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ワルディーの京都案内

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常駐ガイド

2017/12/15
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テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年12月15日(金)】

 午前中は夕刻からあるガイド会同期の飲み会のクイズ大会の準備をフルスロットルで行い、午後からは、1月から3ヶ月間勤務する梅小路公園の事前説明に出席しました。

 梅小路公園は「京の冬の旅」と併行しての勤務になりますが、梅小路公園は土日祝日のみの勤務となり、月3~4日の勤務です。

 午後1時半から梅小路公園の「緑の館」の茶室で、梅小路公園を管理する(公財)京都市緑化協会の係の方から勤務要領、Q&Aなどのお話をお聞きしました。

 我々が勤務するのは、梅小路公園内の七条案内所大宮案内所で、いずれも引退した京都市電を利用した案内所です。土日祝のみオープンです。

 通常、七条案内所が2人で大宮案内所が1人ですが、現在、七条案内所の前が新駅の工事中で、お客様が少ないので、七条案内所が1人で、大宮案内所が2人勤務になっています。英語対応のメンバー1人が2人体制の方に入り、私は英語対応ですので大宮案内所が勤務場所になります。勤務内容は、通常の観光ガイドではなく、お客様からの梅小路公園や京都観光についての質問にお答えするという内容です。例えば他の観光地への交通機関についての質問にお答えするといった内容です。私の勤務する大宮案内所では、障害者の方の作られたグッズの販売もします。

 説明を受けた後、「朱雀の庭」「いのちの森」を案内いただいた後、2つの勤務場所を案内していただき、全体責任者のJさんから、より具体的な勤務内容について説明を受けました。

大宮案内所(私の勤務場所) 市電の中が案内所になっています。





七条案内所 やはり市電の中が案内所になっています。




 午後3時には終了すると思ったのですが、皆さんとても熱心で終わったは午後4時ごろになりました。終了後、ガイド同期による忘年会の会場に向かいました(こちら)。

 しかし、説明会に出発する前に、この望年会で行うクイズ大会の準備に時間を費やしてしまったのと、所望のバスに乗れなかったため、説明会前に昼食をとることができませんでした。それで、説明会終了後、飲み会の会場に向かう前に、明日の修学旅行の昼食の下見を兼ねて、京都タワー地下のダイニングスペース「サンド」に立ち寄って、腹ごしらえをしました。時間もあまりないし、1時間半後には飲み会が始まるので、「ニコット・アンド・マム」というドーナツ屋さんで、ドーナツ2個とコーヒーを求めて簡単に済ませました。

 単価200円と、ミスドと比べるとずいぶん高価ですが、美味しかったです。ゆっくり味わって食べたかったですが、飲み会前の準備の集合時間が迫っていたので、慌ててかき込まざるを得ませんでした。






(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/15 06:21:15 AM
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2017/12/11
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年12月11日(月)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイドの私の担当分が一昨日終了しました。

 来年1月から次の3ヵ月周期に入り、私は「京の冬の旅」の伏見稲荷大社御茶屋と通常固定点の梅小路公園を担当することになっています。

 今日は、その伏見稲荷大社御茶屋の事前説明会がありましたので出席しました。
 
 通勤するときは、ヤサカバスでJR桂川駅に出て、そこからJRで京都乗換で稲荷駅に行くのが最短・最安になるので、それで行こうと思いましたが、そのバスに乗り遅れて、少し遠回りするバスになりました。このルートでドア・トゥ・ドアで1時間5分でした。もともとのバスであれば片道1時間程度の通勤時間でしょう。運動のためと交通費節約のために、京都駅行きバス+徒歩にすれば、片道1時間半程度と推定しています。

 10時過ぎから、市の観光協会の方2名も来ていただいて神職の方に勤務場所を案内していただきました。場所は本殿に上がる階段の手前の右手です。

 「松の下屋」その庭園「御茶屋」が見学場所になります。ガイドすべき内容は事前資料に書かれていますので、現場現物の確認と朝夕の準備・片付けの仕方、各点での注意点、トイレ、控室などを中心に案内いただきました。展示される棟方志功氏の絵も拝見させていただきました。


