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ワルディーの京都案内

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講演会

2017/10/28
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テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年10月28日(土)】

 今日の午前中は、我が住宅のハウスメーカーによる点検(10年目の最終無償点検)の予定でした。もともと10月7日の予定だったものが、雨で今日に延期になったのですが、朝ハウスメーカーから電話がかかってきて、雨のためまたまた延期。

 午前中時間ができたので、床屋に行ってきました。少し前までは、1ヵ月半に一度行っていたのですが、髪の毛の伸びるスピードが遅くなったためか、最近は2ヵ月に一度でだいじょうぶです。(笑)

 午後は、招待券があるサッカーJ2の京都サンガの試合を西京極競技場で観戦し、夕刻、これも招待券のあるバスケットBJリーグの京都ハンナリーズの試合を西京極体育館で観戦することにしていました。家内と連れだってです。ただ、雨が降っていたので、サッカー観戦は雨が降っていればやめようかなと思っていました。

 床屋から帰ってくるとき、近所の日文研(国際日本文化研究センター)の一般公開の看板を見つけました。一般公開は毎年やっているのですが、今まで行ったことがありませんでした。こりゃ行かなきゃと思い、雨も降り続いていたので、サッカーは観戦はキャンセルして、バスケットボールだけ見ることにして、日文研の見学に行きました。家内を誘いましたが、家内は行かないとのこと。







 午前の講演会は聴けませんでしたが、午後からの講演会には間に合いました。講演会まで少しだけ時間があったので、「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎の俯瞰地図の展示などを見学しました。


昭和天皇即位大礼時の俯瞰図
 博覧会が開かれ、二条城の西側が西会場、岡崎公園が東会場、国立博物館付近が南会場になったようです。かなりデフォルメされていて、琵琶湖なども右上に描かれています。





嵐山付近
 渡月橋がものすごい長い橋になるなど、かなり強調されています。



大連
 初三郎は日本統治時代の外地の俯瞰図も描きました。





大連ヤマトホテル
 満鉄ホテルチェーンです。








原本の展示





 講演会は大ホールでありましたが、9割がた埋まってでしょうか。講演者の一人磯田道史さんの人気もあるのでしょう。

 「日本史の戦乱と民衆」というテーマで、4人が各20分ずつ講演したあと、座談会をするという形式でした。

 戦乱というと、武将・将軍・貴族・天皇などの視点から語られることが多いが、民衆の視点から見るということも必要ではないか。色んな歴史上のイベントを民衆の視点から見るとこう見えるというお話でした。


●石上阿希氏 司会

●倉本一宏氏 白村江の戦と民衆

●呉座勇一氏 応仁の乱と足軽

●フレデリック・クレインス氏 欧文資料に見る大坂の陣

●磯田道史氏 禁門の変時の民衆



 いずれも面白いお話でした。そして、今まで文献による研究の面白さ、苦労というのは、なかなかピンと来なかったのですが、今は自分自身がそれをやっているので、よく理解できるようになりました。

 磯田氏が最後に「是非、五条楽園と会津小鉄会の関係を研究してみたい。」とおっしゃってました。あの場所にあれかという感じで、会の基務所がありますが、やはり関係があるのでしょうか。

 来年は、事前に調べて時間をとって見学したいと思います。


フレデリック・クレインス氏の講演で出てくる大坂の陣についてのオランダの文献
  人の顔は徳川家康







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最終更新日  2019/06/11 06:15:35 AM
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2017/07/27
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年7月27日(木)】

 ガイド5連続OFF日の最終日です。ロームシアターで開催の「京都創生推進フォーラム」のシンポジウムに行ってきました。無料で家内の分も含め2人分申し込んであったのですが、家内が2週間に一度の気功だったので、一人で行ってきました。

 京都の町なかに行くのであれば、何かついでに済ますというスケベ根性が出ます。ロームシアター近くの府立図書館で客員研究対象の伏見稲荷の文献を物色しようと早めに出ました。

