【がん情報】家族性大腸腺腫症 ポリープとの闘い:2 全摘手術するか悩む
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2018/02/28
全197件 (197件中 1-10件目) 京都市内全寺社巡り
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
【2017年3月23日(木)】
「京都市内全寺社巡り」を思い立ったのは、2012年末にM社をリストラで早期退職した直後。失業保険をもらえるだけもらって、あとはパートタイムで観光ガイドのような仕事をボランティアでもいいからしようと思っていたので、全寺社を巡る時間が十分とれると思ったからです。退職後3ヵ月は順調でした。 しかし、2013年4月に結局再就職し、ペースダウン。とはいうものの土日を利用して何とか続きます。ところが、2014年7月に「がん」を発病。1年半のブランクができてしまいました。そして、経過観察になって9ヵ月後の2016年2月に再開。会社勤めは辞めていたので、再びペースは上がりました。 2017年8月に、ガイド会に入会し、観光ガイドの仕事を始めましたが、フルタイムではないので、ペースダウンはすれど、そこそこのペースで続けられると思っていました。しかし、ガイドとしての有償勤務以外にも、ガイド関係で下見、研修、会議、事前説明会、飲み会など結構時間をとられることが分かりました。それに加え、ガイドの仕事の勉強のため、プライベートにも関係のセミナーを聴きに行くようにもなりました。結果的に、去年の9月10日を最後に「京都市内全寺社巡り」は中断状態になってしまいました。 今日、午前中「京都迎賓館」見学の研修会があったので(こちら)、午後から、久しぶりに「全寺社巡り」をする予定でした。ところが、ガイド仲間といっしょに昼食をして、あれこれしゃべって、終わったのが午後2時頃。あまり時間がないので、直接帰宅しようと思ったのですが、途中で思い直して、東山区の北西の鴨川沿い三条通り付近を短時間でも歩くことにしました。実に7ヵ月ぶりの「京都市内全寺社巡り」となりました。 午前中の「迎賓館」での研修も含め、歩いた径路(うろ憶えですが) ![]() 三条大橋の袂からスタート。(<>の中の数字は、地図内の番号) ![]() 三条大橋<1> 天正18年(1590年)、豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修されましたた。徳川家康によって定められた東海道五十三次の西の起点。 ![]() ![]() 駅伝の碑<2> 日本で最初の駅伝競走が、ここからスタートしたことを記念する説明碑「駅伝の碑」がある。1917年(大正6年)4月27日から3日間にわたり開催された。 ![]() 高山彦九郎像<3> 三条大橋の南東にあります。江戸時代後期の尊皇思想家。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の1人(「奇」は「優れた」という意味)。13歳の時に「太平記」を読んだことをきっかけに勤皇の志を持ち、18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説きました。この像は御所望拝の姿で、土下座ではありません。吉田松陰はじめ、幕末の志士と呼ばれる人々に多くの影響を与えた人物です。また、二宮尊徳や楠木正成と並んで戦前の修身教育で取り上げられました。 ![]() ![]() ![]() 歌碑 京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことにより光格天皇にも拝謁しました。その感激を詠った歌。 「我を我としろしめすかやすべらぎの玉のみ声のかかる嬉しさ」 ![]() ![]() 小川亭跡碑<4> 小川亭は,肥後藩御用達「魚卯」の未亡人ていと姑りせが共に開いた旅館。幕末肥後藩士ほか勤王の志士たちに利用され,二人は志士の面倒をよく見たという。大正9(1920)年に廃業し,家屋は第2次世界大戦時の強制疎開で取り壊されました。三条京阪駅から縄手通を少し南に下った西側にあります。 ![]() ![]() 京都市立有済小学校に残る太鼓望楼<5> 明治9年8月。入り口に近いところに太鼓楼兼望楼を作り人々に時刻を知らせました。各小学校にあった望楼は明治末までに姿を消し,有済校にだけ残っている日本唯一の文化財。 ![]() ![]() ![]() 池田屋事件殉難志士墓所跡碑<6> この地にあった三縁寺には、池田屋事件で犠牲になった宮部鼎蔵・松田重助志士らの墓がありました。三条バスターミナルの開発に伴い、1979年に墓は三縁寺とともに、左京区岩倉へ移転しました。 ![]() 大像寺(浄土宗)<7> ![]() ![]() 大将軍神社<8> 素盞嗚尊を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る。 桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護 のため、四方四隅に祀られた大将軍神社のうち、 東南隅の一つである。 特に平安京東のこの地は、三条口の要地にあたり 邪霊の侵入を防ぐ意を以て重要視されてきた。 このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁 の乱で廃壊したが、境内に東三條社として名跡を 留めている。又。樹齢八〇〇年と伝える銀杏の 大樹があり、かっては鵺の森とも呼ばれ、源 頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。 -境内由緒書き- ![]() ![]() 大将軍神社境内の東三條社 ![]() 樹齢800年と伝わる銀杏の木 ![]() 城安寺<9> 浄土宗。幕末、御陵衛士・伊藤甲子太郎らが最初入った寺。その後すぐに、善立寺に移り、さらに月真寺に移りました。 ![]() ![]() 榎木大明神<10> ![]() 圓光寺<11> ![]() ![]() 市立三条浴場<12> こういう市立の浴場があるところは特別な地域であることが多いようです。 ![]() 蓮沢寺<13> 廃寺になったようです。 ![]() 古道具屋<14> 東山通で目を引くお店です。 ![]() ![]() 一澤信三郎帆布 店舗と工房<15> お家騒動でも有名になりましたが、しっかり商売は継続されています。 ![]() ![]() ![]() 門前白川道【道標】<16> [南]門前白川道 [東]右きく屋ばし [西]左たぬきばし ![]() ![]() なすありの径碑となすあり地蔵<17> 「なすあり」とは、地元有済小学校の「有済」を逆さに読んだもので、中国古代の歴史書「書経」に記されている言葉です。意味は、「耐えて忍べば済す有り(どんな辛い事に対しても、耐え忍んで努力すれば必ず報われる)」ということ。昭和二十九年(1954)に、京都市水道局が花見小路通の水道管工事をした時に、お地蔵さまが白川の川底から掘り出されました。このお地蔵様が何百年もの間、川底の暗闇でじっと耐え、ようやく日の目を見たことを讃えて、「なすあり地蔵」と名付けられました。 ![]() 辰巳大明神<18> 元々は、御所を守るために創建され、御所の辰巳の方角」を守るということから、辰巳神社と呼ばれたのだが、いつしか祇園の芸舞妓が芸事の上達を祈るようになり、いまでは芸事の神として信仰されています。 もう一つ云われがあります。神社の祭神は実は狸で、巽橋に住んでいた狸が、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていました。それに困った人が、この狸の為に祠を建て神として祀ったところ悪戯が止んだという言い伝えです。 ![]() ちょうど婚礼写真撮りがありました。 ![]() 新橋通り<19> ![]() 巽橋<20> ![]() 白川南通り沿いの白川(巽橋からの眺め)<21> ![]() 祇園切通し<22>(巽橋を南に渡った南北の通り) 名前の由来は不明ですが、ネットでは富永町、末吉町、本吉町といった花街を縦に突っ切っている通りだからとの推定がありました。 ![]() かにかくに碑<23> 祇園を愛した歌人、吉井勇の歌碑。 「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」 祇園白川に「大友」というお茶屋さんがあり、夏目漱石、谷崎潤一郎ら有名作家や画家が多く訪れました。この歌碑は、吉井の古希の祝いに「大友」のあった場所に谷崎潤一郎ら数名が建立しました。 毎年十一月八日には 「かにかくに祭」が祇園甲部お茶屋組合によっておこなわれています。 ![]() ![]() 弁財天<24> その昔、賀茂川が手の付けられない暴れ川で、白河上皇も「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と言ったほどの川であり、 その賀茂川の治水を受持っていた、防鴨河師の勢多判官為兼が、行きずりの僧から「川の北に弁財天を、南に禹王廟を祀れ」と言われ、 そうすると賀茂川の洪水は治まったという謂れに因み、この白川が鴨川に注ぐ弁財天の社が再興されている。 ![]() ![]() 青木聾米(ろうべい)宅蹟碑<24> 青木聾米(1767~1833)は,祇園の茶屋「木屋」に生まれ,通称木屋佐兵衛。号を木米といい,晩年に聴覚を失ったため聾米と称した。29歳で作陶を志し,奥田頴川に入門。仁阿弥道八・永楽保全とともに幕末京焼の三名工といわれました。弁財天の一画に立っています。 ![]() 大和橋<25>から白川を望む ![]() せせらぎの道碑<26> 1987年(昭和62年)、京阪電車の地下化事業により琵琶湖疏水の三条~七条間が地下化し暗渠になりました。それに伴う川端通の整備・拡張作業の一環として、この散歩道が誕生し、名前は公募により決定されました。 ![]() ![]() 北座跡<27> 北座は元和年間(1615~24),四条河原での興行が許可された7か所の常設芝居小屋のひとつ。のちに四条河原の整備により四条橋東周辺に集中した。幕末には7か所のうち,北座と南座だけが残っていたが,明治26(1893)年に取り壊され,現在は南座のみになっています。 ![]() ![]() 出雲の阿国像<28> 出雲の阿国(おくに)は、歌舞伎の祖とされる女性芸能者。奈良の春日若宮で「ややこ踊り」を演じたと見えるのが初見。出雲大社の巫女と称して興行。慶長8年(1603)年、京都で「かぶき踊り」を始めて人気を集め、これを模倣した遊女歌舞伎が流行。阿国が興業したのは、北野の社と五条河原などで、四条河原の地は後の遊女歌舞伎の地だといわれています。 ![]() ![]() 短時間でしたが、久しぶりの「京都市内全寺社巡り」でした。五条烏丸まで歩いて、バスに乗り帰宅しました。次はいつ全寺社巡りができるでしょうか。巡りきってからあの世に行きたいものです。 ------------------------------------------------------------------- よろしかったらぽちっとお願いします。 ![]() にほんブログ村
