テーマ:京都。(6065)
カテゴリ:若冲と応挙
【2021年10月22日(金)】
17日は日曜日でしたが事務所に出頭。18日~昨日22日も連日事務所出頭でした。うち19日(火)は事務所出頭の足で、月イチの津軽三味線レッスン、昨日は月イチの事務所集まり。連日事務所詣でです。 「若冲と応挙」第53回。付録3 応挙年譜のその5(41歳から50歳)です。 西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向 1773(安永2)41歳 ◆12月2日、円満院門主祐常死去(51歳)。「雲龍図屏風」(個人)、 「芙蓉飛雁・寒菊水禽図」、「山水図屏風」、「群仙図下絵屏風」を描く。 1774(安永3)42歳 ◆人江玄圃「梅花楼友詩」初編に応挙作「楊貴妃」を読んだ 七言絶句が載る。玄圃著・応挙図「学翼」(上下)刊行。「孔雀図」を描く。 *前野良沢、杉田玄白ら「解体新新書」を刊行。 1775(安永4)43歳 ◆『平安人物志』の画家部筆頭に掲載される。二番目以下は、伊藤若冲、池大雅、与謝蕪村。 京都・四条麩屋町西入町に住む。「郭子儀祝賀図」、「鯉魚水禽図」を描く。 1776(安永5)44歳 ◆「雨竹風竹図屏風」(圓光寺)、「藤花図屏風」(根津美術館)、 「江州日野村落図屏風」、「蟹図」、「双鶏図衝立」を描く。 ☆池大雅没(54歳)。" 1777(安永6)45歳 ◆仙果亭嘉栗(三井高業)撰、「狂歌奈羅飛乃岡」に挿図を描く。三男応受誕生。 9月27日妻の里也が没する。 ☆将軍のお膝元の江戸では文化の高まりとともに[江戸じまん評判記」などか出版された。 1779(安永8)47歳 ◆「琴高仙人図」を描く。 ☆平賀源内獄死(52歳) 1780(安永9)48歳 ◆本願寺山科別院(西本願寺)に「春景海浜図壁貼付・袋戸」を描く。 ☆「都名所図会」が京都寺町の版元から刊行。人気で製本が問に合わなかったという。 1781(天明元)49歳 ◆光格天皇の即位大礼のため「牡丹孔雀図屏風」を描く。 この頃から源姓を名乗つたと思われる。 ☆曾我蕭白没(52歳)" 1782(天明2)50歳 ◆7月、『平安人物志』の画家部の筆頭に掲載される。京都四条堺町東入町に住む。 「揚貴妃図」を描く。 ☆松村月渓、画名を呉春と改める。 「藤花図屏風」(根津美術館) (続きます) ●前回はこちら ●次回はこちら よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/10/30 07:04:01 AM
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