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ワルディーの京都案内

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京都ガイド諸活動

2017/12/21
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テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年12月21日(木)】

 来年の年賀状用の寺社等の門の写真を撮影した後(こちら)、哲学の道沿いの「光雲寺」に向かいました。午後ここで、シニア講座のフィールドワークがあり、そのお手伝いをするためです。12月14日に「菊と葵~後水尾天皇と東福門院」と題した講義があり、それに関連してのフィールドワークです。

 このプログラムを担当している人に加え、私含め数人がお手伝させていただきました。全体で70名程度の受講者数でした。


光雲寺に集まった受講生の方々




 最初、本堂でご住職から、光雲寺の由緒と本堂内の寺宝について説明いただき、その後3班に分かれて、客殿、方丈、本堂前庭をご案内し、最後に顕子内親王の陵墓を見学いただくという流れでした。

 私の担当は、客殿、方丈、前庭見学の後に、皆さんがもう一度本堂を見学に来られるので、その監視と質問への対応という役割でした。やはり、多くの方が最後もう一度本堂に戻られ、寺宝を近くでご覧になり、質問も多く受けました。12月7日にエリアグループの研修で座学も受け、ここも見学させていただいていますし(こちら)、追加の資料も色々いただいていて事前勉強もしましので、一部は資料を見ながらですが、お答えすることができました。唯一困ったのは、「資料に仏殿は『桁行六間、梁間七間』て書いてありますが、どのことですか?」という質問。梁間は見えない部分もあって分かりませんが、確かに桁行は柱の数からは六間ありません。「何故でしょう。分かりません。」とお答えせざるを得ませんでした。

 お天気もよく、風もなく、それほど寒くもなく、通常非公開で特別公開もほとんどないお寺でご住職からお話を聞くことができて、多数の寺宝をご覧いただけて、参加者の皆様の満足度は高かったのではないかと思います。

 我がエリアグループは後期の4月に、「徳川幕府と京都の寺社・公家・朝廷」というテーマで講義・フィールドワークをすることになっています。


 今年の有給でのガイドのお仕事は12月17日の修学旅行(こちら)で最終だったのですが、今日のお手伝いで無給も含めお仕事がすべて終わりました(ひょっとすると今日の分、多少お手当が出るかもしれませんが)。 後片づけをして、ご住職にご挨拶を申し上げて、反省会兼懇親会(こちら)に向かいました。
 

(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 03:44:57 PM
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2017/12/12
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年12月12日(火)】

 今日は午後からガイド会の地区組月例会でした。

 午後からなので午前中、年賀状に載せる寺社などの門の写真を撮って回る心づもりでいましたが、風邪が完治していなので自重しました。

 会議では私にとって新しいことは特にありませんでした。2月に修学旅行が少数ありますが、私には割り振られませんでした。1月、2月は修学旅行担当はなしです。

 急に寒くなって風邪が流行っているようで、欠席の方もいらっしゃいました。急病で入院されたり、仕事中に倒れられたり、骨折されたりという方もいらっしゃると聞いています。気を付けなければなりません。

 来年1月6日から始まる「京の冬の旅」は今年は、下記の15ヶ所+平安神宮尚美館で16ヶ所。我がガイド会も担当します。去年より今回のほうが勤務日数が多くなりそうです。より忙しくなるので、より体調を崩しやすいですが、全体で忙しいわけですから、休みたい時にピンチヒッターを見つけにくいということでもあります。そういう点からも体調管理がより重要になります。









 風邪が完治していませんが、会議後の有志飲み会に参加しました(こちら)。残る仕事は17日の修学旅行だけで、それまでに治るだろうから今回はいいでしょうが、「冬の旅」が始まれば自重しなければなりません。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/15 06:24:20 AM
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2017/11/27
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
​​【2017年11月27日(月)】