琵琶湖疏水と慶流橋




 岡崎エリアには、多くのレトロ建物があります。

藤井斉成会有鄰館
 設計:武田五一 竣工: 1926年



京都市美術館
 設計:前田健次郎 開館:1933年(昭和8年) 昭和天皇即位の礼記念



京都市美術館別館別館
 旧・京都市公会堂東館、京都会館別館 1931年(昭和6年)竣工



京都府立図書館
 1909年(明治42年)竣工 武田五一設計 ファサード保存




 京都府立図書館に到着。ところが今日は休館日。お隣の「みやこめっせ」で、京都の伝統産業の展示物などを見学しました。今日は、京鹿の子絞りの実演をしました。京都検定のテキストに、伝統産業の解説はありますが、言葉中心で分かりにくいです。しかし、今日は現物を目の当たりにすることができ、色んな伝統産業について、より詳しく知ることができました。

 昼食は、伝統産業見学前に、みやこめっせ内の「浮船」というレストランでいただきました。定食類は1000円超えますが、丼、麺類は1000円以下と、修学旅行でも使えそうです。1000円(税込)の浮舟ランチをいただきました。味は良かったです。










 帰ってきてから、ガイド同期仲間で共有している修学旅行生向き食事処一覧表を見ると、このお店は掲載されていませんでした。掲載してもいいのかもしれません。


 時間が来たので、ロームシアターのサウスホールへ。それほど大きくないホールで700人収容とのこと。無料ということもあり、ほぼ満員の盛況でした。




 最初に茂山一門により狂言「因幡堂」が演ぜられ、その後、京都商工会議所・立石義雄氏、引き続き京都市長の角川大作氏から挨拶がありました。立石氏、角川氏とも直接拝顔させていただくのは初めてです。

 その後、パネルディスカッションが「京都から考える日本文化の多様性と地方創生」というテーマでありましたが、ありきたりの内容で私にとっては、期待外れでした。






 これでガイド5連続OFFが終わりました。現役の頃の夏休みのような気分を味わいました。再就職したN社では、夏休みというものがなかったので、5年ぶりの感触でした。


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最終更新日  2019/06/05 03:47:24 AM
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2017/07/15
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年7月15日(土)】

 午前中、7~9月にガイドをする「京の夏の旅」下鴨神社の下見をしてから(こちら)、京都アスニーの京都学講座の聴講をしました。京都学講座は、事前申し込み必要なしの、無料のセミナーです。

 「重要文化財の保存と活用について」と題しての、京都市文化財保護課 松浦大輔さんのお話でした。講師の方はずいぶん若いお方でした。




 とりあげられた事例が「二条城」と「旧三井家下鴨別邸」でした。「旧三井家下鴨別邸」は、4~6月の固定点ガイドで担当したところだし、「二条城」は9月1日に、「京都ウェルカムサポーター養成講座」で現地ガイドとして担当するところなので、是非ともと思い聴講しました。

 事前に旧三井家下鴨別邸で同時に勤務した方々や、同期のガイドの方々にも案内をしていました。会場でお会いしたのは、下鴨別邸の担当だったときに責任者だったNさん♀、いっしょに仕事をした同期のMさん♂だけでした。あと、スタッフの責任者の一人Tさん♂も来られてたし、ボランティアで来られていた方もお見かけしました。


 
●二条城のお話で新たに知ったこと。

・二条城は史跡に指定されているが、そこには周辺の堀川通なども含まれる。

<唐門について>

・重要文化財の唐門について、瓦屋根なら耐用年数は50年から60年だが、檜皮葺きなので20~30年しかない。丹波産の檜皮が使われる。

・西に龍、東に虎が彫られている。守護神と考えれる。京都の四神相応とは何故か逆

・蝶と牡丹が彫られている。蝶は長寿を表す。

・南側に蓬莱山を載せた亀が彫られている。
 
 蓬莱山は中国、古代における想像上の神山。仙人が住み、不死の薬をつくっているとされた。

・北側には亀に乗った仙人が彫られている。

 この仙人は黄安(こうあん、通称:亀仙人)。前漢・武帝の時代の仙人。3尺もある亀に乗っており、その亀は3000年に1回しか首を出さなかったと言われる。黄安は5回出したのを見たといわれ、単純計算でも黄安は1万5千年生きたことになる。

