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ワルディーの京都案内

2021/09/26
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テーマ:京都。(5804)
カテゴリ:若冲と応挙
【2021年9月26日(日)】

 今日はもともと在宅日。ちょっとだけ時間の余裕ができたので、2回目のパエリア作り。魚貝類を一旦上げる前に、かき回すことを控えたので、前回より、魚介類が崩れずにできました。有頭エビは高いので、ブラックタイガーに替えましたが、やはり有頭エビから出るダシの分、お味は前のほうがよかったように思います。先入観からくるものかもしれませんが。そのかわり今日はタラが手に入ったので、お魚の調理がしやすかったです。調理時間は約1時間半でした。前回の教訓から、サラダは、最後にお米を入れて煮詰める時間に併行して作ったので、多少時間短縮できたのではないかと思います。

 
 「若冲と応挙」の第49回。前回、若冲の年譜が終了したので、今回から応挙の年譜です。

西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向

1733(享保18)1歳
◆5月1日、丹波国桑田郡穴太村(現在の京都府亀岡市曽我部町穴太)の農業丸山藤左衛門の
 次男として生まれる。母は篠山藩士上田氏の娘。幼名は岩二良、通称は主水とも。
☆徳川吉宗が動・植・鉱物全般を解説した百科辞典的な「庶物類纂」の増捕完成を命じた
 (1738年に完成)。本書は、全国の諸藩の協力で編集されたことから各地で物産学・博物学
 などが盛んになる。沈南蘋帰国する。

1740(元文5)8歳
◆この頃、金剛寺に小僧として奉公したと伝えられる。


金剛寺(京都府亀岡市)




1745(延享2)13歳
◆後に働くことになる尾張屋勘兵衛の店が「びいどろ道具」の店として、『京羽二重大全』に
 掲載される。尾張屋はガラスを使った品のほか、人形や玩具などを扱う店。

1747(延享4)15歳
◆この頃にはすでに京都に出ていたと思われるが、11、12歳頃からという説もある。
 最初の奉公先は四条新町の岩城という呉服屋で、のち、四条富小路西入町の玩具商
 尾張屋勘兵衛の店で働く。

1748(寛延元)16歳
◆5月20日、母が死去する。

1749(寛延2)17歳
◆この年の年紀のある「雪景山水図」があったといわれることから、
 この頃から、石田幽汀の門下に入り本格的に絵の画技を学んだと考えられる(15歳という
 説あり)。
 「雪景山水図」の双幅には「寛延己巳夏円山岩二良」「洛陽山人円岩二良」の落款があったという。

1750(寛延3)18歳
☆池大画が紀州藩の文人画の祖とされる祗園南海を訪ねた。上方浮世絵の中興の祖、
美人風俗画を得意とした西川祐信が80年の生涯を閉じた。
*二条城天守閣か雷火で焼失。




(続きます)


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最終更新日  2021/10/02 03:44:08 PM
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