 今日は、我がガイド協会が案内を担当している2つの特別公開寺院を見学するのと、来年の年賀状に使う寺社の門の写真を撮影するために、京都に出かけました。

 特別公開のうちの1つは、「秋の特別公開」(京都市観光協会主催)の浄住寺、もう一つは東寺塔頭観智院です。年賀状の写真撮影も含め、次のルートで廻りました。

浄住寺(見学)→広隆寺山門(写真撮影)→二条城東大手門(写真撮影)→東寺塔頭観智院(見学)→東寺南大門(写真撮影)

本当は、門の写真撮影のため、東福寺、清水寺、八坂神社、知恩院も廻りたかったのですが、全く時間が足りませんでした。

 門の写真撮影は、後刻投稿することとし(こちら)、ここでは浄住寺・観智院の見学について投稿します。


 浄住寺は初めての特別公開です。このお寺の前を通ったことはありますが、境内に入るのは初めてです。西山の苔寺の南にあり、私が住む桂坂から東海自然歩道で下りたところにあるので、交通費節約のためにも徒歩で向かいました。

 私の自宅から東に向かい、東海自然歩道の下り口から竹藪の中の道を下ります。







 嵐山の「竹林の道」にも負けないような竹林が続きます。







 山を下りたところを山沿いに北のほうに進むと浄住寺があります。

浄住寺




















本堂
案内がありました。











木根観音像

パンフレットから


方丈
案内がありました。





方丈は、仙台藩主・伊達綱村の早逝の子(扇千代丸)の居館が寄進されたものです。この幼子を何かのときに助けるための抜け穴が床の間の掛け軸の後ろに隠されていました。


雲龍図
パンフレットから



方丈庭園   








開山・鐡牛禅師の遺偈








亀甲竹






四方竹
の説明(切り口が菱形の竹)






 浄住寺の少し北にある地蔵院。以前二度参拝したことがあります。今日は中に入らず、紅葉を門の外から撮影させていただきました。「竹の寺」として有名なお寺ですが、紅葉も素晴らしいです。


地蔵院






 苔寺参道のバス停から、京都バスで太秦広隆寺へ。その後、やはり京都バスで四条大宮へ向かい、北に歩いて姉小路大宮の「更科」さんで修学旅行昼食処の下見を兼ねて昼食をとりました。以前、二条城近くの昼食処の下見で外観だけを確認したことはありますが、中に入るのは初めてです。→こちら


 昼食後、二条城東大手門で写真を撮り、市バスを乗り継いで東寺へ。東寺塔頭の観智院へ。

​観智院​

 改修工事が終わっての特別拝観です。我がガイド会のメンバーの案内を聴きました。

 観智院は東寺一山の勧学院で、所蔵する密教聖教の量と質では我が国最高といわれます。中世、後宇多法皇が徳治3年(1308)に東寺に帰依され、西院(御影堂)にこもって真言教学の研鑽につとめられ東寺興隆を発願されました。この頃、東寺は西院の弘法大師像を中心に、新しい出発をしており、頼宝、杲宝、亮禅という真言界でも傑出した学僧が輩出しました。中でも杲宝は随一といわれ、晩年、観智院を創建して東寺教学の基礎を築きました。江戸時代の宗教政策の中で、徳川家康は黒印状をもって観智院を真言一宗の勧学院と定めましたが、それはひとえにこの寺の伝統とその厖大な聖教経典の価値が、広く認められたためです。

 客殿は慶長10年(1605)に再建されたもので、桃山時代書院造りの一典型で、国宝に指定されています。また宮本武蔵筆の「鷲の図」が残されています。


客殿(国宝)

パンフレットから


鷲の図 宮本武蔵筆


パンフレットから


長者の庭(涅槃禄の庭)
 以前「五大の庭」があったところを今回改修したそうです。






 御本尊は五大虚空蔵菩薩で重要文化財に指定されています。唐の都長安の青龍寺金堂の本尊であったもので、847年入唐僧恵運が請来したものです。その面貌、姿態のすらりとした特徴は宋時代彫刻にみられる傾向で、これらの像の造られた晩唐期の彫刻様式を偲ばせるものがあります。

五大虚空蔵菩薩

パンフレットから

 