・妻には3体の唐獅子×両側。領域を守る動物。

・垂木鼻先金具で,菊紋の下に葵紋を発見。前回修理(昭和48年~50年度)で破風飾金具の菊紋裏に同様の葵紋があることは知られていたが、この部分に関しては新発見と言える。

・唐破風の漆は日光で白くなっていたので、塗り替え。30工程に及ぶ。塗って塗ってを繰り返す。


<東大手門について>

・H26年度~H28年度に修理。前回の修理は昭和25年。

・漆喰塗り 火に強い。蔵などに用いられる。石灰、紙すさ、糊を混合。

・平瓦と丸瓦を組み合わせた本瓦葺き。下に土居葺きがあったが、屋根が重くなるので、のじ板に変更。


●旧三井家下鴨別邸について新たに知ったこと

 我々がガイドをする中で知った知識以上のことは、多くはありませんでした。

・近代和風建築の特徴の一つは、木の組み方の進歩や、鉄材の使用なので、大きな開口部をもつ建物が作れるようになったこと、

・柱を露出させた、真壁造り。漆喰塗り。一部灰色の漆喰で鼠漆喰と呼ばれる。

・昭和10年に京都大洪水で床上浸水。昭和40年に拡張工事。このときアルミサッシがはめられた。


 下鴨別邸の説明では、最後に講師の方が、「現在公開しており、ガイド会の方が玄関棟で案内してくださいます。2階は8月に期間限定で特別公開されます。」と、我々の仲間がガイドをしている写真を見せて紹介してくださいました。しかし、最後の質疑応答で、「公開は8月のときだけですか?」という質問も出て、常時公開されているということの認知度がまだまだ低いようです。


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最終更新日  2019/06/05 01:27:49 PM
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2017/07/09
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年7月9日(土)】

 下京区御幸町通仏光寺下ルの「京都市学校歴史博物館」(元開智小学校)の講演会に行ってきました。事前申し込みで満席でキャンセル待ちだったのですが、申し込みが多かったため、収容能力の大きい講堂に会場が変更になり参加できました。

 家内は京都コンサートホールにクラシックのコンサートを聴きに行くので、車で先に送って会場近くのコインパークに停めて会場へ。


京都市学校歴史博物館




演題:【幕末維新期の京都と教育】
講師:同志社大学文学部教授 小林丈広





 京都は番組小学校というかたちで日本初の小学校が建てられましたが、これは全く新しい考え方に基づくものではなく、江戸時代から連続性を持ったものであるというのが氏の基本的な考え方のようです。

 その中で、京都・地方にできた私塾をいくつか氏があげておられましたが、全く知らない人名が多くでてきました。断片的ですが、出てきた人名を中心に記します。後刻自分で調べたことも含みます。


 京都では皆川淇園弘道館。これは聞いたことがありましたし、弘道館跡碑も見たことがあります。

 さらに江戸時代の陽明学者、春日潜菴。上京区烏丸通一条上る三筋目西入南側に碑があるそうです。初めて知りました。

 江戸後期、西欧医学導入の基礎となる蘭学を京都など西日本に広げたのが小石元俊。医学塾「究理堂」を開設しました。小石家は現在の9代まで、途切れることなく庶民の医家としてつづいています。中京区釜座通竹屋町下ルにあり、究理堂跡碑も建てられています。
 
 山本亡洋読書室。油小路五条上ル。石碑があり、宅も残っている。江戸後期の本草家、医家。この石碑は訪れたことがあります。
 
 青谿書院は弘化4年(1845)池田草庵が35歳の時に兵庫県養父市八鹿町宿南に開いた漢学塾。初めて知った人物です。

 広瀬淡窓(ひろせ たんそう、天明2年4月11日(1782年5月22日) - 安政3年11月1日(1856年11月28日))は、江戸時代の儒学者で、教育者、漢詩人でもありました。豊後国日田の人。1805年(文化2年)には豆田町にある長福寺の一角を借りて塾を開き、咸宜園(かんぎえん)へと発展させました。妙心寺塔頭養徳院でこの1~3月ガイドをしたとき、ご住職が名誉会長を務める「薪流会」の名の元になった漢詩を書いたのが広瀬淡窓でした。意外なところで繋がりました。

