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ワルディーの京都案内

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研修会

2017/03/21
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テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2017年3月21日(火)】

 今日、午前中ガイド会の研修、夕刻津軽三味線のレッスンが京都でありました。その日記はこちら

 ここでは講演会の様子を書きます。

 我がガイド会は、別エリアグループの研修会ですが、席に余裕があるので参加させていただきました。

 講師は、冷泉 貴実子(れいぜいきみこ)さん。

 冷泉家時雨亭文庫の常務理事。烏丸今出川を東に入った北側、同志社大学に隣接する冷泉家の第24代当主故・冷泉為任氏の長女で、第25代当主冷泉為人氏の妻。



 冷泉家は藤原俊成、定家の流れをくむ歌道の宗匠家の内の一つで冷泉流歌道を伝承しています。住まいの「冷泉家住宅」は、1790年の建築で、現存する唯一の公家屋敷で、国の重要文化財に指定されています。

 我が会は、営利を求める団体ではなく、そんなに高額な講演料は払えないと思うので、普通なら冷泉貴美子さんを個別にお呼びしての講演会など考えられないのですが、そこは我が会の強みなのでしょう、会のメンバーに冷泉家での和歌の会に参加していた方がいらして、その繋がりで来ていただくことができたようです。

 場所は、我が会の事務所があるハートピア京都の会議室でした。

 演題は「和歌に詠まれた四季」

 初めて知ったことも多く、最初から最後まで楽しく拝聴させていただきました。


 色々知ったことを列挙します。

・現在の暦・太陽歴は明治5年に導入された。それ以前の和歌は旧暦(太陰暦)で理解しないといけない。例えば、睦月、如月、弥生は1月、2月、3月だが季節は春。それぞれ、今の2月、3月、4月(きっちりではないが)

・旧暦では新月のときが1日。

・お月様が出る時間は毎日52分ずつ遅くなっていく。十六夜は「いざよいの月」(ぐずぐずすろという意味)、十七夜は立待月(たちまちのつき)、十八夜は居待月(いまちのつき)、十八夜は臥待月(ふしまちのつき)と呼ばれるのは、どんどん月の出が遅くなっていくため。二十六夜頃の月は有明月(ありあけのつき)と呼ばれる。夜明けの空(有明の空)に昇るから。

・月の満ち欠けは29.5日で1周するので、29日の月(小の月)、30日の月(大の月)を6回ずつ設け、1太陰年を354日とした。すると、3年で1月以上の誤差が出るので、閏月を設けた。(昔の人の誕生日や死亡日に、例えば「XX年閏X月」と書かれていることがあったが、その意味が分かりました。)

・春、夏、秋、冬の始まりが立春、立夏、立秋、立冬。節分はその前日で、季節を分けるという意味。年4回あったが、今残っているのは立春の節分のみ。

・お正月は昔は、今の2月だった。春に近かったので、迎春という言葉がぴったりだった。

・昔は照明がなく夜は暗かった。月の光は、現代とは比べ物にならないほど、明るい存在だった。


 その後、季節ごとの歌を紹介いただきました。なお下記の黒太文字で書かれた歌の解釈は、当日、冷泉貴美子さんが示されたものでなく、私がネットから見つけてきたものです。
                            
(一) さざ浪や滋賀の浜松ふりにけりたが世にひける子の目なるらん
                        藤原俊成(新古今)

滋賀の浜辺の松は老木となってしまったなあ。いつの御代に引いた子の日の松が根付いたものなんだろう。


 門松は平安時代の宮廷儀礼である「小松引き」がルーツと考えられています。「小松引き」とは、正月初めの子(初子)の日に、外出して小さな松の木を引き抜いてくる貴族たちの遊びの一種で、この「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したものです。現在でも「根引きの松」と呼よばれ、関西地方の家の玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松が飾られています。

根引き松

http://ruiruitomidori.blog.fc2.com/blog-entry-808.html


 若い子であっても自分の干支は知っている。未成年者を補導し、年齢を偽っていそうだと感じたら、「何年(なにどし)産まれ?」と聞くのがテクニック。

 方角は「子」が北、「卯」が東、「午」が南、「酉」が西。これから子午線という。
 

                            
(二) 君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ
                        光孝天皇(古今)

あなたにさしあげるため、春の野原に出かけて若菜を摘んでいる私の着物の袖に、雪がしきりに降りかかってくる。


 昔は冬の間は、緑の物は食べられなかった。春の七草、七草粥はまさにご馳走だった。



                            
(三) 梅が枝に鳴きてうつろふ鶯の羽白妙に淡雪ぞ降る
                        惟明親王(新古今)

梅の枝から枝へと飛び移っている鶯。その鶯の羽が真っ白になるほどに沫雪が降っているよ。


 淡雪は春の雪、白雪は冬の雪。

 「梅は花の兄、菊は花の弟」という諺がある。梅は百花にさきがけて咲くので花の兄と呼び、菊は後で咲くので弟という意味。

                          
(四) 大空は梅の匂ひにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月
                        藤原定家(新古今)

大空は梅の香りに霞んでいる。そしてぼんやりと曇りも果てない春の夜の月、そう朧月が出ている。


 春は霞、秋は霧。だから春の月は朧月。今は春の霞は、黄砂とかPM2.5で嫌われるが、昔は初めての霞を初霞といって喜んだ。冬は冴ゆる月。

                            
(五) またや見む交野のみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの
                        藤原俊成(新古今)

また見ることがあるだろうか、いや、ないだろう。交野のみ野での花見で、桜の花が雪のように舞い散る、この春のあけぼののすばらしい景色を。


 桜は今はソメイヨシノが主だが、昔は山桜だった。交野は猟場だったところ。泊りがけで出かけた。藤原俊成が実際に出かけたわけではない。このように昔の和歌は、実体験に基づかないものも多い。


(六) 三千年になるてふ桃の花咲けり折りてかざさむ君がたぐひに
                           (落窪物語)

桃の花が咲いているのを、人が折っている。三千年に一度だけ実がなるという桃の、花がたわわに咲いているのを折って、花かんざしにしましょう。あなたのように長寿になるように。



 三千年は「みちとせ」と読む。「三千年の桃」とは、漢の武帝が西王母(せいおうぼ)(崑崙山に住む女仙)からもらって食べた、三千年に一度実を結ぶという不老長寿の桃。この西王母の誕生日が3月3日。古代中国では3月3日に、御祓をした人型を川に流し、また邪気を祓う桃の枝を飾った。この行事が日本に伝来して宮中行事の「曲水の宴」になり、奈良時代以降やはり3月3日に行われた。3月3日を「桃の節句」と言うのは、西王母と深く関わりがあると思われる。

 男の人も帽子にかんざしを差した。

 陰陽道の陰は偶数、陽は奇数を表す。五節句は1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日(重陽)と奇数になっている。9は今では「苦」に繋がると縁起が悪い数字だが、昔は「九重」で縁起の良い数字だった。9月9日は、「救急車の日」でもあるそうな。


(七) 卯の花のむらむらさける垣根をば雲まの月のかげかとぞみる
                        白河院(新古今)

卯の花が群がって咲いている垣根を雲の間からもれる月の光と見てしまいます。


 卯の花(うのはな)は初夏に白い花を咲かせるウツギの花を指す。旧暦の4月(卯月)頃に咲くことから「卯月の花」=「卯の花」と呼ばれた。唱歌『夏は来ぬ(なつはきぬ)』では卯の花にホトドギスの組み合わせ。

 昔は下水道も上水道もなく、夏は病気が流行った。死を招く最悪の季節。 

                            
(八) うちしめりあやめぞ香るほととぎ鳴くや五月の雨の夕暮
                         藤原良経(新古今)