愛染明王(江戸時代)
 縁むずび、開運、子宝の本尊として多くの信仰を集めます。

パンフレットから


書院
 浜田泰介画伯の「四季図」

パンフレットから


茶室「楓泉観」

パンフレットから



パンフレットから



茶室「楓泉観」からの眺め











中庭








 南大門をカメラに収めたところで、暗くなってきました。東福寺、清水寺、八坂神社、知恩院の門撮影は後日設定することにして、帰途に就きました。 


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/13 08:14:53 AM
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2017/11/14
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年11月14日(火)】

 今日は昼間M社子会社製造事業部門のOB会に出席後(こちら)、京都に向かい、月イチのガイド会エリア会議に出席しました。開始まで時間があるので、重いですがPCを持っていって、近くのマクドで16日の嵐山ガイドの「紙芝居」を作成しました。

 今日の私のトピックスは、1~3月の固定点と「京の冬の旅」の勤務場所が決まったことです。

 固定点は「梅小路公園」、冬の旅は「伏見稲荷大社お茶屋」となりました。客員研究員の研究は伏見稲荷大社を対象にしているので、より伏見稲荷のことを知ることができたり、神社の方と話できる機会もあったりするのではないかとの期待があります。「梅小路公園」は土日祝の勤務で、観光ガイドというよりは、質問への対応が主体のようです。いずれも今後事前説明会があります。


「京の冬の旅」パンフレットから






 終了後、いつも有志で簡単な懇親会がありますが、今回も参加しました。→こちら 


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/12 04:31:26 AM
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2017/11/13
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年11月13日(金)】

 嵐山同行ガイドの下見(こちら)の後、京都市中央図書館に寄って客員研究員研究のため文献を閲読し(こちら)、午後2時半から京都YWCAでの某講座企画委員会に出席しました。

 全体テーマが決まり、私が講師を担当する部分についても議論がありました。種々図書を読んだ内容に基づいて作成した「叩き台」に基づいて討議していただきました。







 テーマは私提案のままでOK。サブテーマは若干変更になりましたが、私の案がほぼ認められた状況です。

 フィールドワークについては、上記「叩き台」に色々候補を書きましたが、討議により、ここから一か所に絞り込まれました(先方のご都合や承諾可否もあるので、決定ではありませんが)。

 勉強のために見学すればよいスポットなどアドバイスもいただきました。

 私が講師をするのは、平成31年(新しい年号になっていると思いますが)4月で1年以上先ですが、来年3月にはセンターに概略説明資料を提出する必要があるので、その案をまずは固める必要があります。今まで読んできた図書などをさらに読み込み、咀嚼をして作成していきたいと思います。
  

(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 03:43:45 PM
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2017/10/10
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年10月10日(火)】

 ガイド会の地区組月例会でした。会は午後なので、午前中は二条城へ。

 9月1日に二条城の詳細なガイドを担当しましたが(こちら)、その準備のため二条城内の説明板の内容を事前調査しました。屋内は写真禁止なので、屋内の説明板の内容は、小さな声で読んで録音して、それを聞きとりながら文章にしました。しかし、一部不明なところがあるので、今日、最終確認に行きました。短時間で済むと思ったのですが、句読点まで見直したため、2時間近くかかりました。

 がっかりしたことが一つあります。以前、説明板の記述内容間違いを一か所発見して、そのことを書きとめて、二条城の事務所に郵送しました。9月上旬でした。しかし、その後、何も返事がありません。今日修正されていないかどうか確認したところ、何も変わっていませんでした。がっかりです。落ち着いたら、もう一度レターを送って見ようと思っています。


 午後からはガイド会の定例会。私に纏わる特記点は、12月に修学旅行1件が担当になったこと。

 来年1月からは「京の冬の旅」があります。次回の会で担当場所が知らされます。

 9月4日に担当した修学旅行の班の生徒たちから礼状が届いていました。この学校は、当日最後別れるときに班長さんが、簡単なお礼を書いた紙をくれましたが、今回は一人一人から手紙をいただきました。良い思い出としていつまでも記憶の片隅にでも残ってくれればと思います。