 菅茶山(かん ちゃざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身で、1781年(天明元年)頃、神辺(現在の福山市)に私塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開きました。塾は1796年(寛政8年)には福山藩の郷学として認可され廉塾と名が改められました。初めて知った人物です。

 山田方谷(やまだ ほうこく、文化2年2月21日(1805年3月21日)~明治10年(1877年)6月26日)は、幕末期の儒家・陽明学者。備中松山藩士。藩校有終館や方谷自身の私塾、明治以降には備前の閑谷精舎(閑谷学校)などで多くの子弟を教えました。初めて知った人物です。

 やがて明治維新。京都の香商鳩居堂7代目当主、香具屋久右衛門(熊谷直孝)が新政府の資金調達に1500両を供出したとされます。明治初年に種痘所の有信堂を再建,また全国最初の小学校(上京第27校・柳池小学校)を明治2(1869)年に開校させるなど京都大年寄として近代化に積極的な役割を果たしました。


 講演の内容は、開国による物価の高騰の話を絡めながらの、江戸時代から明治初期に繋がっていく教育の体系的なお話だったのですが、それをまとめる力はありませんので、上記断片的な内容に留めます。


 家内をコンサートホールでピックアップして帰りましたが、途中ひどい雷雨になりました。九州はまだ豪雨が続くようで心配です。もういい加減にして欲しいところです。


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最終更新日  2019/06/05 01:00:27 PM
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2017/07/08
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年7月8日(土)】

 午前中、ほぼ2ヵ月ぶりの床屋。以前は1ヵ月半に一度行っていたのに、今は2ヵ月に一度になりました。短くカットしてもらっているからかもしれませんが、以前、ゴルフ仲間の先輩方に尋ねたら、やはり加齢とともに床屋の回数は減ったとのこと。お財布に優しいのはいいですが、やはり寂しいです。

 午後から、以前から申し込んであった無料の講演会、「上京探訪 語り部と歩く1200年 連続講座」の弟4回講座に家内といっしょに行ってきました。全部で6回ですが、観光ガイドと重なったりして、今回が2つめの出席です。

 名古屋から出産のために里帰りしている長女が四条の大丸で買い物をしたいというので、四条烏丸まで乗せて、上京総合庁舎へ。いつもは無料の相国寺の駐車場に止めて歩くのですが、家内が夕刻美容室を予約しているので、確実に間に合うよう、会場近くのコインパークに停めました。

 演題は【「ひと」「もの」「街道」が交差する京の北のターミナル、出町!】

 講師は、京都歴史探偵団の宇野進氏。


 知らなかったこと、目からウロコの話が、目白押しで、眠くなることもなく、面白く聴講することができました。プレゼン資料を部分的に引用させていただき、面白かった部分をピックアップします。


 出町は、鴨川の西にあり、昔は、上京地域から離れて島のように存在する町だった。出町は洛内、今の出町柳駅付近は洛外になる。




 豊臣秀吉の時代の寺町は、鞍馬口から五条まですっと寺院が途切れることなく繋がっていた。今の枡形商店街の場所には立本寺があった。その今出川を挟んで反対側には真如堂があった。真如堂の跡地の現在の地名に「大宮町」「大猪熊町」など、堀川以西の通の名が付いているものが多いが、これは所司代の領域拡張で、堀川以西の人がここに引っ越ししてきたため。




 出町柳という地名はなく、若狭街道と志賀越道(西進分)が交わるところに柳の木があったので、出町柳と呼ばれるようになった。出町は鴨川より西なので、出町柳駅で会う時に「じゃあ出町で!」と言うのは誤りで、「出町柳で!」というのが正しい。




 明治34年に京都電気鉄道の出町線が開通して、出町橋西詰めに駅があった。現在も広いスペースが残っている。今出川通からすぐ南の寺町通が広くなっているのは駅があったため。当時は河原町通は広くなく、寺町通がメインの通りだった。