しっとりとした空気の中で菖蒲(しょうぶ)の香がする。ほととぎすの鳴く五月の雨が降る夕暮れどきよ。


 5月は旧歴では夏。五月雨(さみだれ)とは梅雨の雨であり、五月晴れとは梅雨の合間の晴れ。あやめ=菖蒲。

 この季節は病気が流行る。5月5日の端午の節句には、病気が入らないようにヨモギやショウブを飾ったり、屋根に置いたり、お風呂に入れたりした。それが薬玉(くすだま)になり、軒に吊るした。端午の節句も、男の子が元気に育つようにと願う日になっていく。

 「ホトホトギス」の名は、「ホトホト」と鳴くことから。「ス」はカラスやウグイス同様、鳥の名の接尾語。

                            
(九) 風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりけり
                         藤原家隆(新勅撰)

風がそよそよと吹いて楢(ナラ)の木の葉を揺らしている。この、ならの小川の夕暮れは、すっかり秋の気配となっているが、六月祓(みなづきばらえ)のみそぎの行事だけが、夏であることの証なのだった。


 夏越祓=六月祓。半年の穢れを祓う。御禊(みそぎ)は、水の中で身を清めること。足だけ清めるのが「御手洗(みたらし)祭」。葵祭では斎王代が手だけを清める。

 冷泉家ではススキの葉で「人形(ひとがた)」を作り、全身をなでながら和歌を唱えて息を吹きかけ、水を張った手水鉢の中に放。                

 宮中では夏越の祓の後、氷を食べた。氷に小豆を乗せた。これがお菓子「水無月」に繋がる。



(十) 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
                         藤原敏行(新古今)

(立秋の日になっても)秋が来たと、はっきりと目にはみえないけれど、風の音で(秋の到来に)はっと気づきました。



(十一) 雲間より星あひの空を見わたせばしづ心なきあまの川浪
                         大中臣輔親(新占今)


雲の間より二つの星がで会う空を見わたせば、落ち着かない天の川波です。私も二つの星が無事に出会えるのか心落ち着きません。

 七夕は今は梅雨シーズンで、何故天の川の見えにくい季節なのかと思ってしまうが、旧歴では今の8月で、秋の始めと言ってよく、天の川が見える可能性は大きい。

 冷泉家では乞巧奠が行われる。中国起源の7月7日に行われる織女に対して手芸上達を願う祭。「巧みを乞う」、すなわち歌や蹴鞠が上手くなることを祈る。

                            
(十二) 星あひのゆふべすずしきあまの河もみぢの橋をわたる秋風
                         西園寺公経(新古今)

彦星と織女が逢っている夕方、涼しい秋風が天の川の紅葉の橋を吹き過ぎてます。



 中国伝説では、鵲(かささぎ)という鳥が天の川を紅葉でうずめて橋を成し、織姫と牽牛が出会う。7日の月なので、半月。それを渡し船の見ることもできる。


                             
(十三) 白露に風の吹きしく秋の野は貫きとめぬ玉ぞ散りける
                         文屋朝康(後選)

草の葉の上に乗って光っている露の玉に、風がしきりに吹きつける秋の野原は、まるで紐に通して留めていない真珠が、散り乱れて吹き飛んでいるようだったよ。




                             
(十四) 秋風にたなびく雲の絶え間よりもれ出づる月の影のさやけさ
                          藤原顕輔(新古今)

秋風に吹かれて横に長くひき流れる雲の切れ目から、洩れてくる月の光の、澄みきった美しさといったらどうだろう!


 8月15日は仲秋。

                             
(十五) 露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しがるべき
                          紀友則(古今)

露があるままでも、折ってこの菊の花を頭に挿して飾ろう、老いることない秋がずっと続くように。


 9月9日は重陽の節句=菊の節句。菊の葉から水が川に落ち、それを飲んだ慈童や村人が長寿となり、不老長寿を祝った。これが菊酒を飲んだり、菊のきせわたをして、災

厄を祓い、健康や長寿を祝う「重陽の節句」に繋がる。

 お酒の名前に「菊正宗」「菊の盛」など「菊」が付くのはこのため。今では、菊は弔事の花のイメージがあるが、昔はお目出度い花だった。今、菊が弔事の花になっている

のは、ヨーロッパでお墓に菊を飾ることが日本に入ってきたからのようだ。

                             
(十六) 奥山にもみぢふみわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
                          猿丸大夫(古今)

 人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。


 
                             
(十七) けふはもし君もや訪ふとながむれどまだ跡もなき庭の雪かな
                          藤原俊成(新古今)

 今日は、ひょっとして君でも訪れてきてくれるんじゃないかと思って眺めているけど、 門に通じている庭の雪には、まだ何の跡も無いんですよ。


 女になって詠っている。こういうことはよくあった。


(十八)へだてゆく世々のおもかげかきくらし雪とふりぬる年の暮れかな
                        藤原俊成女(新古今)

振り返ればいろいろなことがあったけれど、この降る雪が空を覆い隠してしまうように、昔の面影を忘れさせてくれる、そんな年の暮れです。



目からウロコ的お話しが多く、とても勉強になりました。


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最終更新日  2019/08/25 10:21:09 PM
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2017/01/05
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2017年1月5日(木)】

 ガイド会の我がエリアグループの研修会が行われました。私が入ってから2回目の研修会です。

 場所は、上京区今出川大宮にある京都市考古資料館。午後1時半開始でした。五条通を通るバスで行って、五条大宮で降りて約1時間歩きました。散歩を兼ねるのと年金生活者の交通費節約のためです。

 途中、私がよく訪れるブログに先日紹介されていた四条大宮近くの「モリタ屋」というすき焼きレストラン(こちら)の前を偶然通りました。お隣にはそのお店のお肉屋さんもありました。


「モリタ屋」さん
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 考古資料館を少し西に行き過ぎたところの「彦さく」というラーメン屋さんで腹ごしらえ。

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 開始30分前に考古資料館に入りました。

 考古資料館は1979年(昭和54年)11月に開館されました。もともとは大正3年(1914)に西陣織物館として建築されたもので、日本におけるモダニズム(近代主義)建築の先駆者として知られる京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)教授 本野精吾(もとのせいご)により設計されました。京都市登録有形文化財に登録されています。西陣織物館の機能は昭和51年に、堀川今出川にできた西陣織会館に移っています。

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 上記のような建物の生い立ちから、館の前には西陣の顕彰碑が建てられています。

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 考古資料館は何度も前を通ったことがありますが、入るのは初めてでした。入館料は無料です。今日の研修会は、いつもは入ることのできない3階のホールで行われました。

 このホールは、西陣織物館時代に貴賓室だったところで、内装は当時のまま残っています。壁紙は普通のクロスに見えますが、西陣織とのことです。1983年に大阪城で兵馬俑展が開かれました(私も結婚直後、母、家内といっっしょに見に行った記憶があります)が、そのときの兵馬俑像のレプリカがいくつか置かれていました。像がたくさん展示されたのですが、先頭の像は本物ですが、後ろの多くの像はレプリカだったそうで、それを譲り受けたとのことでした。


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 今日の研修のお題は「知っているようで知らない応仁の乱」というタイトルで、考古館の副館長山本雅和氏から1時間半ほどお話をいただきました。

 内容はすごく濃くって、面白かったです。応仁の乱は名前こそ誰もが知っていますが、色んな人物が絡んでいて、なかなか全貌を把握するのが難しいのです。今日のお話でよく理解できました。特に印象に残ったのが、戦乱の勃発地であった上御霊神社も、西軍の山名宗全邸があった今の西陣の地も、当時は都の街並みの外れであったということ。そして、応仁の乱で京都の町全体が焼け野原になったという印象を持ちがちですが、そうではなくて、上京こそ焼けましたが、それ以外は、そんなに焼けたわけではないということ。それでは、何故多くの神社仏閣が焼失したかというと、両軍が神社仏閣などに陣取ったので、そこを攻撃したり、戦乱に紛れて放火して寺宝や物品を略奪したりしたためだということです。目からウロコでした。