 終了後、いつも有志で簡単な懇親会がありますが、今回参加しました。→こちら

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最終更新日  2019/06/10 01:32:28 AM
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2017/09/30
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年9月30日(土)】

 「京の夏の旅」は今日が最終日。先日、花山天文台と渉成園・蘆庵に行きましたが(こちらこちら)、まだ大雲院が行けてなかったので、家内と行ってきました。


 大雲院は東山「ねねの道」沿いにあります。天正15年(1587)に正親町天皇の勅命により織田信長・信忠の菩提を弔うために、開山貞安上人の御池御所(烏丸二条南)を賜り、信忠公の法名に因んで、大雲院と名付け、織田父子の碑を建て、追善供養しました。

 その後、豊臣秀吉が狭い寺域を見て同18年(1590)に寺町四条に移し、後陽成天皇より勅願寺の綸旨を給い、大雲院の三字が親書されました。その勅額が本堂に掲げられています。

 その周辺がやがて商業地域の中心となり、昭和48年に祇園閣のある現地に移転しました。

 大雲院はもとは浄土宗知恩院に属しましたが、今は単立寺院です。





本堂
 本堂には本尊である丈六の阿弥陀如来坐像が安置されています。本尊内部には別の阿弥陀如来像が収められており、室町時代から桃山時代にかけての作で、大雲院創建時の本尊とも考えれています。

 本堂ではベテランのお二人の案内を聴かせていだだきました。説得力のあるガイドでした。




仏足石



平和観音



涅槃仏




「佐土原藩戦没招魂塚」(左)「豊烈曜後之碑」(右)とその由緒を刻んだ碑
 「佐土原藩戦没招魂塚」「豊烈曜後之碑」は戊辰戦争で斃れた佐土原藩士を弔うために建てられた碑です。由緒碑によると、もともと大雲院の旧地にあったのだが、痛みが激しいので、復元移転したもののようです。
 大雲院は慶長年間(1596~1615)に日向国佐土原城城主・島津以久の帰依により、寄進を受けています。以久は、天下普請の命により篠山城建築に駆り出され、慶長15年(1610)上洛中に病死したとされています。この時に大雲院の開山 貞安上人に世話になったことから、佐土原藩島津氏は曹洞宗から浄土宗に宗旨替えし、以久の墓も大雲院に建てられています。大雲院と佐土原藩のつながりは幕末まで続きます。大雲院は佐土原藩の京都における本陣の役割を果たしました。このような関係から、これらの碑が立てられたようです。









鐘楼
 豊臣秀頼北野神社に寄進した鐘楼。梵鐘は祇園感神院(現・八坂神社)にあった室町時代在銘のもの。ともに維新後の神仏分離によって両社で無用とされていたものを、明治3年、島津家(宮崎県)が佐土原藩士の菩提を弔うため大雲院に寄進したものです。







書院(登録有形文化財)(この写真では見にくくてすいません)
 元からこの地にあったもので、旧大倉家京都別邸・真葛荘の一部です。
 書院は一部コンクリート造で、その他木造。設計は祇園閣と同じ伊東忠太
 内部を八角形状に仕上げた応接室が特徴的。





信長・信忠碑







石川五右衛門の墓
 処刑前に市中を引き回された五右衛門が大雲院門前に至った際、貞安が引導を渡した縁によります。






祇園閣
 この地は元財閥大倉喜八郎男爵の別荘で、昭和3年御大典記念に祇園祭の壮観を常に披露したいと願って山鉾を模した祇園閣を建てたといわれます。鉄筋コンクリート造3階建で高さ二十尺(36m)、鉾先には金鶴が輝き、地下の基礎も深さ百尺に及びます。喜八郎は金閣、銀閣に次ぐ銅閣をつくりたいということで、伊東忠太に設計を依頼しました。喜八郎は最初、傘をひっくり返したようなものというイメージで依頼したそうだが、断られ、祇園祭の山鉾を模した現在の形のものを設計したとのこと。伊東忠太は京都では他に平安神宮現・西本願寺伝道院を設計しています。
 昭和48年、この地への寺地移転を機に1階正面に阿弥陀如来像が安置されました。また、昭和63年秋開創400年を記念して内部壁面に葛新民の筆による敦煌の壁画模写が完成し、当院に奉納されました。
 壁の電球を支えるのは魑魅魍魎という鬼だとのことです。
 3階からは京都の360度のパノラマが楽しめますが、近隣からのクレーム防止のため、屋内だけでなく屋外も写真撮影禁止になっています。