松の下屋




 その後、儀式殿のロビーをお借りして、内部の打ち合わせがあり、詳細事項の連絡・調整がありました。今回の全体責任者は、今年1~3月の八木邸の際に全体責任者をしていただいた方です。またお世話になります。


 終わってから、同期の方二人と、「道八」というお店で昼食をとりながら情報交換させていただきました。「道八」は低価格が魅力なので、修学旅行の昼食処としてもいいです。ただ、満席のことも多いようです。→こちら


 昼食後、風邪が治っていませんが、客員研究員の研究のフィールドワークのため、伏見稲荷大社の「お滝場」をいくつか巡りました(こちら)。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/14 07:09:04 AM
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2017/12/09
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年12月9日(土)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第16日でした。特別拝観は12月17日までですが、私の勤務は今日が最終日でした。

 12月に入りましたが、天気もよく、土曜日ということもあって、多くのお客様にお越しいただきました。今年は紅葉が例年より早く、庭のモミジもほとんど散ってしまいましたが、真っ赤な散りモミジはまだまだキレイです。

 ただ、私の勤務日のなかでは最も寒いと感じました。足は厚手の靴下を2枚はき、間に使い捨てカイロを入れ、手も白の手袋を2枚重ねで着けて、やはり間に使い捨てカイロを入れて寒さ対策をしました。手のほうはそうでもなかったですが、外気に触れている本堂の縁が冷たく感じました。日差しが強かったので、次第に冷たさは緩和されましたが。

 京都の最低気温を調べてみると、この前の勤務日の6日が0.2度、今日が1.3度なので、こ前の方が気温が低かったのですが、今日のほうが足が冷たく感じました。おかしいなぁと思ってガイドを始める午前10時の気温を比較してみると、6日が5.7度に対して、今日が3.9度でした。今日のほうが気温の上がり方が緩やかだったようです。

 今日も無事に楽しくガイドを終えることができました。全期間を通じても、大きなトラブルなく、チームを組んでいただいた皆さんとも和やかにいっしょに仕事をさせていただくことができました。お客様にも喜んでいただけたと思います。ガイド仲間の皆さん、お客様に感謝です。

 12月はお仕事としては、あと修学旅行を1回残すのみです。その他では、エリア会議が1回、研修が1回、1月からの仕事の説明会が2回、フィールドワークのお手伝いが1回と、ガイド以外のイベントが結構あるので忙しいですが、22日以降はお仕事なく、新年も少なくとも5日まではお仕事ないので、久しぶりにのんびりできそうです。

 最後に今まで紹介できていなかった興臨院のことを書いておきます。



●興臨院案内#15 興臨院#10 補足

◆檀那の間の北側中央に掛けられている絵

 故渡瀬凌雲氏(1980年没)筆。氏が中国の「雲崗石窟」にスケッチ旅行に行かれた時のものを絵にされたもの。渡瀬氏は先代の和尚とは知りあいである故。

渡瀬凌雲 わたせ-りょううん

 1904-1980 大正-昭和時代の日本画家。明治37年7月9日生まれ。小平小洲,福田浩湖らにまなぶ。日本南宗画会展,帝展などで入選。昭和35年日本南画院の再興に参加,41年「飛瀑朝宗」で文部大臣賞。48年日本南画院副理事長。昭和55年5月17日死去。75歳。長野県出身。本名は幸成。作品に「残照グランド・キャニオン」など。
(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)


◆檀那の間の屏風

 湯川松堂(しょうどう)筆「金彩四季花鳥図」屏風六曲一双。


 湯川松堂

 明治元年六月、日高郡印南町に生まれる。名を愛之助といい、松堂のほかに晩年楽寿の号をもちいた。幼児より画才にめぐまれていた。

 明治十一年大阪に出て三谷貞広に師事して日本画をまなび、同二十四年さらに京都にのぼって絵画を近代京都画壇の中心人物だった鈴木松年に学ぶ。花鳥、山水、人物をよく描いた。明治期の京都画壇は、円山応挙を祖とするいわゆる円山四条派が本流。この中には楽寿館の装飾絵画の作者の幸野楳嶺や望月玉泉も入る。