 講演が終わってから、山本氏が1階の展示室も案内してくださいました。2階が常設展示、1階が企画展示室です。

 正面に去年話題になった金閣寺で発見された七重塔の相輪片が展示されていました。相輪片の湾曲から相輪直径は2.4メートルもあると推定され、それから全高を推定すると100メートルを超えるとのこと。私が去年特別拝観で担当した東寺の五重塔の全高が55メートルですから約2倍です。


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 その後、今開催されている企画展「HEIAN掘る!」も案内してくださいました。私は知らなかったのですが、平安高校には地歴クラブというのがあり、昔から遺跡発掘調査で多くの成果をあげてきたとのことで、その発掘品や活動の様子が展示されていました。

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 今年は応仁の乱後550年で、今回案内いただいた山本副館長が2月26日に、上京区総合庁舎で「応仁の乱 洛中洛外図屏風に見る乱後の東陣」というテーマでお話されるそうです。是非、聴きに行きたいと思います。

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 帰り際に、この考古資料館で「京都歴史資料散策マップ」というのが無料でいただけるということが分かり、4つのコースの分をいただきました。全部で40のコースがあり、私の住む「大枝・桂坂」のものもありました。普通のガイドブックには載っていないようなことが分かりやすく書かれており、優れものです。一度には4つしかいただけないので、また見学がてら寄って、少しずつ揃えていきたいと思います。


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 帰りも五条大宮まで歩き、バスで帰ってきました。


 今日は、家内の実家の両親が、柳谷観音と山崎聖天だったか長岡天神だったか2箇所初詣に行った後、我が家に立ち寄ってくれたようです。年末年始に2泊3日で、須磨の国民宿舎泊の旅行をして3日に帰ってきたところです。その翌々日には2箇所の初詣ですから、まだまだ元気のようです。もう2人とも88歳になっているのですが。
 

(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:20:04 PM
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2016/09/13
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年9月13日(火)】

 今日はガイド会の奈良研修に行ってきました。新しく入ったメンバーが近鉄奈良駅前に午前10時集合。研修担当の方と先輩ガイド2名の方が、奈良公園周辺の観光スポットを歩きで案内してくださいました。

 観光ガイドは基本京都市域なのですが、修学旅行では京都に宿泊して翌日に奈良を見学する場合にときどきガイドの依頼があるそうです。そのため、このように研修が組まれています。

 奈良のガイドは、大きく分けて2パターン。東大寺など奈良公園周辺の観光スポットか薬師寺・唐招提寺などの西ノ京。これに法隆寺が加わる場合があるとのこと。法隆寺はバスで行くことになるが、本数が限られているので、バスの便をよく調べて行かなければいけないとのこと。唐招提寺はガイドの下見は無料だが、薬師寺は有料、法隆寺に至っては、ガイド当日もガイドは有料だとのことです。

 今日のコースは、


 近鉄奈良駅
 ↓
 興福寺(東金堂・国宝館。無料で拝観させていただきました。)
 ↓
 昼食(奈良をよくご存知の方がいて東向き商店街の
    「うどん むぎの蔵」に入りました。)
 ↓
 五重塔・三重塔(昼食時間を利用して、特別公開中のところを有志で拝観。
    興福寺友の会に入っておられる方がいて、割引き料金で拝観できました。)
 ↓
 東大寺(無料で拝観させていただきました。)
 ↓
 二月堂・三月堂(法華堂)(外からのみ)
 ↓
 春日大社(回廊内を無料で拝観させていただきました。)
 ↓
 近鉄奈良駅


マイマップ
 https://drive.google.com/open?id=1PWVYyiTTYuxdV6pCid2-BRpLLy8&usp=sharing

20160913-奈良Map.jpg


 地図上の計測で、歩いた距離は8.7km。
 

 奈良をこうやって時間をかけて回るのは、M社時代の1990年ごろ、アメリカからの長期出張者を案内したとき以来ですから、25年ぶりくらいです。

 興福寺の国宝館では、前から見たいと思っていた阿修羅像を見ることができました。
 
 やはり京都に比べて、お寺も仏像も古いし、お寺は大きくて広いです。大仏の迫力はやはり圧巻でした。天気が悪いこともあってか、全体的には人出がそれほどでもなかったように思いますが、東大寺だけは外国人観光客や修学旅行生でものすごく混雑していました。有名な柱の穴は、修学旅行生で長蛇の列でした。

 町は京都に比べると、しっとりと落ち着いています。京都の町には、京都の良さ、奈良の町には奈良の良さがあることを改めて実感しました。

 雨が途中で激しくなって、蒸し暑く、春日大社への坂道も含め、15,000歩強の歩きで、相当疲れました。

 京都は京都検定の勉強をしたり、主だった観光地は実際に何度も訪れたりして、修学旅行レベルの案内は不安がありませんが、奈良はほとんど白紙状態です。その機会があれば、事前に勉強し、もう一度下見をしたうえで、臨みたいと思います。

 
 現地解散して、近鉄京都駅まで戻ってきましたが、いっしょの電車だった仲間の某1さんと、某2さんから、夕食に支障のない範囲で飲みに行かないかと誘われ、京都駅北の室町通にある「ひょうたん」という立ち呑み屋さんに寄りました。・・・・・・

以降、下記に続きます。
http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201609130004/


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:18:36 PM
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2016/08/23
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年8月23日(火)】

 今日はガイド会の「三尾研修」がありました。三尾というのは、京都西北の山間地、栂尾(とがのお)・槇尾(まきのお)・高雄(高尾/たかお)を合わせた呼び方です。

 この地域には、高山寺(世界遺産)、西明寺、神護寺があり、特に秋の紅葉シーズンには人気のスポットで、非常に混雑します。お客様からの要望に応じて行う公募ガイドが、このエリアで多くあるとのことで、公募ガイドとしては件数の多いエリアになっています。今回入会した我々メンバーもいずれは、この公募ガイドを担当することになるので、今日、特別に研修が組まれました。

 京都駅八条口に朝7:30までに集合し、チャーターしたバスで、栂尾の高山寺に向かいました。歩いて、高山寺、西明寺、神護寺を巡り、また京都駅までチャーターバスで戻りました。



今日のコース


20180823-三尾.jpg

https://drive.google.com/open?id=1akdEYzFZNCpTpuz7HBUjcbFkaKs&usp=sharing


 いつものように先輩ガイドさんから、それぞれのお寺で説明を受けたのですが、今日、よかったのは、それに加え、それぞれのお寺の住職さんなり、お寺の方に直接説明いただいたことです。内容まではなかなか覚えることはできませんが、やはり宗教的に深堀りした説明が聞けて、とてもよかったです。今日が、一連の研修の中で、一番新たなことを知ることができた研修だったのではないかと思います。非常に濃い研修でした。

 さらに濃かったのが体力面。今日も京都は最高気温が36.0度の猛暑日でした。だいぶ標高が高いところなので、市中よりは気温が低かったとは思いますが、坂道が厳しく、体力的にはかなりきつかったです。移動時には、列が前後に長くなってしまいました。歩いた距離は4キロくらいですが、アップダウンで、相当疲れました。

 公募ガイドでは、三尾の後、さらに歩いて嵐山まで行くのが一般的なコースのようで、今日よりはさらに長い距離を歩くようです。今日のような天気であれば、これ以上歩くと熱中症になりそうです。しかし、実際には、真夏にはここのガイドの要請はないと思います。春、秋ならば、私は体力的には対応可能だと思います。もちろん、説明内容は勉強しないといけませんが。


 京都駅に帰って来てから、同期入会会員で、懇親のための昼食会がありました。現地研修で同じグループだった約半数の方は名前と顔が一致するのですが、あと半分の方の名前がまだまだ認知できていません。これから追い追いでしょう。次回は忘年会のシーズンに集まることになりました。