入口の阿吽(あうん)のライオン





祇園閣入口の鶴





鉾先の金鶴
 普通鳳凰ですが、ここでは鶴。これは喜八郎幼名の鶴吉や号の鶴彦あるいは後年の鶴翁など、喜八郎の名前に由来します。




ご朱印
 朱印帳を持っていかなかったので、書き置きをいただきました。
 祇園閣の絵が描かれています。1ページに入りきらない大きさなので、2ページにわたって貼りました。




 清水寺随求堂まで歩き、貸与品を返却。修学旅行生の昼食でよく使う「しがもり」に入ってカレーうどんで昼食。修学旅行生に人気のカレーうどんですが、家内も美味しそうに食べていました。そして家内に歴彩館まで送ってもらいました。

 歴彩館は特別客員研究員の研究のため、2回目の訪問です。前回に続き、見稲荷大社の機関誌「朱」を読みましたが、時間が1時間ほどしかなく、創刊号をもう一度今回は詳しく読んだにとどまりました。

 夕刻から京都駅近くで「京の夏の旅」下鴨神社の慰労会があるので、地下鉄で京都駅に向かいました。→こちら


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/06/09 07:59:52 AM
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2017/09/28
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年9月28日(木)】

 花山天文台を見学後(こちら)、渉成園に向かいました。


 渉成園は常時公開されており、500円以上の協力寄付金で入園できます。立派な案内冊子がいただけてお得です。この「京の夏の旅」では、中の蘆庵の特別公開が加わった形で、さらにお得です。過去2度だったと思いますが、渉成園は入ったことがありますが、特別公開で建物に入るのは初めてです。

 渉成園東本願寺飛地境内地です。1602年(慶長7)年、教如上人徳川家康から寺地を寄進され、東本願寺が成立しました。その後、宣如上人三代将軍徳川家光から東本願寺の東側の土地を寄進されました。宣如上人は、1653(承応2)年に退隠して自らの隠居所をそこに定め、中国の詩人 陶淵明「帰去来辞」の一節「園日渉而以成趣(園、日に渉って以って趣を成す)から採って「渉成園」と名付けました。そして周囲に枳殻(からたち)を生垣として植えたことから枳殻邸(きこくてい)とも称されるようにもなりました。

 庭園はいわゆる「池泉回遊式庭園」であり、洛北詩仙堂を開いた石川丈山の作庭と伝えます。江戸時代後期の文政年間には、儒学者で漢詩人でもある頼山陽「渉成園記」を撰して「渉成園十三景」を紹介しました。

 渉成園は創立以来、幾度かの火災に遭い、現在の建物は、1864(元治元)年の蛤御門の変による炎上以降に再建されたものです。1936(昭和11)年、文人趣味に溢れる仏寺庭園として国の名勝に指定されました。

 現在、侵雪橋を修理中で、池の水が減らされているのが残念でした。


南側の門
 後出の「大玄関」に続きます。




西門





園内図




高石垣




庭園北口




臨池亭(左)と滴翠軒(十三景の一)(右)両方とも1884(明治17)年再建





滴翠軒の「桧垣の燈篭」(中央)と小滝(右)



 渉成園にはかつて高瀬川から水が引かれていましたが、川の水位が下がった明治以降、「本願寺水道」から導水されることになりました。この小滝の水がそうです。この滴翠軒の池から流れ出た水が遣水を通り、現在も後出の印月池に注いでいます。そのため、現在は園内の池に琵琶湖で棲息する肴たちが見られます。