 同三十六年、第五回内国勧業博覧会に「秋津洲」を出品して入選。その後小松宮家の殊遇をうけ、同三十九年宮内省の委嘱により「岩倉公一代絵巻」を描いた。昭和四年、天皇の大阪行幸のみぎり、御在所の屏風に「群鶴図」を揮毫した。
同十五年には紀元二六〇〇年記念として「神武天皇東征図」を明治神宮に、「神武天皇望霊鳥図」を橿原神宮にそれぞれ奉納した。昭和三十年十一月大阪府八尾市で八十七才の天寿を終えた。
(https://textream.yahoo.co.jp/message/552018638/bdbdbfm4sa4la4pbdbd9qa4nbct/1/16360)


◆書院床の間の掛け軸「慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)」

 観音経にある言葉で、「観音様は何時もやさしい、思いやりの眼をもって
私たち生きとし生ける衆生を見てくださる。」という意味



◆うさぎ

 興臨院では、ウサギを飼っておられます。そのウサちゃんは、時々お庭や表に出て来てきます。お客様の人気者になります。私も何度か見かけました。


11月8日撮影



 今日、明日と次女の旦那が東京から来てくれています。家内の手料理で、酒を酌み交わしました。家族が増えるとというのは嬉しいことです。年末にはもう一人家族が増える予定です。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/14 07:07:52 AM
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2017/12/06
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年12月6日(水)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第15日でした。

 12月に入っての平日ですが、お天気が良かったこともあり、多くのお客様にお越しいただきました。











●興臨院案内#14 興臨院#9 茶室

 方丈の東北には茶室「涵虚亭(かんきょてい) 」があります。「大徳寺の茶面」と呼ばれてように、茶道との関係が深い大徳寺ですが、実際にお茶室はたくさんあって、全部で47ものお茶室があります。塔頭寺院は22ですから、1つの塔頭寺院で複数持っているところも多いということです。




 「涵虚亭」という名は、11世紀頃の中国宋代時代の政治家で詩人であった蘇東坡(そとうば)が書いた漢詩から付けられたもの。蘇東坡の本名は蘇軾(そしょく)ですが、号の東坡居士から蘇東坡と呼ばれることが多いです。唐宋八大家のひとりに数えられ、父の蘇洵、弟の蘇轍とともに三蘇とも称されます。その作である「赤壁賦」は傑作として有名です。

 この茶室の命名の由来になった詩「涵虚亭」は次のような詩です。

 水軒花榭両争妍 すいけんかしゃふたつながらけんをあらそう
 秋月春風各自偏 秋月春風おのおのみずから偏す
 惟有比亭無一物 ただこのていあって一物なし
 坐観萬景得天全 ざしてみるばんけいの天全をうるを

 意味は、

 水軒と花樹と、いずれも美を争っている。
 従って秋月と春風は各々自ら偏っている。
 軒は水の傍にあり、榭(うてな)は花の上にある。
 見るところのものは、水の景であり、また花の景である。
 故に秋月と春風とにあって、偏っているわけである。
 もし虚(きょ)を涵(ひた)せば、すなわち一物をつけないのであるから、
 天全の景でなくて何であろうか。
 虚を涵すという名を帯びた此の涵虚亭、
 見ると所ただ一の亭があるのみで、他に一物もない。
 座して萬景の天全を得るを観るのである。

 この詩は蘇東坡が41歳の時、洋州(現在の陝西省(せんせいしょう)洋県)の文同という友人の詩に応えて作った「和文與可洋川園池三十首」の中の一首で、その地方の園や池を詠じたもの。涵虚亭、「虚(うつろであることに)に満たされている」という名の庵を題材に、「もし花園の中や水辺に建てられていたなら、他に気をとられてしまうが、何もないところにあるので、偏らず全ての風情を得られる」と賞賛しています。