最終更新日
2019/05/28 04:29:31 PM
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2016/09/12
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年9月10日(土)東山区第3日の第3回(最終回)です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201609100003/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記の東山区#3です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing =============================== 【東山区第3日 第3回(最終回)】 続きです。 東山区の南端まで歩き、再び東福寺エリアに戻ります。 ◆東福寺塔頭 南明院 最南端に位置する塔頭です。1414年に足利義持が業仲明紹を開山として創建しました。1590年に没した旭姫(徳川家康正室)の菩提寺として知られ、徳川家康、秀忠、家光は上洛の際に必ず墓参としたと伝わっています。 ![]()
九条陵・月輪南陵参道【道標】
再び東福寺エリアに戻ります。
◆東福寺塔頭 正覚庵
東福寺本山に入ります。
◆東福寺
最終更新日
2019/09/03 07:15:42 AM
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テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年9月10日(土)東山区第3日の第2回です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201609100003/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記の東山区#3です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing =============================== 【東山区第3日 第2回】 続きです。
鳥居の向こうが拝殿 鳥居の向こうが拝殿 「北山貴船奧院御社」旧殿を移築改築したもので、京都市指定有形文化財に指定されています。
最終更新日
2019/08/26 10:43:21 AM
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テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年9月10日(土)東山区第3日の第1回です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201609100003/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記の東山区#3です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing
南に向かい、東海道本選の陸橋を渡ります。新幹線のトンネルの手前で、東海道本線も新幹線も両方見ることができるスポットです。全部の列車が京都駅に止まるので、猛スピードの列車を見ることはできませんが。
東海道本選に沿って東進して、東山通まで来ます。
神社創建の際、熊野から運ばれた後白河法皇お手植えのクスノキと伝えられています。
ご朱印
御神鳥の「八咫烏(やたがらす)」の印が押されています。
●伏見街道第一橋
●泉湯(銭湯)
●宝樹寺(浄土宗西山禅林寺派)
2016/09/10
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
【2016年9月10日(土)】
昨日は飲み会でしたが、そんなに飲んでなくて、朝の気分は良好。天気も良さそうだし、8月17日に全寺社巡り行ったっきり行ってないし、来週になると色々忙しくなるし、家内は自治会主催の近くの小学校でのミニ・コンサートに友達と出かけるというので、東山区第3日目の歩きに出かけました。 【本日の行程】 自宅を出たのは午前10時半過ぎ。バス一本で京都駅まで。午前11時25分くらいに京都駅を出発しました。 東に歩いて、東海道線を南に横切り、東海道線の南側を歩きました。 新熊野神社、瀧尾神社、光明院、東福寺の一部を歩きました。 午後4時20分頃、東福寺前からバスに乗って、七条大宮でバスを乗り換えて帰宅しました。 涼しいことを期待したのですが、京都の最高気温31.5度と真夏日に逆戻りで、汗を結構かきました。それでも一時期のことを思うと、だいぶましです。 ◆ルートと訪問スポット ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 下記がオリジナル(下記の東山区#3) https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing ◆歩行データ ・歩行距離 東山区の歩き部分(地図上計測) 10.0km *全歩行距離 12.2km ・歩数(全歩数)17,000歩 ・歩行時間 2時間44分。 *は自宅からの往復の歩数計データ よろしかったらぽちっとお願いします。 ![]() にほんブログ村