 この「本願寺水道」は1897(明治30)年に完成しました。1864(元治元)年、蛤御門の変で焼失した東本願寺では、1880(明治13)年頃から再建工事が始まりました。境内の防火は至上命題でした。そこで、琵琶湖疏水を完成させた田辺朔郎博士に依頼し、疏水を東山・蹴上から分水して、東本願寺の境内まで導水するという工事が行われました。三条通、祇園から四条通に水道管が埋設され、さらに五条大橋の下を通っています。
  

代笠席(たいりつせき) 1888(明治21)年再建
 「代笠席」とは、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わり」に雨宿りする席という意味だと
 考えられています。




傍花閣(十三景の二) 1892(明治25)年再建
 後出の園林堂の山門に当たる位置に建てられています。
 庭園内には珍しい楼門作りで、左右両側には山廊と呼ばれる階段の入口があり、階上には
 四畳半の部屋を設けています。傍らに桜並木があることからの名です。






侵雪橋(十三景の六)
 工事中です。



3つの詩碑
 河東碧梧桐、句佛、高浜虚子










回棹廊(かいとうろう)(十三景の十二)1884(明治17)年再建
 安政の大火(1858年)による焼失以前は、朱塗りの欄干を欄干をもった反橋だったと伝わります。
 現在は桧皮葺の屋根をのもつ橋となっています。
 中央の唐破風の屋根の天井部には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折り、金燈籠を吊って
 火を灯しました。





縮園亭(十三景の七)1884(明治17)年再建
 かつては東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のように見張らせたといいます。




印月池(いんげつち)(十三景の三)
 東山から上る月影を水面に映して美しいことからの命名。
 広さは約1,700坪あり、園全体の約6分の1を占めます。




臥龍堂(南大島)(十三景の四)
 印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂とも称しています。
 元来はこの島に建てられていた小さな鐘楼堂のことを指しました。



 この南大島、そして縮園亭の建つ北大島、さらに回棹廊北側の築山は、北東方向から南西方向に一直線上に並んでいます。これは豊臣秀吉が築いた「御土居」の跡だといわれています。


漱枕居(そうちんきょ)(十三景の十一)1865(慶応1)年再建
 旅路にあることを意味する「漱流枕石(そうりゅうちんせき)」の語から採られています。
 前述の縮園亭(飯店)代笠席(茶店)とともに「煎茶三席」「酒店」として用いられたようで、
 園内に三席が完存する珍しい例となっています。




双梅檐(そうばいえん)
 紅梅・白梅が20株ほど植えられた梅林。
 「檐」は「ひさし」の意味で、蛤御門の変(1864年)による類焼以前は、今より閬風亭(大書院)の
 規模が大きく、屋根がこのあたりまでかかっていたことに由来します。




閬風亭(ろうふうてい)1865(慶応1)年再建
 室内は通常の書院造の間取りとは異なり、畳を外せば能が演じられるようになっていました。    
 1880(明治13)に明治天皇がお越しのとき、ご休息された場所でもあり、その石碑が立ちます。
 「閬風」とは、中国・崑崙山脈の頂部にあるといわれる山の名前で、仙人が住むとされており、
 賓客をお迎えする大書院にふさわしい名前です。






石川丈山直筆の「閬風亭」扁額と徳川慶喜筆「渉成園」扁額
 幕末の動乱期、東本願寺は徳川幕府に近い立場にあったため、十四代将軍・家茂、
 十五代将軍・慶喜も渉成園を何度となく訪れました。




園林堂(おんりんどう)1957(昭和329年再建
 前述の傍花閣に対応する持仏堂。「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意
 ですが、仏典では「浄土」をあらわす表現として用いられ、桂離宮にも同じ「園林堂」という
 持仏堂があります。
  堂の正面軒下には南北朝時代の禅僧・虎関師錬揮毫による「園林」の扁額が掛けれています。
  室内は、棟方志功が竣工の翌年に描き上げた42面の襖絵で飾られています。