 さて、このお茶室は山口玄洞という篤志家によって、昭和3年に寄進されたものです。山口玄洞氏は、広島県尾道市出身で、大阪で洋反物のブローカーを開始、合資会社山口綿花商店を創設、屈指の綿花商となりました。また三十四銀行、共同火災海上保険、尼崎紡績等の重役、貴族院議員も務めました。茶道を趣味とし、表千家の後援者としても知られます。

 山口玄洞氏は、資産の多くを寄付に使いました。その一環として、この涵虚亭も寄進されたわけですが、日本全国の100棟に近い堂塔を各地の名刹に寄進しています。京都およびその周辺では、醍醐寺の大講堂、神護寺の金堂、延暦寺の阿弥陀堂などがそうです。京都がお世話になった方の一人です。




 お茶室の南面に正方形に近い潜り戸がありますが、これは「躙口 (にじりぐち)」です。千利休が考案したものといわれ、誰もが頭を下げて入らねければならず、一旦自分の立場を捨てて茶室の中では対等な人間関係を持つ、そんな意味があるとされます。

 そうはいっても身分の高い方にそこまでしていただくのはということで、立ったまま入れるようにしたのが、西面の障子の入った貴人口(きにんぐち)です。古田織部が考案したものといわれ、このお茶室は他の造りも含め、織部好みのお茶室になっています。

 茶室の前に紐が十文字に結んである小石が置いてありますが、これは関守石(せきもりいし)といい、「これより中に入ることは遠慮されたし」の意味があります。これから先、客の出入りを遠慮してもらうための印として関守の役をもたせたためにこの名があります。


 次にお茶室の中ですが、入ってすぐが流しの備えられた四畳半の水屋です。奥が茶席になっており、四畳+隅板の茶室と入ってすぐ左の台目畳の手前座からなります。台目畳は4分の3畳の畳のことです(一畳の畳は丸畳)。作りとしては、「四畳台目隅板付き」となります。点前座の前に炉が切られていますので、出炉の形式で、点前座が床の間と離れたところにあるので、下座床になります。






 隅板は4分の1畳で、ここにはお茶を運ぶなど亭主を補佐する半東と呼ばれる人が座り、給仕口を使って出入りします。隅板を入れることで、茶室内の動きがスムーズになり、使い勝手がよくなっています。その隅板の位置に袖壁があり、床の間が部分的に隠されています。こういう床の間を「洞床(ほらどこ)」といいます。






 天井は貴人畳(床の間の前の畳。主客が座る)の上の平天井、連子窓の上の駆け込み天井(化粧屋根裏天井)、そして亭主の上の落ち天井と3つに分かれています。高さ角度が異なると同時に、使っている材料や作りも三者三様です。また躙口上の障子には外の連子窓の影が写って風情があります。

 お茶の心は「和敬静寂」といわれます。千利休の茶道の精神・境地を表した言葉で、主人と客が互いの心を和らげてつつしみ敬い、茶室の品々や雰囲気を清浄な状態に保つという意味です。 また、禅の心と茶の心は一致するといわれ、茶禅一味といいますが、大徳寺全体としては、特に茶の湯そのものを大切にしています。そして、28日が千利休の月命日ですので、大徳寺のいくつかの塔頭寺院では、28日に月例のお茶会「月釜」が行われます。興臨院でも「月釜」が行われます。この涵虚亭ではなく、庫裏の広間で行われますが、興臨院は事前申し込みがなくても参加可能なようなので、そういう機会に来ていただくのもよいかと思います。
 



 お寺で販売している大徳寺全体のガイドブックを買いました。全塔頭寺院がそこそこ詳しく書かれています。






 興臨院のガイド終了後、京都産業大学の月例研究会参加のため京都産業大学に向かいました(こちら)。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/14 07:02:33 AM
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2017/12/04
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年12月4日(月)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第14日でした。