 自宅に戻ったら、家内と次女がいません。高槻の義父母の呼ばれて行っていたとのこと。次女は義父母の家から帰ってきてから、友達に会うとのことで夕刻にまた出かけました。家内と二人きりの夕食でした。

 オリンピックが終わり、夕刊の新聞記事が元の調子に戻りました。また、前の生活ペースに戻るでしょう。

 日本のメダル数41個は過去最高。逆転勝利の多い日本チームでした。それから3位決定戦での勝率が非常に高かったように思います。認識している範囲では、愛ちゃんが個人戦で負けた以外は全部勝ったのではないかと思います。

 4年後は地球の正反対であると同時に、治安面でも正反対の東京での開催。選手たち、観客たちが、幸福感を胸に終えることができるオリンピックになればいいなと思います。そして、私も何らかのかたちで貢献できたらいいなと思います。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:18:15 PM
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2016/08/12
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年8月12日(金)】

 シニアガイド会に入会して、初めて月例会がありました。場所は、事務所のあるビルの会議室。往きはバス・阪急・徒歩、帰りは徒歩・バスで、散歩も兼ねて往復しました。

 今回は、ミーティングの前に研修会がありました。先輩ガイドの方で、以前木材に関する仕事をされていた方がおり、「北山杉」を中心に木材の話を1時間弱してくださいました。北山杉の「台スギ」の育成方法や、「枝打ち」など、非常に専門性のあるお話でしたが、分かりやすくとても為になりました。また、一般的な木材の話では、例えば「まさめ板」と「いた目板」の違いも知ることができましたし、無垢の柱のように見えても、集成材による柱であこともあるということも知りました。


                   写真:無垢の柱に見えるが、実は集成材
20160812-木材M00245-1.gif 20160812-集成材250px-Fake_Innocence_Column.jpg


 研修が終わって月例会。今回入会の我々の紹介から始まりました。

 その後、色んなことが話されましたが、運営の方法についても、あれこれ知ることができました。

 10月の固定点の新規入会者への仕事担当割り振りもありましたが、私への割り振りはありませんでした。私は11月からということになります。

 9月の我々の修学旅行研修(先輩ガイドに付き添って学ぶ)2度の割り振りもありました。一日が健康診断と重なってしまいましたが、交替していただくことができました。

 月例会終了後、新規入会者だけ残って、毎月の勤務可否記入表の書き方を教えていただきました。

 今回の会議で、だいたい運営の様子が分かりました。


 今日も暑い一日でした。最高気温36.1度。一昨日が34.7度だった以外は、8月5日から猛暑日が続いています。


 明日、次女の夫君が東京から来て、高槻の義父・義母のところに挨拶に行くので、家内と次女は掃除や買い物に忙しくしていました。


 卓球男子、水谷選手、銅メダル。卓球男子初、個人戦初のメダル。痺れました。

 水泳女子200平、金藤選手、危なげない勝ち方で金メダル。すごい。

 柔道男子100キロ超原沢銀、リネールに当たるまで勝ったことはすごい。女子78kg超山部も銅。柔道は14階級12階級でメダル。過去最多はずごい。一方で、銅が多かった。今でも全員「金メダルを狙っています。」とは言っているが、実質的にはメダル死守だったのではないでしょうか。東京五輪は各階級とも真にナンバー1を目指す大会になるのでしょう。そのためには、練習方法も考え直さなければいけないのではないでしょうか。他の競技が、科学的手法を駆使しているのに比べ、柔道は過去の栄光があるのか、そのあたりの取り組みが遅れているように思います。

 バドミントンも好発進。テニス錦織ベスト4。

 陸上も始まりました。女子1万メートルで、従来記録を16秒も上回る世界新。オリンピックで緊張して記録を落とす選手もいれば、こういう選手もいるのですね。

 さて、オリンピックの競技のほとんどは、世界最高の舞台なんですが、中にはそうでない競技もありますよね。

 ゴルフは、そのときの調子で大きく左右されたり、コースの得手不得手があるので、年間通しての賞金額が重視されます。実質的にはPGAアメリカツアーが世界最高の舞台になっています。今回はジカ熱リスクで辞退した有名選手も多いです。

 テニスも、賞金の多額な4大大会があり、そちらの勝者のほうが評価されます。

 その中で、サッカーやラグビーはワールドカップを最高峰に位置づけて、サッカーは年齢枠を設け、ラグビーは7人制という別のかたちで、世界最高の場としています。これはこれで、うまいやり方だなと思います。

ボクシングではこんなニュースを見つけました。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016060100888&g=spo


ボクシング、リオ五輪でプロ全面開放=日本は参加認めない方針

 アマチュアボクシングを統括する国際ボクシング協会(AIBA)は1日、スイスのローザンヌで臨時総会を開き、8月のリオデジャネイロ五輪に全てのプロボクサーが参加できるようにする規定の改定案を賛成多数で可決した。AFP通信が報じた。
 AIBAは2013年に独自のプロ団体を設立し、その所属選手にランキングに応じてリオ五輪出場権を与えているが、今回の改定でプロ選手に全面開放する形となる。
 五輪出場に興味を示すプロボクサーがいる一方で、批判の声も多い。日本ボクシング連盟は日本のプロ選手の参加を認めない方針で、山根明会長は「アマチュアは教育の一環で、プロは事業。練習もルールも違う」と話している。
 プロ側も世界ボクシング評議会(WBC)は、アマ選手の安全面などから反対の姿勢を示している。3月には各階級の世界王者とランキング15位までの選手が参加した場合は追放すると発表した。
 リオ五輪の予選はすでに大半を終えていることもあり、プロ選手が参加することは現実的に厳しいと見られている。 (2016/06/01-20:25)



(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:19:48 PM
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2016/07/19
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年7月19日(火)】

 今日は、シニアガイドの新人研修第12日(実地研修は7日目)でした。

 今年入ったメンバーが、各人指定された場所で7分以内の模擬案内し、先輩ガイドから講評をしていただくという実地研修が行われています。

 今回はその3回目で最終回で、全研修の最終回でもあり、終了後には、打ち上げ懇親会がありました。

 皆さん3回目の模擬ガイドとなり、総じて前回よりさらに上手くなられたように思います。

 私の担当は南禅寺三門でした。南禅寺の歴史と三門について話しました。

 私自身も、準備については、あまり負担感なく、短時間で構想を練ることができました。

 今回も「紙芝居」を使いました。それと独自の工夫として、関係する小説の朗読を挿入しました。


◆南禅寺三門

 本日南禅寺の案内をさせていただく、シニア観光ガイド協会研修中の西山長明です。よろしくお願いします。

 まず最初に南禅寺の歴史についてお話させていただきます。

 南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山で、正式名は「太平興国南禅禅寺」といいます。

20160719-太平興国.jpg


 約750年前、鎌倉時代文永元年(1264)第90代亀山天皇が当地に離宮を造営されました。亀山天皇は東福寺第三世の無関普門禅師(大明国師)に帰依して法皇になられ、この無関普門禅師を開山として、離宮を禅寺にされました。これが南禅寺の始まりです。

20160719-無関普門.jpg


 鎌倉時代末期から、京都の禅宗の寺格、寺の格付けを定める京都五山の制度が作られました。これが当時の京都五山です。第一位から天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺と錚々たるお寺が並んでいます。南禅寺はそれらの上、すなわち「五山之上」に列せられ、五山の中で最も重要な地位を占めました。

20160719-五山.jpg


 南北朝時代に最盛期を迎え、境内の広さは10万坪に及びました。

 応仁の乱などの火災で、創建当時の伽藍は焼けてしまいました。

 徳川幕府の時代になり、伽藍が再建され、寺観が整いました。

 ところが、明治時代になると廃仏毀釈の嵐が吹き荒れます。南禅寺は徳川家と縁が深かったので、明治政府から特段の弾圧を受けました。10万坪あった寺領も半分以上が没収され、4万5千坪になり、25あった塔頭も12まで減らされてしまいました。