 
蘆庵 1957(昭和32)再建
 今回の特別公開部分です。
 二階席の茶室。階下は七畳で、西側に常をかまえ、二方に縁がついています。
 階上は主室四畳半に、台目三畳の次の間を付しています。主室北側を板敷とし、中央に赤松の
 曲木を立てて左を床とし、右脇には二重棚があります。
 二方の肘掛窓(ひじかけまど)から眺望が楽しめます。
 前庭の露地には珍しい形の屋根の中門が開かれています。
 「蘆庵」は、江戸時代の文書では「露庵」と書かれており、中国・唐代末(9~10世紀)の
 禅僧・雲門文堰(うんもんぶんえん)の言行録から「露」の一字をとり、室内にその扁額を掛けて
 いたようですが、現在では違う漢字をあてています。
 *台目=茶室に使用される1畳の3/4の大きさの畳














傍花閣を望む







春日燈篭 江戸初期制作。六角形の笠の屋根には降り積もった雪が刻み出されている。




門の屋根の裏



 1階と2階で、会のお二人の先輩の案内を聞かせていただきました。人柄が表れた打ち解けた感じの、分かりやすい説明をされていて、お客様も大変満足されているようでした。


大玄関(おおげんかん)1884(明治17)年頃移築
 1880年7月、明治天皇が京都に来られ、渉成園で休息された際、本山・東本願寺の
 境内に残る宮御殿とともに大宮御所から移築を約され、後に移築されてきた玄関。
 



 
 秀吉を祀る豊国神社。秀吉建立の方広寺大仏及び西本願寺は、正面通と呼ばれる東西の道路で直結され、西本願寺が秀吉恩顧の寺院として存在することを都計画に上からも示しているといわれています。
 
 徳川家康が天下を掌握した際、豊臣家の保護を受けた西本願寺と、豊臣家の聖地である豊国神社と方広寺大仏を結ぶライン、すなわち正面通を断ち切るという意図で、現在の地に東本願寺を建立させたのではないかという説があります。

 そして三代将軍家光も渉成園の地を寄進して、さらに正面通を分断したのではないかということです。

 先輩ガイドの説明でも、今も西・東本願寺には微妙な違いがあるといくつか例をあげて説明していました。宗門のトップは西は「門主」、東が「門首」など。その他は憶えていませんが。
 
 「花山天文台」「渉成園・蘆庵」と濃い一日になりました。
 

(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)

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最終更新日  2019/08/25 10:37:43 PM
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テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年9月28日(木)】

 「京の夏の旅」は9月30日が最終日です。まだ見学できていないところが、花山天文台渉成園の蘆庵大雲院です。最終日の30日に下鴨神社ガイドの慰労会が夕刻あるので、その日に回ろうと思っていたのですが、最終日というのも慌ただしいし、今朝、雨が上がったので、今日、花山天文台と渉成園・蘆庵に行ってきました。

 まず、花山天文台へ。ここは公共の交通機関では行けないので、地下鉄東山駅前からシャトルバスが運行しています。しかし、頻繁に出ているわけではないので事前に時間を調べておきました。同じバスに乗ったのは約10人でした。バスが花山天文台のすぐそばまで行ってくれるのかと思ったら、そうではなく、門の前で降ろされ、緩やかな上りの砂利道をかなりの距離歩かなければなりませんでした。


天文台の門







 本館、歴史館で先輩ガイドの案内を聴かせていただきました。

 花山天文台は「夏の旅」初公開です。というより、こういった形の観光対象としての公開が初めてです。

 花山天文台は2つある京都大学理学研究科付属天文台の一つで、もう一つは飛騨天文台です。花山天文台は1929年に建設されました。建設当時は山科区の人口も少なかったのですが、次第に人口が増えて発せられる光で観測環境が悪化し、1968年に建設された飛騨天文台に主力が移りました。今は、花山天文台は研究・教育活動が中心になっています。文化財としての価値を伝え、何とか存続させたいとの思いがあるようです。