 12月に入り、だいぶ寒くなり、今日始めて使い捨てカイロを使いました。早く暗くなりますので、予定通り今日から最終入場時間が16時半から16時になりました。












●興臨院案内#13 興臨院#8 方丈北側の各部屋

 方丈南側の3部屋が公式の部屋だったのに対し、北側の3部屋は私的な部屋になります。





 まず、北西隅の部屋が「衣鉢の間(えはつのま)」といいます。ご住職が着替えをされる衣装部屋でもあり、師匠から弟子に禅の教えを伝えていく場所でもあります。

 この部屋に置かれている漢詩の屏風は、祇園南海によるものです。祇園南海(1677~1751)は、江戸時代の中期の儒学者であり、漢詩人、文人画家。江戸生まれで、木下順庵の門人で特に詩文にすぐれました。さらに服部南郭、柳沢淇園、彭城百川とともに日本文人画の祖とされます。また『八種画譜』『芥子園画伝』などを通じて,中国明,清の絵画を慕い、日本南画の先駆者ともいわれ、池大雅らに影響を与えました。紀州藩に仕え、野呂介石、桑山玉州とともに紀州三大南画家と呼ばれています。

 その隣の部屋を「眠蔵(みんぞう、めんぞう)」と呼びます。室中の間から見えていた仏間がありますので、少し北側に出っ張ってはいますが、細長い部屋になります。仏間の真裏で、火事があったときには、ご本尊など大切なものをすぐ持ち出せるように、昔はこの部屋でご住職が就寝されました。


 東北隅の部屋が「書院」です。ご住職が執務をされる部屋です。この書院には「日本最初の床の間」と称する床の間がありますが、実際に日本で最初にできたというのではなく、日本の最初の床の間はこういう造りだったということです。下の木を框(かまち)といいますが、二重框になっていて、下の框は欅で、足で蹴ったような形をしているので蹴込式(けこみしき)といわれます。創建当初のものを再現したものですが、蹴込式の床で畳を入れたものは珍しいです。また、床の壁は土壁ではなく当初は襖張りであたということで、今も襖張りのままにしてあります。襖と同じような縁が施されています。


パンフレットより


 この部屋には、谷文晁河鍋暁齋のお軸も掛けられています。

 谷文晁(たに ぶんちょう、1763-1841)は、江戸時代後期の日本画家。江戸下谷根岸の生まれ。12歳の頃 父の友人で狩野派の加藤文麗に学び、18歳の頃 中山高陽の弟子 渡辺玄対に師事しました。20歳のとき文麗が歿したので北山寒巌 につき北宋画を修めました。その後も狩野光定から狩野派を学び、大和絵では古土佐、琳派、円山派、四条派などを、さらに朝鮮画、西洋画も学びました。26歳の時長崎旅行を企て、 大坂の木村兼葭堂に立ち寄り、釧雲泉より正式な南画の指南を受けます。古画の模写と写生を基礎にし、諸派を折衷し南北合体の画風を目指しました。その画域は山水画、花鳥画、人物画、仏画にまで及び画様の幅も広く「八宗兼学」とまでいわれる独自の画風を確立し、後に 関東南画壇の泰斗となりました。

 文晁は鷹揚な性格であり、弟子などに求められると自分の作品でなくとも落款を認めました。また画塾 写山楼では講義中、本物の文晁印を誰もが利用できる状況にあり、自作を文晁作品だと偽って売り、糊口をしのぐ弟子が相当数いたといわれます。購入した者から苦情を受けても「自分の落款があるのだから本物でしょう」と、意に介さなかったといいます。これらのことから当時から夥しい数の偽物が市中に出回っていたと推察でき、鑑定に当たっては落款・印章の真偽だけでは充分ではないといわれます。

 河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、1831-1889)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称しました。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されています。

 またこの部屋には、徳美友僊(とくびゆうせん)の描いた屏風「鷹猿図(たかさるのず)」も置かれています。徳美友僊は1841年京都生まれの日本画家で、鈴木松年に師事しました。


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最終更新日  2019/08/24 02:44:21 PM
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2017/12/01
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年12月1日(金)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第13日でした。