最終更新日
2019/08/26 11:11:56 AM
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2016/08/30
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年8月17日(水)東山区第2日の第3日です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608170004/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing ########################## ≪東山区第2日第3回(最終回)≫ (東山区第2日第2回から続く)
2016/08/29
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年8月17日(水)東山区第2日の第2回です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608170004/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing =============================== それでは東山区第2日の第2回です。 正法寺、霊明神社への階段を、西のほうに下りて行くと、左手に老舗料亭「高台寺 土井」があります。「高級」ですので、私は入ったことがありませんが・・・・
二年坂まで下りてきました。
歌詞:『祇園小唄』 1. 月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に 夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に 祇園恋しや だらりの帯よ 2. 夏は河原の夕涼み 白い襟あしぼんぼりに かくす涙の口紅も 燃えて身をやく大文字 祇園恋しや だらりの帯よ 3. 鴨の河原の水やせて 咽(むせ)ぶ瀬音に鐘の声 枯れた柳に秋風が 泣くよ今宵も夜もすがら 祇園恋しや だらりの帯よ 4. 雪はしとしとまる窓に つもる逢うせの差向(さしむか)い 灯影(ほかげ)つめたく小夜(さよ)ふけて もやい枕に川千鳥 祇園恋しや だらりの帯よ 円山公園 ![]() 明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や安養寺、長楽寺、双林寺の境内の一部でした。明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令によって土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられました。園地計画は武田五一がまとめました。人工鉱泉療養所や貸席がたちならび歓楽境をなしていたが、火災で焼失したあと1912年(大正元年)に小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭され現在の形となりました。国の名勝に指定されています。 円山公園の名は、安養寺の山号である慈円山からきています。 祇園枝垂桜(円山公園内) ![]() 「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種で、初代の枝垂桜は1947年(昭和22年)に枯死したため、現在は2代目が植えられています。来たるべき開花に備えているわけですが、花が咲いていないと、単なる一本の普通の木にしか見えず、誰も目を向ける人がいません。 京都霊山護国神社南へ三町【道標】(手前) [西]京都霊山護国神社 南へ三町 [東]昭和十六年十一月 靖芳書塾 稚松会建 頼山陽先生墓碑【道標】(奥) [南]頼山陽先生之墓碑 [北]大正十一年一月 [東]大阪 有田音松建之 長楽寺の頼山陽のお墓を示しています。 ![]() 坂本龍馬・中岡慎太郎銅像(円山公園内) ![]() 慎太郎の背の低さを目立たなくするためにこのようなポーズになっているといわれています。 昭和11年京都高知県人会有志により建立され、第二次大戦中に撤去されましたが、昭和37年に再建されました。 京都市歌碑 ![]() ![]() 円山公園内の料亭「東観荘」の前にあります。何故ここにあるかは、よく分かりません。 京都市民でありながら聞いたことありませんでした。You Tubeにありましたので、是非、お聞きください。 なかなかいいです。
2016/08/28
