石峰寺近くの宝塔寺です。

 講座本番のフィールドワークは、受講生数が約80人と大人数なので、2班に分け、さらに1班を2つのグループに分け、約20人×4グループでの案内となりますが、今日の研修は修学旅行で多くの方が勤務で、10人強の出席なので、1グループのみでの案内でした。

 まず。本番の予定通り、京阪深草駅に集合。本番当日は、まず石峰寺に向かう班と、宝塔寺に向かう班2つに分かれますが、今日は少人数なので1グループのみ。まず石峰寺に向かいました。

 お願いしてあったように、まずご住職からお話しを15分ほどいただきました。石峰寺の由来、黄檗宗のこと、若冲のことなどをお話しくださいました。若冲の話は当然私の講義とかぶる部分はありますが、かえって印象に残っていいでしょう。

・黄檗宗は禅宗の一派であるが、臨済宗・曹洞宗の伝来から遅れて、江戸時代初め、
 請われて来日した隠元禅師のよって伝わった。第4代徳川家綱が帰依した。
・黄檗宗のお経は梵唄(ぼんばい)という、太鼓や銅鑼など様々な鳴り物を使って読まれる、
 独特の節のあるお経。
・黄檗宗は徳川家によって認められた宗派なので、宗紋は裏葵。
・石峰寺の寺域はもとはJRが走っているところまであった。火災や廃物毀釈で縮小を
 余儀なくされた。
・本堂の木の板には「放開一路通凢聖」 「把(杷?)住重開越古今」 と書かれている。
 以下は、後刻ネットで調べた内容
  「一路を放開して凡聖を通じ、重關を把住して古今を越ゆ」
 「凢」は「凡」の異体字、二句目の「開」は「關(関)」の誤写か。 
 凡人から聖人に至る道が通れるようにし、厳重な鍵を開けて昔と今の境界が越えられる
 ようにする。
 この門を入って修行する人は、凡人でも聖人に至りうるし、現在に生きながら過去の教えに
 接することができる。
・若冲から絵のてほどきを受けた聞中浄復の手引きで若冲は伯珣照浩に会い、
 道号「革叟」(かくそう)と、伯珣が着ていた僧衣を与えられた。
 「猿猴摘桃図」に伯珣の賛も得ている。
・心遠館というアトリエは鴨川に近い五条付近にあった
・石像は五百羅漢と言われるが、若冲は10年で1,000体を制作をした。
 白川石の花崗岩が使われた。
・天明の大火後は、大坂の西福寺に身を寄せたことがあった
・若冲は石峰寺の門前と北側にアトリエを持った。

他にもたくさんお話しされましたが、私がメモできたのはこれくらいでした。

 ご住職のお話しの後、境内の見学です。私は、本番時は詳しいほうの石峰寺での案内を担当しますが、今日は本番当日担当するもう一人の方(Mさん)が案内をしてくださったので、聞き役に回りました。若冲のお墓と筆塚、五百羅漢、その他の境内の順で案内してくださいました。

・石像は七代住職密山和尚の協賛を得て制作された。
・ご住職によると石像の大敵は苔。ピンセットで取り除かないといけない。
 200年後に果たしてどうなっているか心配。
・歌人の吉井勇は、若冲の五百羅漢をこよなく愛した。
 盲腸周囲炎のために京都大学病院に入院し、危篤におちいり、生死の境をさまよった。
 彼はこの夢を回復直後、五百羅漢石像の夢を見たという。
・石像の高さは数十センチから1.6メートル
・托鉢は、午前中に出て、その日食っていく分、すなわち生きていく分だけ頂くこと。
・境内に贔屓像がある。
・竜宮門の扁額「高着眼」は黄檗三筆の一人である即非筆(あと二人は隠元と木庵)
 山門をくぐる心得。高所から見よ、大局的に見よ
・鈴鹿野風呂(のぶろ)の句碑
  春風に五百羅漢のとはれ貌(かお)
  機関誌「京鹿子」発行所でもあった生家は、京都大学近くにあり、
  現在は京鹿子社により野風呂記念館として運用されている。


本堂



若冲の墓と筆塚



境内からの眺め。東寺五重塔が見える。



贔屓像



竜宮門



扁額「高着眼」



 次に2つめの目的地、宝塔寺へ。本番のフィールドワークでは寄りませんが、今日は「茶碗子の水」も寄りました。

 本番では私は石峰寺で2グループを案内し、宝塔寺は案内しません。ですので今日はこちらのほうは私にとっても純粋な研修でした。

・起源となった極楽寺は「大鏡」に書かれているが、大鏡は四鏡の中で最も古い。
・極楽寺良桂が日像上人と法論を戦わす。日像が勝ち、真言律宗から日蓮宗に改宗。
・日像上人は妙顕寺で亡くなったが、遺言で宝塔寺の寺域で荼毘にふされた。
・上人が常に奉持していた、日蓮大聖人と日朗上人の御真骨も併せ奉安された。
・このことから日蓮隠棲の地身延山から見て西にあるので、西身延とも呼ばれる。
・また妙顕寺から見て南東の方角なので、巽の霊山(りょうざん)とも呼ばれる。
・七面宮は鎮守社。身延山にもある。
・日蓮は橘氏の系統である貫名重忠の息子であるとされており、井桁(井戸の桁)に橘を
 家紋として日蓮系統では用いてきた。仁王門の大きな提灯は「井桁に橘」


井桁に橘の宗紋



仁王門 250枚の牡丹図



多宝塔と行基葺き



像尊本廟




 終了後、担当者6名は深草駅への途中で喫茶店に寄って、反省会でした。
  

------------------------------------------------------------------
よろしかったらぽちっとお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ
にほんブログ村






最終更新日  2019/08/25 10:27:54 PM
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:【研修会】石峰寺・宝塔寺(4月25日)/§孫#2が高熱(04/29)   ケイサン9574 さん
若冲は長命でしたか、結構、作品多く残してますね。石峰寺は、若冲晩年のゆかりの寺でした。今では,石像が、結構人気のようです。ただ、撮影お断りは、SNS全盛の時代、広がりが限られると思います。 (2019/04/30 01:12:59 PM)

Re[1]:【研修会】石峰寺・宝塔寺(4月25日)/§孫#2が高熱(04/29)   ワルディー・ヨーリョ さん
ケイサン9574さんへ
 そうですね。昔は撮影できたんですけどね。美術館なども撮影を許可して、それでお客さんを呼んで、さらにネットで広めてもらおうというところもあるくらいですね。 (2019/04/30 01:38:09 PM)

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


ワルディー・ヨーリョ

フリーページ

カテゴリ

バックナンバー

日記/記事の投稿

コメント新着

お気に入りブログ

金持ち・老人・豪華… New! デコちゃん6902さん

アンブロシウス・ベ… New! ほしのきらり。さん

模様替え。縦のもの… New! ローズコーンさん

三連休後の株価は・… ケイサン9574さん

もしもし~なんなん… おじ・GGさん

購入履歴

サイド自由欄

設定されていません。

カレンダー


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.