 この明治政府が没収した5万坪強の土地には、当初は琵琶湖疏水の水車動力を利用した工業団地が作られる予定でした。ところが水車動力ではなく水力発電に急きょ方針変更になりました。水力発電であれば、工場は遠方でもいいわけです。それで明治政府は琵琶湖疏水を引き入れた別荘地として売り出しました。それが現在山縣有朋の無鄰庵などを含めた南禅寺界隈の別称地群になっています。もし水力発電を取り入れるという方針変更がなければ、南禅寺の隣に、工場の煙突がニョキニョキ、煙がモクモクという状況になり、今とは全く違う東山の風景になっていたはずです。まさに歴史のあやと言えるでしょう。

 では目の前にご覧いただいている「三門」について説明します。

 現在の門は、江戸時代の寛永5年(1628)に藤堂高虎が寄進建立しました。高さは約22メートルです。国の重要文化財に指定されています。楼上には宝冠釈尊像、十六羅漢像などが安置されています。天井には、狩野探幽らによる極彩色の鳳凰・天人の図が描かれています。

 歌舞伎「楼門五三桐」にこの三門は登場します。石川五右衛門がこの三門の上から満開の桜を眺めて、「絶景かな、絶景かな」と見えを切る場面はあまりも有名です。ただ、石川五右衛門は三門が完成する24年前に亡くなっていますので、作り話ということになります。

20160719-楼門五三桐.jpg

楼門五三桐2--.jpg


 それでは、これから三門に上がっていただきますが、階段が急で危険ですので、必ず手すりやロープを持ってください。それから頭をぶつけそうになるところがありますから、注意してください。

 最後に余談です。この三門、三島由紀夫が書いた「金閣寺」に登場します。主人公が友人とこの三門に登り、ここからも見えていますが、南にある塔頭・天授庵をみおろし、ちょっとここではお話できないような衝撃的な情景を目にするという場面が有名です。興味のある方は是非お読みください。その直前にこんなくだりがあります。この三門を上る場面です。

『わずかな入場料を払って、木の色のすっかり黒ずんだ急傾斜の段を昇った。昇り切った踊り場で鶴川が低い天井に頭をぶつけた。それを笑った私も忽ちぶつけた。二人はもう一曲りして段を昇り、楼上へ出たのである。』

 多分三島由紀夫もここに取材に来て頭をぶつけたんでしょう。三門の上に立たれたら、60年くらい前に、この場所に三島由紀夫が立っていたということを思い描いてみるのも面白いかもしれません。神社仏閣や街並みが、小悦や映画に多く登場し、その同じところに立つという経験ができるのも、京都のまた違った魅力の一つといえるのではないかと思います。

それでは参りましょう。



 7分半くらいでした。やはり30秒程度オーバーしてしまいました。石川五右衛門は三門ができる前に亡くなってしまったいたというところを喋り忘れていました。講評では、「後半は良かったが、最初が自信なさそうな話し方だった。」とのことでした。自分では自信たっぷに話しているつもりでしたが、そうではないようです。慣れてくれば、よくなっていくとは思うのですが、一番気をつけなければならない点だと思います。


 講評いただいた内容で、参考になる点です。今回は、話し方の注意点以外に、内容について深みを持たせるためのアドバイスもいただきました。

*清水寺仁王門
・標高についての質問多い。100~120メートル。京都タワーが130メートル。
・門の扁額が読みにくいので、「清水寺」と書いてありますと説明。
・できるだけ、お客様のほうを見て話す。
・聞いてくれているかどうか確認しながら話し、内容を修正する。

*清水寺舞台
・子安の塔の説明を入れる。
・舞台から見える京都市内の景色について言及。
・舞台は展望台ではないことを、楽舎があることなどで説明。
・舞台の床板が斜めになっているのは、水が流れて板が腐りにくくするため。
・千手観音は2本の腕を頭の上で合わせているが、そのうえに仏を載せていることに言及
・蔀戸のカンヌキには金属製の蝉が取り付けられている。火災よけ。
・舞台の上は混雑することが多い。空いているところで案内する。

*清水寺地主神社

・「紙芝居」の字はよく見えるように大きく。小さい字しか無理なら、使わないほうがまし。
・恋占いの石は混んでいることが多い。修学旅行生ががどうしても行きたい
 という場合、友達に手を引っ張ってもらうのも方法。
・清水寺の坂を、修学旅行生に付いていくのが大変になれば、ガイドの潮時。

*清水寺音羽の滝
・人前に出ると、早口になりがちなので、注意。
・トイレの位置を知っておくこと。
・清水寺は修学旅行で100%訪れる重要なところ。
 #1清水寺、#2金閣寺、#3二条城

*南禅寺三門
・何故南禅寺が「五山之上」なのか(足利義満が相国寺を加えたため)の説明を
 入れるとよい。
・石川五右衛門が三門ができる前には亡くなっていたという話を入れるとよい。
・料亭瓢亭の説明も興味を持っていただける。
・南禅寺界隈別荘群はNHKの番組でも取り上げられ注目度が高いので、その土地
 が南禅寺から明治政府が没収して土地だという説明は興味を持っていただける。

*南禅寺水路閣
・琵琶湖疏水はモータで水を上げていると思っておられる方が多いので、そうでは
 なくトンネルを掘って落差を利用してという説明をするといい。
・南禅寺が徳川家と縁が深かったので廃仏毀釈の度合が厳しかったのだが、それは
 徳川家と敵対した長州藩の出身者が明治政府の要職についたためという話まで
 踏み込むとよい。

*南禅寺法堂
・「紙芝居」で方丈の襖絵の写真を見せて説明したが、後で訪問するなら前もって
 見せないほうがいい。目に見えないものを写真を使って説明するのが基本。
・軒丸瓦に「南禅」と彫られている。お寺によって違う。
・扉の軸受けの部分を「藁座」という。開けやすい構造になっている。

藁座
20160719-藁座.jpg
写真は妙心寺のもの。
出典: http://flattravel.blog.fc2.com/category12-2.html


*京都御苑 閑院宮邸跡
・スムーズに話ができるように。
・京都御苑が何故こういう姿になったかの説明が必要。
・京都御苑は環境省、御所は宮内省、迎賓館は内閣府が管轄。
 警察は御苑は京都府警、御所は皇宮警察(宮内省)管轄。
・四親王家は、当今の天皇の直系に男子が不在の際に皇位継承資格者を出し、
 万世一系とされる皇統の維持に寄与してきた。

*京都御所 猿ヶ辻
・思い出しながら話しをしているのはよくない。
・あまりむつかしい話は避ける。
・全くこの場所と関係のない話に終始し、自分の知識をひけらかすのはダメ。
・10名以上の団体で京都御苑を観光するときは届け出が必要。

*京都御苑 蛤御門

・道路の反対側に土御門邸跡の碑があることも説明するとよい。
・トイレの位置の把握、交通安全を確保することが観光案内の内容以上に大切。
・お客様が何を求めているかを把握し、それに合わせた説明ができるように。


 これで3日間の先輩ガイドによる案内、その後の3日間の今回入会者による模擬ガイドが終わりました。久しぶりに緊張感のある日々で、先輩ガイドのガイドの仕方、講評、それと同期入会者の方の模擬ガイド、とても勉強になりました。今後の参考にしたいと思います。

 午後3時頃には終わったでしょうか。午後5時半からの打ち上げ懇親会まで時間があるので、御苑の東にある京都市歴史資料館にいつもの3人で訪問しました。「よみがえる伏見城」という特別展をしていました。

