テーマ:京都。(6065)
カテゴリ:若冲と応挙
【2021年10月29日(金)】
27日は、午前中、臨時で事務所出頭し、午後は、月イチの最も大切な集まりでした。残念ながら、事務所に戻る必要があったので、会後の一献はお断りせざるを得ませんでした。そして、28日と今日は、在宅で27日の集まりの後日諸事でした。 「若冲と応挙」第56回。付録4 若冲と同時代の文化人たち その1です。 伊藤若冲と同時代の文化人たち ●影響を受けた画家 大岡春卜(おおおか しゅんぼく)1680~1763 大坂の町狩野の絵師。絵手本を多く出版。大岡春朴の書物から着想を得たと思われる絵が 散見される。「増補近世逸人画史」が「扶桑名画伝」の「若冲」の項を引いて、 「(若冲の)初めの名は春教」しており、「春教」は「春朴」由来とする説がある。 また、天保3年(1832)刊の「続諸家人物誌」の「若冲」の項に、「初名春教、幼ヨリ画ヲ好 ミ、大岡春牧ニ学ブ。」とある。 鶴亭(かくてい)1722~85 長崎の黄槃宗の画僧。海眼浄光。沈南蘋の画風を学んで花鳥画などを描き、南蘋風を畿内に 伝えた。 ●同時代の京都で活躍した画家 与謝蕪村(よさ ぶそん)1716~83 池大雅とともに南画を大成した。俳句と絵を組み合わせた俳画も確立。若冲、大典らとと もに、京都郊外へ観梅に出かけたことがある。 池大雅(いけの たいが)1723~76 中国南宗画などを学んで独自の南画を展開。若冲、大典と交流があった。 曾我蕭白(そが しょうはく)1730~81 奇矯な行動と奔放な道釈画で知られる。伊勢地方を遊歴。「奇想の画家」の一人。 円山応挙(まるやま おうきょ)1733~85 わかりやすい題材と写生を重視した画風で、当代の人気絵師となる。弟子らと石峰寺を訪問 したことがある。しかし、そのとき若冲は不在だったようである。 皆川淇園(みながわ きえん)1734~1807 儒学者で書画も能くした。画家との交流が広く、絵画に関する詩文が多い。若冲画に詩文や 賛を記している。 ●交流のあった文人 平賀蕉斎(ひらが しょうさい)1745~1805 広島の浅野家の陪臣。号は白山。著書『蕉斎筆記』に若冲の逸話を記した。石峰寺に晩年の 若冲を訪ねている。 木村蒹葭堂(きむら けんかどう)1736~1802 大坂の酒造業者。文人・好事家として文化人と広く交流。大岡春卜、池大雅らに絵を学 んだ。大典と親交深く、若冲とも交流。若冲もその住まいを訪問している。 (天明8:1788年、10月21日・29日来訪 蒹葭堂日記より) 松本奉時(まつもと ほうじ)?~? 大坂の表具師兼蛙愛好家。若冲と交流していた。与謝蕪村(よさ-ぶそん)の画風をまなび, 蝦蟇(がま)をこのんでかいた。奉時は若冲の象図を写すなど、単に面識があっただけでは なく、画風の上でも影響関係があった。 皆川淇園 木村蒹葭堂 ●前回はこちら ●次回はこちら よろしかったらぽちっとお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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