 出町四橋「葵橋」「出町橋」「河合橋」「賀茂大橋」の江戸時代から現在に至る変遷の話も面白かったです。


 最後に御霊祭(上御霊神社の祭)のお話。祇園祭同様、神泉苑でも御霊会が発祥だが、御霊祭のほうが祇園祭より6年早い。





 社殿は昔は町から外れたところにあった(今は町が繋がっていて町の中にあるように見えるが)。そして御旅所が町の中に作られた。




 いやいや、本当に面白かったです。


 長女をまた四条烏丸でピックアップして帰りました。早めに終わったので、家内の美容院も余裕で間に合いました。



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最終更新日  2019/06/05 06:36:55 AM
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2017/07/07
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年7月7日(金)】

 今日は七夕。午前中はM病院でした。7月5日のCVポート抜去手術後の傷口の経過を診ていただくためです。執刀いただいた女医さんに診ていただきました。傷口の快復は順調のようで、防水シートはもう貼らずに、お風呂に入ってもらって、今貼ってある絆創膏が自然に剥がれれば放置してもらったらいいとのこと。

 それで終わりかと思ったら、転勤されたと聞いていた、主治医のH先生の診察がありました。すでに部分的に転勤されており、今回担当できなかったということのようです。しかし、近々フルに転勤されるので、やはり私の診察はできなくなるとのこと。今日、CTと血液検査をしたうえで、どこかの金曜日にもう一度来てもらって、それをH先生の最終診察として、以降は、別の先生に引き継ぐとのこと。8月4日を予約しました。


 CT撮影と採血後、M病院をあとにして京都に向かいました。京阪守口から出町柳へ。京都バスで京都産業大学へ。頼んでおいた、特別客員研究員の名刺が出来上がったの連絡があり、それをピックアップするためです。とんぼ帰りで、バスを乗り継いで京都アスニーへ。

 会員割引きのセミナー受講券(1回620円)を買い求めて、3階のセミナー会場へ。


 今日の講演題目は、「利休の『文化の下剋上』~茶の湯と戦国武将のこころ」。講師は、千里金襴大学名誉教授 生形貴重氏。






 途中、眠くなって、聞けてないところも多く、残念ながら全体は把握できていません。

 しかし、真田幸村が大坂夏の陣で、伊達正宗と死闘を繰り広げる際、自分の娘阿梅と子息大八らを、敵将の片倉重長(伊達正宗の忠臣、片倉小十郎景綱の長男)に託し、後に、阿梅は重長の継室に、大八は、伊達家家臣となる話は私としては初めて聞く話でした。

 また、「利休弟子七人衆」というのがあって、それは蒲生氏郷、高山右近、細川三斎、芝山監物、瀬田掃部、牧村兵部、古田織部であることなど、色々新しいことを知ることができました。芝山監物、瀬田掃部、牧村兵部は初めて聞く名前でした。

 その後、アスニーに隣接する京都市中央図書館へ。特別客員研究員の研究テーマである、「伏見稲荷大社とその周辺の不思議研究」の参考にするため、伏見稲荷ご遷座1300年記念に書かれた本を、1時間近くその場で読みました。

 朝は7時20分頃出て、帰りは、午後6時くらいでした。 



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最終更新日  2019/06/05 06:36:12 AM
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2017/06/30
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年6月30日(金)】

 京都アスニーで、午前、午後2つのセミナーを聴講しました。セミナーの間に、北野天満宮近くの修学旅行生の昼食処を下見し(こちら)、午後のセミナー後は、祇園で旧三井家下鴨別邸のガイドの打ち上げ飲み会がありました(こちら)。

 午前のセミナーは無料のゴールデンエージアカデミー。6月のテーマは、「医道の歩み、ワザの伝統」と題して、今日はその5回目でした。このシリーズ2回目の参加です。

演題:「復古と革新のあいだ~近代京都の医学史」
演者:京都大学人文科学研究所教授 武田時昌



http://www.kyoto-np.co.jp/info/sofia/20150724_6.html




 医学史なんて、あまり見聞きしたことない分野なので、前回の多田伊織先生のお話で聞いたこと以外は人名も含め、ほとんど初耳の内容でした。

 しかし、その中でも、既知のことと繋がる部分が僅かですがありましたので、それだけピックアップしておきます。

 明石博高は、解剖場を粟田口に開きました。粟田口には刑場があったためでしょう。そして青蓮院の宸殿を借りて療病院(京都府立医科大学の前身)が明石らの尽力のよって設立され、そこに解剖場も移転されました。