 今日はこの興臨院では初めての当日責任者を担当させていただきました。結界を越えて入られるお客様に気付かなかったといようなことはありましたが、無事、当日責任者を務めることができました。

 お天気は曇り時々晴れ。散り紅葉が綺麗でした。













●興臨院案内#13 興臨院#7 多羅葉の木

 方丈の北西隅の庭園には多羅葉(たらよう)の木が一本植えられています。この名は葉の裏に傷をつけると貝多羅樹(ばいたらじゅ)の葉のように文字を書くことができるために付けられました。

 貝多羅樹は、ヤシ科のオウギヤシ(別名ウチワヤシ)で、その掌状の葉の裏に竹筆や鉄筆などの先の尖ったもので文字を書くと、その跡が黒く残るので、古代インドで写経をするのに用いました。日本の法隆寺にも伝来されています。





 ですので、寺院にはこの貝多羅樹と同じ性質を持つ多羅葉の木がよく植えられています。ただこの多羅葉の木は希少な樹木ではなく、公園などに植えられていることも多くあります。私の住む京都桂坂の緑道にも植わっていますので、何枚かいただいて先の尖ったもので傷をつけてみました。黒く跡が残ります。

「葉書」はこの多羅葉が由来といわれています。そして実際に葉書としてこの多羅葉の葉を使うことができます。郵便局が公式に認めています。ただし、郵便局で確認したところ、不定形で120円切手を貼ることが必要で、切手を剥がれないようにしっかりと貼ってくださいとのことでした。そして実際に自宅宛で投函してみますと、ちゃんと届きました。





 郵便局のシンボルツリーにもなっていますので、全国の大きな郵便局には写真のように多羅葉の木が植えられているところが多くあります。





 興臨院のパンフレットでは、貝多羅樹となっています。多羅葉を貝多羅樹と呼ぶこともあるようです。
 

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最終更新日  2019/06/14 06:58:14 AM
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2017/11/28
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年11月28日(火)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第12日でした。

 庫裏前の紅葉が落ち始めましたが、方丈北庭の紅葉が最も綺麗な時期を迎えたようです。天気良く、暖かな一日でした。













●興臨院案内#11 興臨院#7 方丈西の庭園

 方丈西の庭園には石碑と石塔があります。

 左手のの石碑には「琴 爪塚」と彫られています。これは先代の山口大痴(だいち)和尚の奥様がお琴の先生でしたので、使い古した琴の爪を供養するために昭和57年に建てられたものです。

爪塚




 右手のの石塔「琴心塔(きんしんとう)」は、お琴の演奏者のご分骨が納められています。 

琴心塔





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最終更新日  2019/06/13 08:10:19 AM
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2017/11/25
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年11月25日(土)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第11日でした。

 紅葉がピークの土曜日で、お天気も良く、思ったほど寒くなくなく、多くのお客様に来ていただきました。


●興臨院案内#10 興臨院#6 方丈前の庭園

 方丈前の庭園は「檀那の間」に座って見るのが一番きれいに見えるように作庭されてるといわれます。「檀那の間」にはお寺にとってVIPの檀家さんをお通しする部屋だからです。ですので、他のお寺の方丈定庭園に行ったら、檀那の間がどこかを特定して、そこから庭を眺めるのが一つのコツです。

 興臨院では、昭和50年に解体修理した本堂が完成した昭和53年に、過去の資料も調べたうえで、中根金作という「昭和の小堀遠州」とも呼ばれた作庭家によって方丈前庭園が作庭されました。中根金作は、京都であれば、妙心寺塔頭の胎蔵院余香苑城南宮楽水苑、そして一番有名なのが、島根県の足立美術館の庭園を作庭しています。中根金作氏はボストン美術館の日本庭園の策定も手掛けています。