 午後五時半から、京都ガーデンパレスホテルで打ち上げ懇親会でした。同期入会者と研修に関与した先輩諸氏が出席されました。この一連の模擬ガイド研修で皆さん同じ班の方々や、お付き合いいただいた先輩の方々と親しくなり、盛り上がった会になりました。

 同期入会者の各人1分スピーチがありましたので、私は「今回特に学んだのは、自分がしゃべる7分は短いと感じるが、人がしゃべる7分は長く感じるということ。このことを今後のガイドの活動に活かしていきたい。」と話しさせていただきました。司会をやられた先輩が私を紹介するとき「三味線が趣味です。」と紹介していただきました。面接のときの記録を持ってきておられたようです。

 梅雨も明け、暑い一日で、歩数も21,000歩を越え、お酒も入って疲れた一日、でもとても充実した一日でした。


 これで一通りの研修が終わり、8月3日に公式の入会式があります。その後、三尾や奈良での研修や、9月に修学旅行への付き添い研修があり、実際に報酬を得て仕事を開始するのは早い人で10月ごろになるとのことです。時間があるので、色々勉強したいと思います。

 家内の3週間に一度のクリニックの日でしたが、この研修でしたので、一人で行ってもらいました。

 また、私の月イチの三味線レッスンの日でしたが、ガイド研修の打ち上げ懇親会のため初めて欠席しました。ラッキーなことに3回パッケージの最初の回なので一旦退会し再入会というかたちをとったためレッスン料は無為になっていませんが。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:17:54 PM
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2016/07/12
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年7月12日(火)】

 今日は、シニア観光ガイドの研修第11日(実地研修は6日目)でした。

 前回から、今年入ったメンバーが、各人指定された場所で7分以内の模擬案内し、後から先輩ガイドから講評をしていただくという実地研修が行われています。。

 今回は、その2回目です。

 皆さん2回目で、総じて前回よりよかったように思います。

 私自身も、前回の模擬案内で、7分で話しできる分量や、説明のテクニックが、おおよそ掴めたので、前回に比べると短時間で、あまり苦労せず準備ができました。

 
 私の担当は金閣寺総門でした。金閣寺総門そのものは、説明すべきことがないので、金閣寺の歴史と参拝ルートについて話しました。

 前回は、書いたものを使いませんでしたが、今回は、試しにいわゆる「紙芝居」を作ってみました。最終版がこれです。



 金閣寺の案内をさせていただくシニア観光ガイド協会の西山長明です。よろしくお願いします。

 中に入る前に、金閣寺の歴史についてご説明いたします。

 鎌倉時代の1224年に、西園寺公経という公卿が、この地付近に「西園寺」というお寺をお造りになりました。その北側の別荘として寝殿「北山第」を建立されました。

西園寺.jpg


 それから約150年後の、室町時代の応永4年(1397年)、ですから今から約600年前ですが、時の室町幕府3代将軍の「足利義満」が当地を大変気に入り、西園寺家から譲り受け、山荘「北山殿」を造営しました。このときに、金閣が建てられました。

 11年後に足利義満公が亡くなられます。遺言によって、「北山殿」が寺に改められて、鹿苑寺という名の臨済宗のお寺になりました。足利義満公の法名が「鹿苑院天山道義」でしたので、鹿苑寺と名付けられました。金閣寺というのは、江戸時代以降に、中にある金閣にちなんでの通称名です。正式名は鹿苑寺です。

鹿苑寺.jpg


 さて、その後の金閣寺ですが、御多分にもれず、この金閣寺も応仁の乱で荒廃します。それを桃山時代に「西笑承兌」和尚という方が復興されました。

西笑.jpg


 ところが昭和25年、今から65年くらい前、このシンボル的な存在の金閣が放火によって燃えてしまいました。

しかし昭和30年に再興し、その後も金箔を張りかえたりして、現在の眩いばかりの金閣が維持され続けています。そして、金閣寺は「古都京都の文化遺産」の一つとして世界遺産に登録されています。

さて、こんなに有名で何もかも知る尽くされているような気さえする金閣寺ですが、先週の7月9日の朝刊に、驚くべきニュースが新聞に載りました。これです。

新聞1.jpg

新聞2-1.jpg新聞2-2.jpg

五重塔などの仏塔の頂上部に使われる「九輪」の一部が金閣寺の境内で見つかりました。この九輪の直径は2.4メートルと推定され、これからこの塔の高さは、木造建築としては最も高い100メートルを超える高さで、この仏塔は義満が建てたと伝わる「北山大塔」ではないかと考えられています。現存する木造建築で最も高いのは、東寺にある五重塔です。高さは55メートル。その倍の高さということになります。大阪の通天閣が103メートルですので、いかに高いかがおよそイメージしていただけるのではないかと思います。残念ながら、完成直前に落雷で焼失してしまったようです。私も、そんな塔が存在していた可能性があるというのは初めて知りました。まだまだ分かっていないことの多い金閣寺です。

IMG_0006.jpg



 これが金閣寺の境内の地図です。現在地はこの総門です。この赤い線に沿って進んでいただきます。門を入りますと、すぐに鏡湖池に浮かぶように金閣が見えます。ここで金閣の詳しい説明やその後の見どころを説明させていただきます。

kaidaizu .jpg


 歩き終わったところに茶店や朱印所があります。ここで少し時間をとりますので、お土産や、お守りを買われる方、ご朱印をいただかれる方はここでお願いします。お守りはキティーちゃんやキキララのお守りも人気があるようです。途中ここにもお守り売り場がありますが、最後のところで買っていただくようご協力お願いします。

 ちなみに、さきほどの北山大塔は、このお土産どころの階段を下りた駐車場の横あたりに建っていたのではないかといわれています。帰りがけに、当時の景色をちょっと頭に思い描いてみると面白いかもしれません。

それから、入場する時に、パンフレットといっしょにこのような御札をいただきます。お帰りになったらお札として大切に扱ってください。もし、不要という方がいらっしゃいましたら、途中に返却箱がありますので、そちらのほうにお返しください。

 トイレは中に入るとこの茶所までございません。ここまで20分から30分だと思います。この場所にトイレがありますので、入場する前にここでトイレタイムをとりますので、必要な方は行っておいてください。

 それでは、受付まで進みましょう。



6分で合図があり、7分でもう一度合図があります。きっちりと7分に収まるように原稿は作らなかったので、7分をオーバーしてしてしまい、最後「トイレ」の部分を削ったにもかかわらず、7分20秒かかってしまいました。



全体講評いただいた内容です。

・あいさつは最初、最後しっかりと。
・分からないことは話さない。
・ストーリーに沿って
・「エー」という言葉、早口はダメ
・お客さに指名して話をさせたりしてはいけない。笑いをとることは不要。
・「紙芝居」は文字を大きく。
・写真を見せるのは、分かりやすく有効。

今後の参考にしたいと思います。それから、公の講評にはでてきませんでしたが、私の説明が終わった後、先輩世話役の方から「金閣寺は放火で焼けているのは事実だけれども、金閣寺の中でのガイドでは『放火』という言葉を使ってはだめですよ。」と注意されました。講義の中でもそんな説明があったことを思い出しました。うっかりしていました。 



 朝から、非常に蒸し暑い一日でした。雨も降ったり止んだりで、今日は何度か傘を使わないといけなかったですが、大雨にならなかったのは幸いでした。早めに終わって、午後4時には家に戻りました。暑さと湿気と歩き(約11,000歩)で疲れました。

 

 次回は、1週間後の7月19日。私の担当場所は南禅寺三門です。これで当面の研修は完了で、晴れて8月3日に正式入会ということになります。



 家内は友人と車で和歌山県に「桃刈り」に行ってきて、私とほぼ同時に帰宅でした。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:13:25 PM
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2016/07/08
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年7月8日(金)】