 新宮 凉庭(りょうてい)は、江戸時代末期の蘭方医。京都で医学校「順正書院」を創立しました。この「順正書院」は南禅寺の隣に建てられ、医学学校と文化サロンを兼ね備えた建物でした。順正書院の跡地は現在、湯豆腐店の「順正」が店舗の一部として使用しています。ですので「湯豆腐順正」は医学校の名前から来ているのです。

 私が五条楽園近辺で以前偶然目にした「眼科・外科医療歴史博物館」が、この講演の中で紹介されました。何か怪しげな博物館のように見えましたが、崇高な理念によって、隣の奥沢眼科の奥沢康正氏によって設立されたものだというのが、今回の講演で分かりました。奥沢氏はライブハウス「磔磔」の創始者でもいらっしゃいます。HP(http://www2u.biglobe.ne.jp/~mushokkn/mahm/index_j.html)を見ると、共同設立者が竹岡友昭氏となっています。氏は、講演で紹介のあった淀藩医で、京都医会創立の発起人でもあり、古医書研究に貢献された竹岡友仙氏のご子孫ではないかと思われます。(講演でそう紹介があったかもしれませんが)

 武田先生の医学史を学ぶことの重要性についての熱い語り口もあって、面白く聴かせていただくことができました。


 午後のセミナーは、有料のアスニーセミナーで、すでに予約一杯でした。しかし、当日欠席される方も多く、たいていは当日入場も可能です。会員割引チケット(620円)を買って、開始10分前に予約無し者の受付があり、入場することができました。

演題:戦国時代の上京・下京を「歩く」。
   ~洛中洛外図屏風」の楽しみ~
演者:大阪市立大学大学院文化研究科 仁木宏氏



http://www.city.osaka.lg.jp/sumiyoshi/page/0000227123.html


 屏風の絵の場所を地図で説明しながらの、興味ある、分かりやすい講演でした。ただお昼からで眠くなって、かなりの部分、しっかりと頭の中に入らなかったのが残念です。有料なのにもったいないです。眠気対策考えなければいけません。


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最終更新日  2019/06/03 11:27:54 PM
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2017/06/23
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年6月23日(金)】

 午前中、京都アスニーでのゴールデンエージアカデミーのセミナーを聴講しました。無料です。

 6月のテーマは、「医道の歩み、ワザの伝統」として、京都人文科学研究所連携講座です。今日は、その3回目で、このシリーズとしたは、初めての聴講です。今日の演題、講師は下記です。







 上記に「歴史に埋もれています。一端を紹介します。」と書かれた一端のお話が下記内容です。

 幕末に、蔵書家として高名な幕府医官小島尚質(こじま なおかた、号は宝素)の家に四男として生まれた小島尚絅(しょうけい)の生涯について、熱く語っていただきました。小島尚質も小島尚絅にしても、私は初めて聞く人物でした。

 兄の尚真が若くして亡くなり、19歳で家を継ぎ、幕府医官の職を継ぐことになります。小島尚絅が安政2~4年に日記が「日新録」森鴎外が小嶋尚質について書いた「小嶋寶素」にも、この「日新録」を引用した部分があります。坂下門外の変から20日ほど過ぎたとき、尚絅は江戸医学館寄宿頭取に命ぜられます。

 しかし、明治維新で西洋医学中心になると、江戸医学館は明治政府に接収され、尚絅は森立之らとともに職を失います。漢方医学が蔑ろにされてしまいます。そのとき、制度改革の流れに乗って出世したのが森鴎外

 明治4年、尚絅は森立之とともに文部省に出仕し、ウィーン万博のために「日本地誌概要」の編纂に携わります。最晩年には全国の学校で使われた日本地図の掛図の一番最初のもの「大日本全図」作成プロジェクトに参加します。

 その頃、父宝素の蔵書の売却を考え、42歳で亡くなった後、清国駐日公使の随員として来日した、楊守敬が購入します。現在、小嶋宝素旧蔵書の大半は、北京と台湾に分かれ、なかでも善本は台北の故宮博物院に収められています。

