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ワルディーの京都案内

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2019/12/13
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テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:京都歩き
2019年12月13日(金)】

 今日は研修会があり出席しました。テーマは「角倉了以と素庵」。とても分かりやすい講義でした。


嵐山の角倉了以像(撮影2010年6月)




 新たに知ったこと、再認識したことをピックアプします。

・大堰川は行政的には桂川。通称は上流から、上桂川⇒桂川⇒大堰川⇒保津川⇒大堰川⇒桂川

・大堰川に通した船も高瀬舟という。
 了以が、作州美作の国(岡山県)の和計川(わけがわ)の高瀬舟を見て、大堰川開削を決意した。

・千光寺はもともと清涼寺の西にあったが、了以が開削で亡くなった人を供養するために、
 大堰川を上から眺めることのできる現在地に移した。

・船頭と船大工を備前国(岡山)の瀬戸内水軍配下から呼び寄せ、
 彼らはやがて嵯峨に住み着いた。その地を小屋町と呼び、後に角倉町となった。

・「はなの家」は大堰川の水運管理のために建てられた屋敷。
 後に嵯峨角倉家の屋敷となった。

・高瀬川の用地買収のとき、竹田村では耕地の損失や灌漑用水の欠乏を恐れ、
 反対するものもいた。了以は説明し、誓約書をいれた。了以の企業家としての
 誠実な姿勢を示している。

・素庵は朱印船貿易で、船中規約を作った。今にいう企業倫理にあたるもの。先進的な手法。

・素庵は老年期、籟病を患って亡くなった。

・素庵の子である吉田光由(みつよし)は数学者。数学の知識を使って、菖蒲谷隧道を作り、
 北嵯峨の人々に貢献した。今も水が流れる。北垣国道が明治23年、功績をたたえ、
 石碑を建てている。

・吉田光由は和算入門書「塵劫記」を書き、和算の発展をに寄与した。

・常寂光寺の無料拝観エリアに塵劫記の記念碑がある。

・由光の墓は大分の豊後高田市にあるが、平成24年に算盤関係のお仕事をされている
 女性の方が二尊院でも発見した。この方が、算盤玉で作った多宝塔を千光寺に奉納された。

・祇園祭の鶏鉾の胴掛には、了以が清水寺に奉納した朱印船の絵馬を下絵にしたみものがある。

・ホテルオークラの2階に新しく作られた了以像がある。

・清水寺西門前に、了以の奉納した一対の灯籠がある。彫られた家紋で分かる。

・常寂光寺の料金所近くの休憩所?の天井に大堰川で使われていた高瀬舟がある。


まっすぐ帰宅し、明日のオーイ会京都案内の準備を本格的にスタートしました。明日の京都歩きは午後からなので、明日の午前中も準備継続です。todoのその日暮らしが続きます。



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最終更新日  2020/11/01 12:05:02 PM
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