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ワルディーの京都案内

2019/12/17
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テーマ:京都。(5783)
カテゴリ:研修会
【2019年12月17日(火)】

 今日は午前中、ガイド会の北地区組主催の研修会に参加しました。外部から講師を招いての研修です。テーマは「宮本組」。何か大工さんの会社か、その筋の団体の名前のようですが、そうではなくて、祇園祭の神輿渡御を支える祇園の町衆で作られた組織です。宮本さんという名前からきているのではなく、お宮の本にあるから「宮本組」です。講師は坂田憲治氏。宮本組のメンバーでもあり、京都産業大学日本文化研究所の上席特別客員研究員も務められています。私も同じ研究員を務めており、期をまたがった研究員の懇親会で坂田氏にお会いしたことがあるような気がします。坂田氏は祇園のお茶屋さんに生まれられ、花街文化にもお詳しいからでしょう、京都産業大学の非常勤講師も務められているようです。恐らく、研究員繋がりで坂田氏と面識のあるガイド会メンバーが坂田氏に講師をお願いしたのではないかと思います。
 
 内側から見た祇園祭、しかも我々がある程度知っている山鉾巡行ではなく、ほとんど知識のない神輿渡御についてのお話しということで、新たに知ることも多く、そしてお話も非常にお上手で、最初から最後まで聞き入りました。

 あらたに知ったこと、印象に残ったことを列挙しておきます。記憶、メモが曖昧な部分があり、間違いがあるかもしれませんが。
  

・神輿  祭神                神輿の形 担当組 
 中御座:素戔嗚尊 (すさのをのみこと)     六角形 三若神輿会
 東御座:櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと) 四角形 四若神輿会 
 西御座:八柱御子神 (やはしらのみこがみ)   八角形 錦神輿会  
 
・四若(しわか)は高瀬川の船頭衆がルーツ。
 錦は現在では錦市場の町衆だが、もともとは壬生村百姓衆。

・清々講社が全26学区を束ね資金集めをしている。

・もともとは太陰暦の6月7日、14日がそれぞれ神幸祭、還幸祭だったので、
 365日の中では固定ではなかった。ある年の太陰暦の日を、太陽暦に当てはめて
 17日、24日にしただけ。だから17日、24日は偶然。しかし、日曜にすることはせず、
 これらの日をかたくなに守っている。

・八坂神社の本殿で吉符入(1日)を行うのは宮本組だけ。
 吉符入後、清々館でくじ取り式を行い、誰が何を持つかなど神宝の担当者が決まる。

・4日に円融天皇陵(福王子神社近く)に代表者が参拝する。
 円融天皇は974年(天延2年)に祇園祭の神輿を鴨川を渡って平安京を渡御するように
 勅命したと言われているため。
 昔は組長が一人で行っていたが、今は複数人が参加。噂では、昔の組長が一人で行って
 いたのはお妾さんが、近くにいたらかとか言われている。
 
・10日の神輿洗神事の朝6時から四条大橋を宮本組で掃除する。
 出る神輿は中御座のみ。神輿の飾り付けは無し。ここは何故か四若が担当。
 途中、万灯会の「お迎提灯」の列とすれ違う。
 四条大橋東南袂の祓い所に鴨川の水を入れた桶が置かれる。予備が、仲源寺に置かれる。

・万灯会では、鷺踊、小町踊、祇園祭音頭などが奉納される。
 小町踊は篠塚流という京舞最古の流派の踊り。昔は京の花街はすべて篠塚流だった。
 しかし三代目のときに廃れた。

・13日には、長刀鉾稚児社参、久世駒形稚児社参がある。長刀鉾稚児は神の使いであるのに
 対し、久世駒形稚児は神そのもので、こちらのほうが位が上。でも長刀鉾稚児のほうが、
 有名でマスコミへの露出度も高い。資金力の差によるもの。

・15日の宵宮祭でご神体が神輿に乗る。そのときは境内の照明が消され、厳かな雰囲気になる。
 24日の還幸祭で神輿が八坂神社に帰って、ご神体を戻すときも境内の照明が消される。

・17日の神幸祭は「神迎え」、24日の還幸祭が祇園御霊会。本番は24日といえる。
 八坂神社石段下で三神輿同時差し上げするようになったのは最近。
 京都の神輿は江戸のそれよりサイズが大きい。担ぎ棒の先にシンバルのような物が付い
 ていて、それが音を出す。宮本組は先導のため出発済みで、同時差し上げを見る
 ことができない。

・23日に又旅社で「オハケ清祓式」が行われる。この場所はもともとの神泉苑の端に位置
 するといわれる。

・24日の還幸祭では三条通のアーケードが見所の一つ。アーケードに音が反射して勇壮。

・昔の御旅所は西御座が少将井御旅所、東・中御座が大政所御旅所だった。
 豊臣秀吉が今の四条御旅所に集めた。
 少将井御旅所の祠は今は京都御苑内の宗像神社に遷座している。
 大政所御旅所については次ぎのような言い伝えがある。
 平安時代の天延2年(974年)、東洞院高辻に住んでいた「秦助正(はたのすけまさ)」の
 夢に、神人が現れご宣託があった。「汝の家を影向の地とせん 速やかに朝廷に奏上せよ」と
 いうもので、翌朝「助正」の家の庭にある狐塚から蜘蛛の糸が祇園社までつづいていたので
 朝廷に奏上したところ円融天皇も同じ夢を見たとのこと。以後、「助正」の自宅が
 「祇園社」 の御旅所になり、「大政所」といって神殿が造られ、「助正」は神官に命じら
 れた。大政所の宮司の末裔が錦天満宮の宮司といわれている。

・神輿は和御霊(わみたま)、駒形稚児は荒御霊(あらみたま)とされる。

・騎馬武者三騎は江戸時代は弓矢町(建仁寺南側の松原通沿い)が担っていた。
 昭和57年に断絶し、宮本組が復活させた。もともと使っていた甲冑は今も7月15、16、
 17日に弓矢町で公開される。宮本組は映画村から甲冑を借りてきて使っている。

・行列の御錦蓋(ごきんがい)は神様の公的外出用、御菅蓋(ごかんがい)は私的な外出用。

・明治43年の西御座行列の記録を見ると、見座武者、長刀鉾稚児、月鉾稚児、放下鉾稚児が
 書かれており、長刀鉾以外に生稚児(いきちご)がいたことが分かる。

 レジュメはまだ続いていましたが、時間切れでここまでとなりました。


 写真は、2010年に神幸祭を撮ったものです。今年は還幸祭を短時間ですが、見学しました。


八坂神社境内






八坂神社石段下




列は街中へ






夜になって御旅所へ近づく






 終了後、夕刻からのレッスンのために持ってきていた三味線を十字屋御池の事務所に預けたうえ、年賀状用の写真撮影のため、京都市内をウロウロしました。→こちら




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最終更新日  2020/02/01 02:29:49 PM
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