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年8月17日(水)東山区第2日の第1回です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608170004/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing =============================== それでは第1回です。 自宅を出たのは午前10時半過ぎ。遅くなったので、バス+阪急+地下鉄を使い、地下鉄蹴上駅からスタート。 東山ドライブウェイを北側から上り、山科区で見つけられなかった「花山道路碑」発見に再挑戦(3回目)しましたが、結局発見できず。 そのまま将軍塚まで上り、将軍塚の門の手前を、京都一周トレイルの道を「粟田口・知恩院」の方向に入りました。東山区第1日では、逆側から上ってきました。 ![]() 東山一周トレイル道標 右の「東山山頂公園」の方から下りてきました。「粟田口」が東山区第1日で上ってきた方向です。今日は京都一周トレイルから外れ「知恩院」方向に下りていきます。 ![]() 「知恩院」方向に下りていくと、木の道標とともに、石の道標2つが見つかります。 手前の道標 将軍塚・円山公園【道標】 ![]() 建立者:中井慈眼(推定) [南]右 将軍塚 [西]左 円山公園 奥の道標 山縣公紀念樹・菊渓・高台寺【道標】 ![]() 「菊渓」は「きくたに」と読み、高台寺の北の菊谷菊という菊が咲き誇っていた場所のようです。 「山縣公紀念樹」に方向に行くと、平らな少し広い土地に出ました。 木にこのように「高台寺山」というラミネートされたカードがぶらさげてありました。 ![]() 一つは「26 高台寺山198.6m 関西・東山三十六峰を歩く会 H22.9.4/9.9」 もう一つは「京都・東山三十六峰 第26峰 高台寺山 標高200m 兵庫・東山三十六峰を愛する会」2014.9.20と書いてあります。いずれも東山三十六峰を歩く団体の方が、山の場所を特定するために、ぶらさげられたのだと思います。 この場所はピークでも何でもなく、山の中腹の少し平らになったところです。そのような場所も、東山三十六峰の一つになっているということです。色んなネット情報を見ますと、東山三十六峰の中には、特定するのが非常にむつかしい山も多いようです。 それにしても、H22といえば、6年前。ラミネートされているとはいえ、風雨と高低温の中、あまり劣化もせずに、文字が読める状態というのは驚きです。 山縣有朋紀念樹を示すものは見つかりませんでした。
最終更新日
2019/08/26 10:41:15 AM
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2016/08/17
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
【2016年8月17日(土)】
今日は天気も良さそうだし、家には私一人なので、京都市全寺社巡り、東山区の2日目に出かけました。 【本日の行程】 自宅を出たのは午前10時半過ぎ。遅くなったので、バス+阪急+地下鉄を使い、地下鉄蹴上駅からスタート。 山科区で見つけられなかった「花山道路碑」発見に再挑戦(3回目)しましたが、結局発見できず。 中井慈眼(中井三郎兵衛)が建立した東山周遊の道標でまだ訪れていないところや、伊藤博文詩碑を巡り、正法寺、霊明神社、円山公園、安養寺などを巡りました。 伊藤博文詩碑は立ち入り禁止の山道のところにあったため、ちょっとしたアドベンチャーでした。 山道のを歩いているときに、雨が降ってきましたが、それほどきつくはならなくて助かりました。 ◆ルートと訪問スポット ![]() ![]() ![]() 下記がオリジナル https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing
・歩行距離
最終更新日
2021/12/03 12:06:44 AM
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2016/08/13
テーマ:京都。(5852)
カテゴリ:京都市内全寺社巡り
「京都市内全寺社巡り」2016年8月11日(水)の東山区1日目の第2回(最終回)です。
◆この日の行程、ルート地図、歩行データは投稿済みです。 http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201608100007/ ◆ルート、訪問地プロットのオリジナルは下記です。 https://drive.google.com/open?id=1g8SwpQ6kDUnreV2ZQi6eodH6lYc&usp=sharing =============================== それでは第2回(最終回)です。 佛光寺本廟の西に良恩寺があります。 ●良恩寺(浄土宗西山禅林寺派) 創建は永禄年間(1558~70)とされます。
本堂。小野篁(おののたかむら)作と伝わる 阿弥陀如来坐像が安置されています。
参道の石榴(ザクロ)の木
階段の登り口の鳥居
[南]
将軍塚展望台駐車場にあります。東山ドライブウェイは昭和34年に開通し、当初は日本道路公団の有料道路でした。
●石塔
最終更新日
2019/08/26 10:40:24 AM
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