 この庭園は蓬莱山形式の枯山水庭園です。右奥の築山が蓬莱山の神仙境を表しています。蓬莱山は秦の始皇帝や漢の武帝の頃、海のかたに仙人の住む神仙島があり、そこに不老長寿の薬があるという伝説上の山です。理想郷です。その左の大きな石の間の石橋が、檀那の間に描かれた寒山拾得が住んだといわれる国清寺(こくせいじ)の石橋(しゃっきょう)です。

 蓬莱山に発した水が渓流となって石橋の下をくぐり、大きな川の流れになり、やがて大海に広がるさまを石組と白砂でうまく表しています。禅の教えは祖から発して未来永劫脈々と拡がっていくという「水源一滴」の考え方を表したお庭でもあります。

 敷かれているのは白川砂。人口の照明がない時代、太陽や月の反射をを多くして、少しでも部屋の中を明るくしようと白い砂が枯山水庭園に敷かれることが多かったのです。
  








今日の紅葉










 終了後、知人の能発表会を観に大江能楽堂に向かいました(こちら)。


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最終更新日  2019/06/13 08:03:54 AM
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2017/11/22
テーマ:京都。(5491)
カテゴリ:常駐ガイド
2017年11月22日(水)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第10日でした。

 前回のここの勤務は11月12日でしたので10日前。そのときは紅葉はまだまだだったのですが、今朝、表門から覗いたらビックリ。素晴らしい紅葉になっていました。方丈の周りの紅葉は、緑も残っていてグラデーッションが綺麗でした。次第に紅葉していくところを見れるのはガイドの役得です。













 平日にも拘わらず、やはり紅葉本番、それから飛石連休の前日ということもあり、多くのお客様に来ていただきました。ここでは初めて予約の団体さんの案内もさせていただきましたが、北側の部屋は縁が狭く、お茶室も一度に全員入れないことなどなど、多人数の案内の場合、特別な工夫が必要なことが分かりました。

 午後から雨の予報でしたが、拝観時間中は何とか持ちこたえ、我々が帰る頃になって雨が降り出しました。

 昨日から我々の持ち時間終了後(16:30)のライトアップも始めたようです。ガイドはなしで、拝観料は昼間と同じとのことです。去年から始められたようです。ネットを見てもライトアップのことは載っていませんので、積極的には宣伝していないようですが、部屋の中も照明され昼間の拝観よりも、襖絵やお軸がはっきりと観賞できるので、これはこれでお薦めです。



●興臨院案内#9 興臨院#6 本堂(方丈)礼の間、檀那の間

 興臨院の本堂について続きです。

 南側の東側の部屋(向かって右)は「礼の間(らいのま)」です。玄関に一番近い部屋で、今の時代で言えば、応接間にあたるところです。この部屋の襖絵も村石氏によるもので、「葡萄図」です。葡萄の葉や実が描かれていますが、向かって左側の奥から2枚目にはイタチ、奥の右から2枚目の下の方にはメジロも描かれています。葡萄の葉が鳥が飛んでいるようにも見えるので、たくさんの鳥がいっせいに飛び立ちそうな姿にも見えます。

 掛かっている興臨院の額は、縁どりが非常に鮮やかです。このオリジナルは室中の間の外に掛かっている扁額です。右に「為日本国天啓和尚」と書かれ、左に「大明梅がい方伯行書」(「がい」は崖の山がない字)と書かれています。天啓和尚は開祖小渓和尚の一番の弟子で、興臨院の2代目の住職です。左側に書かれた中国の僧によって、この額が天啓和尚に贈られたことを示しています。縁の飾りにわずかに色彩が残っていますが、これをX線分析をするなどして、オリジナルの色彩が割り出されました。それが礼の間の額の縁の部分です。中国から贈られたものなので、中国的なデザインです。

 西側(向かって左)の部屋は、「檀那の間」です。檀那とは檀家さんのことです。檀家さんをここへお通しします。お寺にとっては経済的な支えでもあります。ですのでいわばVIPルームです。「檀那」は、「布施」を意味するサンスクリット語(梵語)の「ダーナ」から来ています。英語の"donation(ドネーション)"、"donor(ドナー)"も同じような起源と意味を持つ単語です。日本では、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、家庭内で奥さんがご主人を呼ぶ場合にも使われています。語源からすると、稼ぎの悪いご主人は「檀那」と呼んではいけなのかもしれません。

