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ワルディーの京都案内

2020/02/20
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テーマ:京都。(5783)
カテゴリ:研修会
【2020年2月20日(木)】

 午前中、3月14日のオーイ会昼の部の木屋町通沿い及び河原町界隈の幕末維新史跡案内の3回目の下見をした後(こちら)、京大近くの懐かしい「ハイライト食堂」で昼食をとり(こちら)、午後から、東地区組主催のフィールドワーク研修「吉田神社~唯一神道の大元宮を探る」に参加しました。某シニア講座の予行も兼ねた研修です。

一の鳥居→今宮社→本宮(本殿)→神楽岡社→若宮社→神龍社→菓祖神社→山蔭神社
→大元宮→三社社→竹中稲荷神社→親長谷寺(真如堂内)

と歩きました。


 再認識したこと、新たに知ったこと、印象に残ったことです。

【概要】
・吉田神社は、859年、平安時代前期の公卿藤原山蔭が、奈良の春日大社の四神を勧請し、平安京の守護神として、都城の東北(鬼門)比叡山とともに王城鎮護と崇められる吉田山に創建されたのが始まり。藤原山蔭の屋敷は京大吉田南キャンパスがある辺りにあった。

・藤原詮子(東三条院)が一条天皇の母となるに至って、藤原氏全体の社となった。

・平城京の春日社、長岡京の大原野社と並び藤原家氏神のひとつ。

・10世紀、神職吉田兼倶が、吉田神道を創設して、神道を統合しようとし、全国の神社を支配し、神位・神職の位階を授与するほど権威を持ち、明治までは、日本神道界の絶大なる権威を保持した。

・吉田山は神楽岡(神が集いし岡)とも称され、「天照大神が岩戸にお隠れになり、諸神が神楽を奏した場所が如意ヶ嶽となり、その後、事勝神と賀茂御祖神が神代の楽を奏した場所が神楽岡となった」と吉田神社では言い伝えられている。


【末社 今宮社】
・吉田町の産土神(うぶすながみ)として崇敬された。

・四神が境内に配されている。東南角にとぐろを巻く青龍石、西南角に縞模様の白虎石、西北角に玄武(亀)石、東北角にあるはずの朱雀石は内陣にあるという。


亀石




【本殿】
・吉田神社の神紋「さがりふじ」が見られる。

・奈良の春日大社を勧請したので、その春日社を模して建てられた。春日大社と同じ藤原氏氏神の四神が祀られる。四棟が建つ。春日造、一間社、檜皮葺。春日造は一殿一神。

・舞殿は2月の節分追儺式の舞台である。

・鬼の色には意味があり、仏教の「五蓋(ごがい)」という言葉に由来する。「五蓋」というのは、仏教の瞑想修行を邪魔する5つの煩悩の総称で、「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「掉挙(じょうこ)・悪作(おさ)」「惛沈(こんちん)・睡眠(すいみん)」「疑(ぎ)」。この5つの煩悩がそれじれ赤鬼・青鬼・黄鬼・緑鬼・黒鬼に当てはめらる。

・鬼門は東北で丑寅の方向。鬼が角を生やし、虎柄のパンツを履いているのは、牛(丑)と虎(寅)に由来する。

・節分祭の疫神祭(えきじんさい)は大元宮で行われるが、疫神(=災いをもたらす神)に「荒ぶる事なく山川の清き地に鎮まります」事を祈り奉るために、門外に向かって祭事が斎行される。

・中門と本殿が一直線になっていないのは、帰る際に本殿にお尻を完全に本殿の方に向けないため。


本殿前



【末社 神龍社(かみたつしゃ)】
・吉田兼倶を祀る。人を死後神として祀った初例。


【末社 菓祖神社】
・菓子の始祖を祀る。昭和32年に京都菓子業会により祀られた。祭神は田道間守の命(たじまもりのみこと)と林浄印命(りんじょういんのみこと)。前者は常世(とこよ)の国(海の彼方にあるとされる異世界)から「橘の実」をもってきた神。後者は饅頭の始祖。室町時代、中国で肉を詰めて食べる「饅頭(マントゥ)」を、肉食が許されない日本の僧侶のために、小豆を煮詰め、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、これを皮に包んで蒸しあげた。これが饅頭として広まった。


菓祖神社




玉垣




【末社 山蔭神社】
・包丁の神、料理・飲食の神「藤原山蔭」を祀る。昭和32年創建。藤原山蔭は清和天皇の勅命により包丁式(料理作法)の新式を定めたといわれる。朝廷の料理は宮内省に属する内膳司が司っていたが、山蔭は内膳職とは関係がなく、単に料理法や作法に通じた識者として指名されたのだと考えられる。山蔭は「日本料理中興の祖」とされる。山蔭の流派は四条流。その他生間(いかま)流、進士(しんし)流、大草流などがある。


【末社 斉場所大元宮】
・重要文化財指定。

・祭神は、天神地祇八百萬神(あまつかみくにつかみやおよろづのかみ)。全国の神々を祀る。神の数、3,132体(延喜式式内社全部)。66国。

・室町時代、日野富子の莫大な寄進で建てられた。

・ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があるとされた。

・本殿は、平面八角形の円堂に六角の後房を付す。正面に向拝がある。入母屋造、茅葺。屋根に千木、中央に露盤宝珠、前後に堅魚木(かつおぎ)を置く。朱色の漆塗り千木は、南が千木の先端を地面に対して平行に切った内削ぎ(うちそぎ)、北が垂直に切った外削ぎ(そとそぎ)。堅魚木は、南が丸3個ずつを重ねたものが3個、北が横に角2個並列したものが2組の合計5つが置かれている。八角の殿堂とともに、これらの組み合わせは、奇数と偶数を用いており、道教、陰陽道の影響ともいう。陽(奇数)は男神、陰(偶数)は女神ともいう。神仏習合の象徴ともいう。

・かつては楼門があったが、明治維新でなくなった。山蔭が邸宅を構えた吉田山に新長谷寺を建立。明治維新後、神仏分離でで真如堂内へ移転。右脇侍が難陀龍王、左脇侍が雨宝童子。


大元宮 正面から



全国66国の神々3,132体(延喜式式内社全部)



大元宮 屋根



大元宮 垂木



・後房には、丸に一の神紋が掲げられている。○は心の表象、一は心棒を表すものという。吉田神道の唯一神道、宇宙一貫を表す。

大元宮 後房





・他に伊勢二宮の東神明社(内宮)に天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、西神明社(外宮)の豊受比売神(とようけひめのかみ)を祀る。

西神明社(外宮)




・かつては天皇守護の八神を祀る八神殿(はっしんでん)があったが、現在は皇居の神殿(宮中三殿の1つ)に合祀されている。


八神殿跡(中央)と東神明社(内宮)(右)






【境外末社 竹中稲荷神社】
・参道には鳥居寄進が多く、かつては隙間なく鳥居があったことから、参道は「傘いらず」とも呼ばれていた。


【新長谷寺】
・藤原山蔭が開祖。本尊は十一面観音。山蔭の信仰厚い奈良長谷寺十一面観音菩を模刻造像。


 本殿、大元宮では、神職の方に説明いただき、特に普通は入れない「大元宮」の中に入れていただいたのは感激でした。



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最終更新日  2020/02/27 01:27:18 AM
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