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テーマ:京都。(6435)
カテゴリ:知られざる伏見稲荷大社
知られざる伏見稲荷大社 その6
今回は下記ルート図で「8」のエリアをご案内します。 知られざる伏見稲荷大社 フィルードワーク ルート図 ![]() 8.「在りの山墓地」と「ぬりこべ地蔵」 東丸神社の東の小路を南に行き、稲荷大社境外に出ます。「松の下屋・御茶屋」敷地の塀に沿って進み、小道に突き当たり、左折して東に向かうと、墓地があります。江戸時代まではこの墓地は「在りの山(ありのや)ま墓地」と呼ばれる稲荷大社神主家や関係者の専用墓地でした。現にこの墓地の南東の一画に社家松本家、羽倉家の墓所を見つけることができ、荷田春満の立派なお墓もあります(図1)。昔は荷田春満のお墓にお参りする人も多かったのでしょう、この小径の途中には道標が複数建っています(図1-2)。 図1 荷田春満の墓 ![]() 図1-2 「荷田春満大人(うし)墓道」 「左 東丸大人墓道」 ![]() また、この墓地の稲荷大社側角付近には、稲荷大社の神馬の墓石2も建っており、「神馬穂國第一世」「神馬穂国第二世」と神馬の名が刻まれている。(図2)(注1)。 図2 神馬の墓 ![]() (注1)古くは生きた馬を神社に奉納しました。神社に馬を奉納できない者が馬の姿を絵に書いて奉納するようになりました。それが今の「絵馬」に繋がっています。江戸時代中期には、生きた馬が奉納され、稲荷祭に供奉している絵図が稲荷大社に残っています。 今は、生きた神馬は稲荷大社にはいませんが、木造の神馬の像があります。稲荷大社境内の「玉山稲荷社」の南側に西向きに一頭、「奥宮・三社殿」への石段下に北向きに二頭の木造の神馬がいます。 「玉山稲荷社」南側の神馬舎並びに神馬像については、稲荷社所蔵の「諸件物要覧」によると、文久2年(1862)に建築・奉納されたとあります。ただし、奉納者は分かっていません。 「奥宮・三社殿」石段下の神馬像は、昭和13年(1938)に奉納されたもので、その年に神馬舎も建てられています。昭和57年(1982)に仔馬が奉納されました。今日では親子神馬として親しまれ、「仲良く何事も"ウマ"くいきますように」と願う多くの人が名刺を差し入れたり、人参をお供えしたりしています。 しかし、近代においても実際に生きた神馬がいたことが記録として残っています。「伏見稲荷大社年表」によると「穂園號」といい、「大正元年(1912)2月23日に神馬舎新築、同年11月8日に久邇宮邦彦殿下神馬一頭奉納」と記されています。また同年3月発行の講員機関誌「いな里」によると、神馬舎は「表参道右側」にあると紹介されており、楼門下の、現在の車祓所近辺にありました。「穂園號」は2代続き、それぞれの死後「在りの山墓地」の神馬の墓に葬られたのだと思われます。 神馬の墓石の南側に「ぬりこべ地蔵」の小さな祠が建ちます(図3)。この名は土の塗り壁(塗り込め壁)のお堂に地蔵菩薩が祀られていたことからだといいます。この名から、病を「塗り込める」「封じ込める」ご利益があるととらえられるようになり、病気・歯痛平癒の信仰を集めるようになりました。 お参りする前に、お堂の前にある丸い石を撫でてから、自分の身体の痛いところをさすると痛みがとれるという言い伝えがあります。昔はお参りに来たときに、奉納された塗箸をお堂の中の お札に包んで持ち帰り、それで食事をして、治ったら新しい塗箸を奉納するという習わしがあったそうです。一時止めてしまったそうですが、最近またその塗箸が復活して、詰め所でお札などといっしょに購入することができるようです。 図3 ぬりこべ地蔵 ![]() 創建の由緒は明確ではないそうですが、当初の祭祀の場所は稲荷山の奥にかつて存在した浄土宗の寺院であったと云われています。「4.愛染寺跡」に記した、西光寺あるいは浄安寺であったのかもしれません。 しかし、慶応4年(1868)、明治政府により発令された神仏分離令による廃仏毀釈の混乱を避けるために、同じ浄土宗の摂取院(現在はJR稲荷駅南の踏切手前にある)の墓地に移されたといいます。JR稲荷駅の西方の「京都府警察学校」のあたりです。 しかしその後、明治40年(1907)に再び危機が訪れます。明治末から大正にかけて、深草の地には、大日本帝国陸軍第十六師団の施設が多く建設され、現在の京都府警察本部の場所にも兵器庫が建設されることになりました(注2)。「ぬりこべ地蔵」は立ち退きを迫られ、一時は撤去という話も持ち上がりましたが、「在りの山墓地」が地元に開放されたこともあって、墓地とともに現在地に移転されました。その際、木村藤太郎という人物が尽力し、今も木村家の人々が地蔵菩薩の世話を続けておられます。 6月4日は「64=虫」に因んで「むし歯予防の日」です。この日に「歯供養」が営まれ、「ぬりこべ地蔵」に供えられた歯ブラシが参詣者一人一人に配布されます。 全国から歯痛平癒を願う人々が参拝に訪れます。また、「歯痛が治りますように!」などと書いたハガキを出すだけでもご利益があるとのことで、地蔵堂の中には歯痛・病気平癒祈願あるいは平癒のお礼を伝えるハガキが積まれているのを見ることができます(図4)。「京都市伏見区ぬりこべ地蔵様」だけでもハガキは着くようです。海外からも手紙が届くことがあるそうです。 図4 地蔵堂の中の病気・歯痛祈願、治癒お礼のハガキ(住所・氏名はマスキングしています) ![]() (注2)深草の地には、帝国陸軍第十六師団関連の施設がたくさん建設されましたが、戦後、その広い面積を利用して、それらの土地は種々の施設に利用されています。 ・司令部庁舎(現聖母女学院本館)(建物もそのまま利用されている。国登録文化財) ・騎兵第二十聯隊(現深草中学、市営深草住宅) ・陸軍衛戍病院(現国立病院機構京都医療センター) ・歩兵第三十八聯隊(元第九聯隊)(現京都教育大学) ・陸軍兵器廠京都支廠(現龍谷大学深草キャンパス、現警察学校) ・工兵第十六大隊(現桃陵団地) ・野砲兵第二十二聯隊(現藤森中学、京都市青少年科学センター) ・輜重兵第十六大隊(現京都教育大学附属高校、リハビリテーション病院) ・京都憲兵隊(現伏見税務署) また新たな道路も建設されました。南北の通りとしては、師団街道(伏見稲荷バス停のある道)、東西の通りとしては、鴨川運河を跨ぐ、第一軍道(京阪深草駅南の道)、第二軍道(聖母学園に突き当たる道)、第三軍道(京都医療センター方面に向かう道)などです。 よろしかったら下記と「いいね」をぽちっとお願いします。 ←前回「知られざる伏見稲荷大社」 次回「知られざる伏見稲荷大社」→ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026/09/18 09:17:48 AM
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