4097035 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ワルディーの京都案内

2020/02/21
XML
テーマ:京都。(5783)
カテゴリ:常駐ガイド
【2020年2月21日(金)】

 31回目の事務所勤務で、今日は主担当でした。修学旅行でちょっと複雑な最後の離別方法が必要なところがあり、その調整を午前中にし、午後から5月の修学旅行の催行確認未回答の旅行社様に連絡をとったりしましたが、特に午後後半が色んなことが重なって少々大変でした。「3月×日の修学旅行が新型肺炎で延期になるかもしれないので、9月×日を重複して予約させて欲しい。」という連絡が、ある旅行社さんから入ったりして、事務所の業務にも確実に新型肺炎の影響が出てきています。


 室町姉小路を下がった東側に石碑が2つ建っています。

 一つは「高倉宮趾」と刻まれています。高倉宮は、平安京左京三条四坊四町にあった後白河天皇の皇子以仁王(1151~80)の御所です。高倉小路に面していたため高倉宮と呼ばれました。以仁王は高倉天皇の兄宮で、治承4年(1180)源頼政と謀り、諸国の源氏に平家追討の令旨を下しましたが、露見してしまいます。そして、頼政とともに兵を挙げましたが、戦死をします。高倉宮は、この「以仁王の変」の際、平氏追討の令旨を諸源氏に下した所です。


高倉宮趾碑と明治天皇行幸所上京第廿九組小学(以下埋没)碑




 その後、室町時代にはこの場所に「曇華院(どんげいん)」が建ちました。「曇華院」は、明治4年(1871)に嵯峨に移り、明治26年(1893)年に「上京第二十九番組小学校」がこの地に移転します。その後、「初音尋常小学校」、「初音国民学校」と引き継がれ、戦後は「初音中学校」となりました。その「初音中学校」も少子化で平成5年(1993)に閉鎖され、現在は「京都市教育相談総合センター」となっています。「初音」は「曇華院」の境内に「初音の森」という森があったことに由来しています。現在でもこの地は「曇華院前町」という町名として残っています。

 明治10年(1877)、明治天皇の関西行幸が行われましたが、この行幸は西南戦争勃発のため長期化し、京都には1月28日~2月6日・2月16日~7月28日に滞在。5月に下京十八組(修徳)小学校、6月28日には上京二十九組(初音)小学校・下京二十四組(尚徳)小学校の各小学校で授業を視察しました。「高倉宮趾」の碑の隣の「明治天皇行幸所上京第廿九組小学(以下埋没で読めません)」の碑は、それを示していますが、明治天皇の行幸は明治10年、学校が現在地に移築されてきたのは明治26年ですから、明治天皇が行幸したのは、移築前の場所ということになりそうです。


初音校の歴史を刻んだ碑




京都市教育相談総合センター








よろしかったらぽちっとお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 京都旅行へ
にほんブログ村






最終更新日  2020/02/27 01:27:40 AM
コメント(0) | コメントを書く


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール


ワルディー・ヨーリョ

フリーページ

カテゴリ

バックナンバー

日記/記事の投稿

コメント新着

お気に入りブログ

ベルギー 世界遺産 … New! ほしのきらり。さん

人間がコロナウイル… New! デコちゃん6902さん

ウイルスとは、どん… New! ケイサン9574さん

先が見えないまま New! おじ・GGさん

芭蕉一茶子規の俳句… ローズコーンさん

購入履歴

サイド自由欄

設定されていません。

カレンダー


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.