 多田先生は、現在、それら蔵書公開に尽力されています。

 全否定されてしまった漢方医学。明治維新の負の側面を垣間見ました。歴史では習わないところです。


 セミナー終了後、お隣の京都市中央図書館で本を借り、立命館大学の学食を見学がてら昼食をとり、三井家ゆかりの地で未訪問のところを回りました(こちら)。

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最終更新日  2019/06/03 11:16:12 PM
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2017/06/14
カテゴリ:講演会
2017年6月14日(水)】

 午前中、京都アスニーにて「古文書・古写本閑話講座」の第3回目に出席しました。

 いつもように前半は、龍谷大学客員教授 藤本孝一(こういち)先生の、藤原為家本「土佐日記」の読み時ですが、毎回、その前に古文書について、別の特別なテーマについてのお話があります。タイトルに「閑話」と付いているのはそのためです。そしてこの部分が結構長いのです。

 その今日の閑話の部分は、源氏物語の藤原定家の「奥入」のお話でした。

 「奥入」とは、藤原定家によって著された「源氏物語」の注釈書。もともと藤原定家は証本として自ら作成した「源氏物語」の写本の本文の末尾にさまざまな注釈を書き付けており、「奥入」の名もそれに由来します。藤原定家は、これを写本から切り取り1冊の本にしました。その際、歌などの本文の一部が失われたといいます。

 色々お話をしていただき、そのときは理解できたつもりでしたが、浅学の輩には、それをまとめてここに書く力がありませんので、これだけに留めます。

 そして「閑話」のあとに、前回の続きの「土佐日記」読み解きがありました。















 後半は、龍谷大学非常勤講師 万波寿子先生。「御文章之定」の続きで、その中で、近世の本末制度についてのお話がありました。

 本山から末寺まで、いくつかの階層になっていて、下にいくほど経済的に色んな負担が増える仕組みだった。下の寺派、負担を減らしてもらおうとしたり、上を目指すようになり、そこの賄賂が発生したり、西本願寺派から東本願寺派に宗派替えしたりする寺も出てきたとのこと。どの時代も同じですね。

 
 読み解きの部分では、先生の間違いを指摘したり、先生がよく分からないとおっしゃった部分を「これはこうではないですか」と逆に教える聴講者が多くおられました。皆さんすごいなぁと思って聞いていました。


























 終了後、二条城の方向に向かいました(こちら

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最終更新日  2019/06/02 12:03:12 PM
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2017/06/09
テーマ:京都。(5430)
カテゴリ:講演会
2017年6月9日(金)】
 
 お昼に修学旅行昼食処の下見で、北野天満宮前の「たわらや」さんに行って(こちら)、午後から京都アスニーでのセミナーに参加しました。

 有料のセミナーですが、「まなびすと」会員の無料チケット3枚目を使っての聴講です。無料チケット残りは1枚です。


演題:平安京の転換~住人集団「随近之人」「在地者」の生成~
講師:京都大学大学院 人間・環境学研究科教授 西山 良平 氏



http://www.coc.kyoto-u.ac.jp/person/ryouhei_nishiyama/


 平安京では11世紀に入る頃から、様々な新しい動向が現れます。住人たちが自分たちの組織(集団)を生成して犯罪などに対処し、自分たちの安全を保障するようになりました。政治があまりよくなかったためです。それが「随近之人」とか「在地者」と呼ばれる集団です。いわば町内会のようなものです。この集団は結束が強く,この特色が現在に継承されると先生は考えておられます。

 歴史では権力者のことが中心に話されることが多いですが、住人の集団にスポットを当てた、違った視点で見た歴史で面白かったです。講義では、今まで聞いたことのない様々な文献で、これら集団の具体的な行動がエビデンスとして示されました。「自分の妻の不倫の相手の男を捕えた」とか、放火の話とか、強盗の話しとか、種々雑多な事件が出てきて、今と変わらぬドロドロとしたことが書かれています。

 講義の中では、京都検定のテキストにも出てくる片側町や両側町の成立過程も図解で説明され、よく分かりました。





 帰宅後、近所のO医院で月イチの診察を受け、いつものように1ヵ月分の高血圧の薬(アムロジピン)をもらいました。

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最終更新日  2019/06/02 11:49:11 AM
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