 この部屋の襖絵も村石氏によるもので、「寒山拾得図」です。巻物を手にしているのが「寒山」で文殊菩薩の生まれ代わりともいわれます。箒(ほうき)を持っているのが「拾得」で普賢菩薩の生まれ代わりともいわれます。唐代の脱俗的な人物で、宋代以後、彼らの生き方に憧れる禅僧や文人によって格好の画題とされてきました。ですので、禅宗のお寺に行くと、達磨大師同様、よく絵の題材になっています。


 家内はSさんと京都でランチでした。Sさんはドイツ時代に家族ぐるみでおつきあさせていただきました。久しぶりの再会で、おしゃべりも長くなったようです。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/13 07:59:44 AM
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2017/11/12
カテゴリ:常駐ガイド
2017年11月12日(日)】

 大徳寺塔頭興臨院でのガイド第9日でした。

 そして、今日は思いがけないことがありました。ガイドの案内中に誰か知った人に会うこともあるのではないかと思っていたのですが、始めて1年になりますが、今まではありませんでした。ところが今日朝早い時間に、M社子会社時代の先輩Nさんにバッタリお会いしました。

 私はいつかは知っている方にお会いするのではと気をつけているのですが、Nさんは私がガイドをしていることをご存知ないので、目を合わせても私に気付いていません。私から「Nさんですよね。」と声をかけました。向こうは名前まで思い出したかどうかは分かりませんが、私だと気が付きビックリ。こんなところで会おうとはまさか思っていないわけです。残念ながら私の案内の時間ではなかったので、ペアの方に案内していただきましたが、拝観が終わってから少しだけお話することができました。これからも、こういうことが時々起るのでしょう。

 最高気温14.6度と少し寒かったですが、お天気は良く、多くのお客様にお越しいただきました。


●興臨院案内#8 興臨院#5 本堂(方丈)室中

 興臨院の本堂について続きです。

 南側の部屋の中央は「室中の間」です。仏事を執り行う方丈の中で最も大切な部屋です。中央に祀られているのが、開祖小渓紹ふ(付の下に心)(しょうけいじょうふ)禅師です。幕に隠れて見にくいですが、その向かって左に祀られているのが、ご本尊の釈迦如来です。普通はご本尊が中央に安置されますが、大徳寺の塔頭では開祖を非常に大切にしますので、他の塔頭寺院でも、このように開祖が中央に祀られていることが多いです。

 その左にお位牌が多く安置されています。向かって右側に畠山家代々のお位牌、左側が前田家のお位牌です。中央の一番大きなお位牌が前田利家公、その右側が畠山義総公のものです。

 この部屋の上部が響き天井になっていて、天井の下で手を叩くとよく響きますが、人が余り多く天井の下に集まると少しも鳴りません。パンフレットにこのように記載されていますが、残念ながら拝観では室中の間は入っていただけないので、この現象は体験できません。実は私も体験したことがありません。

 襖絵は村石米齋氏による水墨画で、向かって左側が、山口県青海島を描いた夏山水、右側の絵は、中国北京郊外にある頤和園(いわえん)の風景を描いたもので、冬山水ともいわれます。頤和園は代々の皇帝の離宮になった景勝地で、世界遺産に指定されています。

 村石画伯の画風は、繊細かつ緻密である点においては他の追随を許さず、岩や山の配色バランス、線の描き方に非常に神経が使われていることが分かり、簡素ながらも主題の追及に無駄がないところが高い評価を得ています。

 中央の扉のにある彫刻の唐草模様が、室町期の特徴である左右対象式から、少し乱れ始めたものになっています。所々の装飾に用いてある唐草模様の円曲線が、何れも同様の曲線を表しています。

中央扉の唐草模様の彫刻





中央扉の最下部の彫刻






(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/12 04:23:30 AM
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