本館
 直径9メートルのドームを頂きます。






本館内部





45cm屈折望遠鏡


 ドーム内には、国内で屈折望遠鏡としては3番目の口径を持つ45cm屈折望遠鏡が設置されています。この望遠鏡は昭和2年、理学部宇宙物理学教室で購入したもので、昭和4年に 花山天文台が創設されたときに移設されました。当初、口径30cmのレンズがついていましたが、昭和44年に性能向上のため、カール・ツァイス製の45cmレンズに換装されました。これにより、 焦点距離が伸びることで鏡筒が長くなり、架台とのバランスが崩れるのを防ぐための工夫が施されています。
 
 それは対物レンズから入った光を末尾の反射鏡で受けて折り返し、鏡筒の真 ん中付近に接眼レンズを設けるというものです。このため、一般的な屈折式の望遠鏡とは少し違った外観となっています。

 天体の追尾には現在でも重力時計が使われています。


昔の写真

 設立当初から一般公開が行われていました。




本館ドームからの眺め 右が別館、左が歴史館
  別館には、ザートリウス社製の口径18cm屈折望遠鏡が設置されています。
 1910年のハレー彗星接近の際にドイツから輸入されました。
 現役としては日本最古の望遠鏡。




遠くに大阪中心部のビル群が見えます。




歴史館(旧子午線館)
 子午儀を用いて正確な時刻を知るための観測が行われていました。
 子午儀の上の屋根が移動して開閉できるようになっています。
 近年はその活躍の場を失い、解体さ れるという話がありました。しかし、子午線館が大正から昭和の洋式木造建築として、日本の建築学史上において、貴重な建築物であるとの専門家から の指摘もあり、花山天文台歴史館として修復保存されました。
 




子午儀と精密時計(奥の赤いロープの後ろ)
 子午儀から精密時計が誤差を生じれば時刻合わせがされました。
 持ち運びできる時計をここで合わせ、京大の時計台に持っていって、時刻合わせをしたとのこと。




太陽スペクトラム分析装置






機械式計算機




修復前には河島英五のアルバム「信望」のジャケットに使われたことがあります。





二等三角点(明治31年設置)




 花山天文台をあとにして渉成園に向かいました(こちら)。


(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) 

 
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最終更新日  2019/08/25 03:40:32 PM
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2017/09/27
テーマ:京都。(5457)
カテゴリ:京都ガイド諸活動
2017年9月27日(水)】

 清水寺随求堂勤務後(こちら)、いつもであれば、まっすぐ帰るのですが、今日は夕刻6時から、某講座の委員会があるので、歩いてその会場に向かいました。場所は室町出水上ルの京都YWCA。ここに着く頃から雨が降り始めました。

 平成30年度のテーマ案と役割分担が議論されました。平成30年度は我がエリアは江戸中期です。江戸中期は京都での政治的な動きが少ない時期です。そこで、絵画を中心にテーマを設定することになりました。詳細テーマは決まっていませんが、おおまかには「琳派と伝統工芸」「若冲と応挙」で行こうということになりました。

 私は新参で、補佐的な役割を担当するということになると思ったのですが、なんと座学の講師に指名されてしまいました。お断りしたのですが、最後にはお受けすることになりました。

 私担当の座学は再来年の5月頃ですので、まだ1年半先です。しかし、講座自体が来年の9月スタートで、それに合わせて募集要項を決めなければならないので、まずは11月末までにテーマ・サブテーマを決定して、来年3月にはA4で1枚の内容概略を作成しなければなりません。

 若冲、応挙とも予備知識は皆無に等しいです。受講料をいただいての講師ですので、質の高い内容が要求されます。手間をかけての準備が必要です。ちょっと大変なことになりました。通常のガイド、特別客員研究員の活動だけでもアップアップなのに、それに加えてこの講師。何とかやりきらなければなりません。次回委員会は11月13日の定例会の前に行うことになりました。


 



 終わってから、軽懇親会ということになりました。家内が飲み会で、私は夕食を外で食べることになっていたので、渡りに船でした。→こちら


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最終更新日  2019/08/25 03:44:24 PM
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