 今日は、シニアガイドの新人研修第10日(実地研修は5日目)でした。

 今回から3回は、今年入ったメンバーによる模擬案内です。過去3回、先輩のガイドさんに案内してもらったところのうち、各人指定された場所で7分以内の模擬案内し、後から先輩ガイドから講評をしていただくというものです。

 今日はその第1日で、八坂神社、伏見稲荷、東寺でした。

 私は、東寺金堂が担当でした。

 皆さん、私も含め、ほとんどの方は観光ガイドは初めてです。声が小さくて自信なさそうだったり、ど忘れして頭が真っ白になったりとか、ちょっと小学校の学芸会を見ているようでもありました。

 中には、うーんとうならせるような話術で話されたり、小道具を準備して訴求力を高めたり、初めて聞くような詳しい歴史的な背景を説明したりと、個性に溢れた説明をされる方もいらっしゃって、色々参考になりました。

 私自信は、結構、事前に練習しましたが、どうしても制限時間7分をオーバーしてしまい、どんどん説明を削ぎ落としていったこともあり、最終バージョンではほとんど練習できないままで本番に臨みました。私の番は、最後の方でしたので、朝からずっと緊張していました。


 最終版がこれです。東寺金堂の説明です。


 このお堂が金堂です。この金堂、そして北の講堂、食堂が南から一直線に並んでいるのがこの東寺の伽藍配置の特徴です。この配置は建設当初から今まで、ずっと維持されてきました。

ここから見える金堂以外の建物について、まず説明させていただきます。

この方向に見えます門が、東寺の境内の一番南にある門、南大門(みなみだいもん)です。門の向こうは九条通です。平安京の九条大路です。九条大路は平安京の一番南の通りですから、このことからも、東寺が平安京の一番南に造営されたということが分かっていただけるかと思います。

もとあった南大門は、明治元年に焼失しました。その後、明治28年に、三十三間堂の西門が移築されるかたちで再建されました。もとは17世紀初めに建てられたものですので、桃山建築の特色が随所に見られ、国の重要文化財に指定されています。

 南西隅の建物が灌頂院と呼ばれる建物です。ここでは、後七日御修法という真言宗で最も重要だといわれる儀式が毎年1月8日から7日間行われます。弘法大師の時代からずっと宮中で行われてきた行事ですが、廃仏毀釈もあって、明治16年からこの灌頂院で行われるようになりました。現在の建物は江戸時代のもので、国の重要文化財に指定されています。

 それでは、金堂について説明します。金堂とは本尊を安置する本堂のことです。当初のお堂は室町時代に焼失し、その後1世紀近く再建されませんでした。今のお堂は江戸時代の初め、豊臣秀頼の寄進によって再建されたもので、奉行まぁ建築責任者ですね、それには片桐且元が任命されということです。東寺にある4つ国宝建築物の一つです。

 入母屋造本瓦葺きです。外観からは二階建てに見えますが、この下の屋根のように見えるのでは、裳階(もこし)で、中には2階はありません。建築様式は和様と天竺様が併用されています。中央の上方には本尊のお顔が見えるよう小窓が設けられています。

 中の仏像についても説明しておきます。ご本尊の薬師如来が須弥壇の上中央に安置されています。像の高さは約3メートルあります。後ろの後光の部分を光背といいますが、この光背と台座を含めると高さは10メートルにも達する大きなお像です。

 薬師如来は普通、手にやっこという薬の壺を持っていますが、ここのお薬師さんはそれを持たない旧式スタイルです。

 光背には薬師如来の化仏である七体の七仏(しちぶつ)薬師が置かれていますので、それもご覧ください。

 台座の方もご覧ください。薬師如来の眷属、眷属とはいわば部下のようなものですが、その眷属である十二神将の小さな像が十二体置かれています。

 薬師如来に向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩が安置されています。薬師如来も含めて薬師三尊像と呼びます。この三尊像はこの金堂が再建されたときに造られたもので、桃山時代の大仏師康正の作で、国の重要文化財に指定されています。

 それではお堂の中に入っていただきます。中では重ねて説明はいたしませんが、何か質問がございましたら、遠慮なく声をかけてください。堂内での写真撮影はご遠慮ください。それでは、中にお入りいただき、10分後のX時X分にもう一度ここにお集まりください。



 読んで5分ですので、実際に話す場面では7分程度になるのではないかと踏みました。 

 私の番が来て、この原稿に沿ってガイドをしました。

 ガイド対象の建物の方向に体を移動させる、色んな人に目線を向ける、大きな声で、ゆっくりと分かりやすく説明するなどはできたと思います。

 しかし、上記の「入母屋造」という言葉、「台座」というありきたりの言葉などが出てこず、結構な時間詰ってしまいました。まだまだ自分のものになっていないということです。6分で「あと1分ですよ」という合図が出ますが、それを見たとたん焦ってしまい、七仏薬師、十二神将像の説明を飛ばしました。しかし、結局7分には達しないまま終わりましたので、焦らず落ち着いていれば、七仏薬師、十二神将もちゃんと説明できたと思います。


全体講評いただいた中で、頭の中に残っていることをランダムに列挙します。

・ガイドは態度も見られている。対象の観光客だけでなく、他の観光客に対する心配りも必要。

・対象物の方向に顔を向けて話すと、声が急に小さくなる。常にお客様に顔を向けて話す。

・参考資料を使うことは有効。それは頭上に上げて見せること。お腹の前では下向いて話すこと
 になる。

・神社、お寺の門から入るとき、出るときはエチケットとして一礼する。

・知識が十分ないものは説明しないほうがよい。

・目に見えるものを質問されることが多い。ガイドブックに載っていないことも質問される。
 目に見えるものに関心をもって、調べてほしい。

・トイレの場所、お土産は、歴史的な話しより重要な情報。

・ほとんどの話は忘れられてしまう。何か一つ印象深いものを持って帰っていただくように
 心がける。

・説明時、お客様が他の観光客の道を塞いでしまうことのないような誘導も必要。

・ガイドは室内では脱帽。ガイドするときも脱帽。(後者は、ここまですべきか少々疑問ですが)

・神社仏閣などの場合は、再建は「サイケン」ではなく、「サイコン」と言うこと。
 (そんな例がいくつかあった)

・同じ漢字でもお寺によって読み方が異なる場合も多いので、漢字の読み方には最新の注意を
 払うこと。

・「~天皇さん」とかの馴れ馴れしい言い方は避ける。

・「この神社、銭儲けうまいでんな。」というような説明はしてはならない。


他の方のガイド、この講評とも大いに参考になりました。


 朝から、非常に蒸し暑い一日でしたが、幸い傘を差さなければならないような雨は降りませんでした。

 午前中の八坂神社では、普段は見ない提灯が飾ってありました。祇園祭の時期の特別な提灯だと思います。老舗の名前が多く見られます。

P1160567.JPG
 

 次回は、4日後の7月12日。私の担当場所は金閣寺総門です。これから話す内容を考えねばなりません。今回で7分で話しできる分量がおおよそ分かりましたので、少し気が楽になったような気がします。



 帰りに、3ヵ月に一度の歯医者(メンテナンス)に寄り、ついでに眼科にも寄ってから帰宅しました。眼科は、緑内障になっていないかどうかに定期的確認です。その様子は別途アップします。


 次女は今晩から2泊3日で、友人の軽井沢の別荘行きです。以前も伊豆の別荘に招待してもらったことがあるのですが、同じ友達の所有だそうです。2つも別荘を持っているということですね。もちろんこの友人の所有ではなく、会社経営をしているお父さんの所有ということですが。今日は、名古屋の友達のところに泊って、明日車で軽井沢に行くとのことです。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:08:50 PM
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2016/07/06
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年7月4日(月)のシニアガイドの新人研修第9日(実地研修は4日目)の続き-その2です。(初回投稿はこちら、続き-その1はこちら


