【若冲と応挙】#50 付録3 応挙年譜 その2(21歳~30歳)
【2021年9月28日(火)】 昨日は、Zoomでの会の集まり。またもやカメラを認識せず、声だけの参加になりました。Vistaの古いPCが問題なのでしょう。早く新しいPCを買わねばなりません。しかし、その品定めをする時間もありませn。 今日は鉄道博物館まで車を出し、一旦帰宅して会の諸事。夕刻に久しぶりの外食で「はま寿司」でした。私は初めて行きました。コスパよかったです。コロナでアルコール無しが残念でした。10月1日に緊急事態宣言が明けて、アルコールサービスOKとなると、大混雑するのでしょうね。 「若冲と応挙」第50回。付録3 応挙年譜のその2(21歳から30歳)です。西暦(和暦)年齢 ◆:応挙の動向、☆:芸術・文化人の動向、*:政治・社会の動向1755(宝暦5)23歳 ◆この頃、「氐」「円一嘯」の署名を用いる。☆渡辺始興没(73歳)1756(宝暦6)24歳 ◆5月21日、父が死去する。1759(宝暦9)27歳 ◆この頃、尾張屋の店で、眼鏡絵を描き西洋画法を修得。 応挙が考案した眼鏡絵は多くの人に大きな影響を与えた。この頃の署名は「一嘯」「夏雲」。☆伊藤若冲か動植採絵のひとつである「向日葵雄鶏図」を描いた。このシリーズは1766年に完成する。覗き眼鏡と眼鏡絵 応挙筆「三十三間堂通し矢図」1760(宝暦10)28歳 *徳川家治が10代将軍に就任し、田沼意次が政治を動かす。(続きます)●前回はこちら ●次回はこちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村