 二条城の後は、各自昼食をとったうえで、この日最後のスポット南禅寺に集合です。

 交通機関は、地下鉄で二条城前から蹴上まで行って、インクラインの下をくぐって金地院の前を通って行くのが確実で早そうです。

 問題は昼食。いつもの3人で相談です。二条城近くで手ごろな値段で、短時間で食べられるところがなさそうなので、とりあえず南禅寺近くまで行ってみることに。これが失敗。南禅寺近くには、湯豆腐を食べさせるいい値段のところしかありませんでした。

 有名な「湯豆腐・順正」の前の呼び込みのお兄さんに聞いたら、「素麺ならあります。」とのこと。それでも高いだろうなと思いながらも、暑い中これ以上探し回るのも大変なので、この順正に入ることに。

 湯豆腐コースはさすがにお高いし、時間もかかるでしょうが、素麺980円、天ぷら素麺1440円というメニューがあり、3人とも天ぷら素麺をオーダー。集合時間まで、そこで過ごしました。

 外に出たら、何やら見覚えのある石の門。京都関係の番組、確か「美の京都遺産」で見たことがあります。しかし、何だったかは憶えていません。呼び込みのお兄さんに聞いてみました。
 
 順正のお座敷は、もともと丹後出身の江戸期の蘭方医新宮涼庭ゆかりの学塾・順正書院。いわば医学校。国の登録有形文化財に指定されています。今は湯豆腐を供する料理屋ですが、「順正」の名前はこの書院の名前に由来するようです。

 ちょっとお高い昼食でしたが、予期せず「順正書院」を観ることができてよかったです。


順正書院
 国の登録有形文化財
P1160556-.jpg



石門
 「名教楽地」と刻まれています。これも国の登録有形文化財。
P1160555-.jpg




●南禅寺


三門と方丈には、観光ガイド研修ということで、無料で入らせていただきました。

それぞれ、私は2回目だと思います。南禅寺の境内は何度も来たことがあります。


今回、新たに知ったことを列挙します。

・三門は、歌舞伎狂言「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の石川五右衛門のセリフ「絶景かな。絶景かな。」で有名。しかし、三門は寛永5年(1628)に建てられ、 石川五右衛門が亡くなったのは、文禄3年(1594年)とされるので、三門に上でこのセリフというのは、史実としてはあり得ない。

・三門前右方の巨大な石灯籠は寛永5年の三門落慶の際に佐久間勝之が供養の為に奉献したもので、高さ6メートル余り。日本三大燈籠の一つ。あとは熱田神宮、上野東照宮。

・三門と法堂の間に最初は仏殿があったが、今はない。そのため普通は仏像を安置しない法堂に仏像が安置されている。

・水路閣は今でこそ観光スポットだが、建設は京滋時代廃仏毀釈の流れの中で強引に行われ、南禅寺にとっては屈辱的な出来事だった。

・南禅寺もそうだが、京都の色んな寺院で7月から8月にかけて、早朝に僧侶や著名人の話に耳を傾ける「暁天講座」が行われる。普段観れないところも、特別に観ることができたりする。

・水路閣の横を上っていくと奥の院があるが、おどろおどろしい場所として、知る人ぞ知る人気スポット。


方丈庭園
P1160557-.jpg

P1160558-.jpg

P1160559-.jpg



 途中で雷が鳴り、一度近くで落ちたような音がしたのですが、幸いその一度だけで、雨も降らずラッキーでした。ガイドをするときは、悪天候のとき、どう対処するかも考えておかねばなりません。


 これで3日間合計9寺社の先輩会員による模範案内が終わりました。

 今後、3日間同じ場所を回り、各自指示のあった場所で、模擬案内を各7分以内ですることになっています。

 私は、東寺金堂、金閣寺総門、南禅寺三門が当たっています。1日目は明後日です。すでに少し考え始めていますが、今日と明日で、東寺金堂での案内の内容を考え、話す練習をしねければなりません。


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最終更新日  2019/08/25 10:08:14 PM
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2016/07/05
テーマ:京都。(5711)
カテゴリ:研修会
2016年7月4日(月)のシニア観光ガイドの研修第9日(実地研修は4日目)の続き-その1です。(初回の投稿はこちら

 清水寺での研修を終え、次は二条城。清水寺の仁王門の前で、指導の先輩ガイドさんから、「皆さんそれぞれで、交通機関を考えていただき、二条城前に11時15分までに集合してください。」という指示でした。

 いつも行動をともにしている3人で、茶わん坂を下り、五条坂バス停から202系統のバス1本で、堀川丸太町まで行くことにしました。ところがバス停の前の信号で待っていたところ、202番のバスがちょうど出るところでそれには乗れませんでした。他の方は、次に来た別の系統のバスに乗りました。途中で乗り換えるとのこと。我々は、本数も多いし、時間もあるので、次の202番のバスを待っても間に合うと踏み、次の202番を待つことに。これが失敗でした。10分ほど待って次のバスが来たのですが、渋滞はしていないものの結構時間がかかり、堀川丸太町に着いたときには、すでに11時20分。そこから走っては歩きして、二条城前に着いたのは11時25分。10分遅刻。

 202番にすぐに乗れなかった時点で、乗り継ぎで行くことを選択すべきだったし、よしんば次の202番を待って乗ったとしても、間に合わないことはほぼ明確だったので、途中の東山三条で降りて、スピードが早く、降りてから集合場所まで近い地下鉄に乗り換えるべきでした。後者の方法は私はうっすらと気が付いたのですが、他の二人に提案するることをしませんでした。

 10分の遅刻で皆さんを待たせてしまいました。指導者の方から叱責を受けはしませんでしたが、ガイドとしては失格の行為です。

 さて二条城です。ここもガイド研修ということで無料で入場させていただき、二の丸御殿は、団体入場口からの入場でした。

 新たに学んだことを列挙していきます。


●二条城

・徳川将軍で二条城に入ったのは、家康、秀忠、家光とその後は、家茂、慶喜だけなのは
 よく知られているが、将軍宣下の場所はまちまち。
 徳川家康、秀忠、家光は伏見城で将軍宣下を受けた。二条城で祝賀の宴が行われた。 
 徳川家茂の将軍宣下は江戸城。徳川慶喜の将軍宣下は二条城。

・日本百名城の53番として選定されている。

・二条城は平安京の町割りに対して約3度の傾きがある。宣教師によって航海技術として
 日本にもたらされた磁石を用いたため。方位の北と磁石の北がずれているため。
 
 確かに・・・
20160705-二条城角度.jpg


・記念写真のスポットの一つが、唐門。改修されて豪華絢爛さが復活したので。

P1160553-.jpg


・徳川の三つ葉葵の家紋は天皇家の菊の御紋で覆われたり、変更されたりしているところ
 がほとんどだが、襖の引き手や屋根の瓦の一部に残っているところがある。

・狩野尚信や探幽の弟。狩野興以は探幽の叔父(こちらは間違いのようです)。

・大広間三の間には厚さが35cmもあるヒノキの欄間が飾られている。車寄のものと同じく
 表と裏でデザインが異なる両面透かし彫り。表が孔雀、裏が牡丹。

・白書院は鶯張りではない。
 白書院には将軍以外の男性は入れなかったので、武者隠しには屈強な女官が隠れた。

・鴬張りのメカニズムを目で見ながら説明できる場所がある。「大広間」南側の
 廊下の下をのぞくと、下記の写真の機構が見える。
20160705-鶯張.jpg


・二の丸庭園の南側芝生部分は、後水尾天皇の行幸御殿が建てられた場所。

・本丸御殿は耐震性不足で公開されていない。

・今の清流園の庭園のある場所は、戦後の占領下GHQのテニスコートとなった。



 二条城での研修を終え、この日最後の訪問先である南禅寺に地下鉄東西線で移動しました。

 思わぬところで昼食を摂ることになりました。


(続きます)


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