旧東海道歩き 第2日(大津~草津)
【2024年1月28日(日) 大津(10:20)~草津(16:20) 16km】 歩数35,200歩 天気:曇りのち雨 「京町通り」石碑大津祭 「西行桜狸山」由来滋賀県庁 設計は早稲田大学大隈講堂、群馬県庁等を設計したことで知られる佐藤功一氏。 鉄筋コンクリートの4階建で中央には塔屋がそびえ、左右に事務室、そして正面玄関には大きく車寄せを配したその容姿は、ルネサンス様式らしい格調高い存在感を放っており、滋賀県を代表する近代建築の一つとされている義仲寺 木曽義仲の墓がある。義仲の愛妾巴御前がここに草庵を結んだところから巴寺とも呼ばれた。芭蕉の墓もある。元禄7年(1694)大坂で客死した芭蕉は遺言のより義仲寺に葬られた。芭蕉は義仲を敬愛していた。「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」膳所城北総門跡 膳所城下町の西口 膳所城は徳川家康が西国に備え瀬田の唐橋を守護するために築いた。藤堂高虎が縄張りを行い、歴代の譜代大名が城主となった。石坐(いしい)神社 本殿は文永3年(1266)造営 県指定有形文化財バッタリ床几 所々に見られた琵琶湖が見える和田神社 白鳳4年(657)創建。本殿は、国の重要文化財。御神木の銀杏は樹齢650年。関ケ原の合戦の後、捕らわれた石田三成は京に護送される途中、この木に繋がれた。膳所城中大手門跡懸社篠津神社若宮八幡神社 表門は膳所城犬走り門を移築した(大津市文化財)膳所城勢多口総門跡 膳所城下町の江戸口日本電気硝子本社、ローム滋賀工場を右に見ながら進む。昼食は石山商店街にて、キーマカレー。蓮如上人休息所跡碑瀬田の唐橋山崎茶酔歌碑 「松風の 帆にとどかず 夕霞」田上太神山不動寺道標東海道立場跡碑 写真では涸れているが、月輪池は池に月が落ちる姿が美しいといわれた月輪寺 「新田開発の地」碑がある。江戸時代になって開墾が進められた。「明治天皇御東遷御輦之所」碑もある。名勝月輪大池南約一粁(キロ)弁天池 琵琶湖の竹生島から勧請した弁財天を祀っている。社には日本左衛門が隠れたという。萩の玉川跡 玉水の様な清水が湧くところから。現在は公園になっており、今も泉が湧く。これは近くの十禅寺川の伏流水。旅人の喉を潤した諸国六玉水の一つ。「野路在郷軍人用地跡」碑 かつて、満20歳から満40歳(昭和18年からは45歳)までの男性は兵役の義務を負わされていた。普段は一般の国民として生活をしながら、 いざという時には戦場に赴かなければならない人々のことを「在郷軍人」と言った。その用地跡のようである。新宮神社平清宗祠塚 壇ノ浦の合戦で源義経の捕虜になった平清宗は、鎌倉から京へ上る途中、ここで斬首された教善寺 浄土宗本誓山。承応2年(1653)遠藤権兵衛なる者が、敷地田畑一町歩を寄進して開基した寺野路一里塚碑 日本橋より119里目稲荷神社矢橋(やばせ)道標 矢橋湊(琵琶湖)から大津への舟運があった。「瀬田へ廻ろか矢橋へ出よか ここが思案の姥が餅」「武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも いそがば廻れ 瀬田の唐橋」と詠われた。寛政10年(1798)の道標(草津市指定文化財)。「右やはせ道 これより廿五丁 大津へ舟わたし」 立木橋立木神社 矢倉の産土神。境内に樹齢400年のウラジロガシ、旧追分道標や鹿の狛犬がある。草津宿場追分道標を描いたマンホールの蓋雨が降りだした太田酒造 銘酒「道灌」の蔵元。太田道灌の遠祖。代々問屋場の総取締役を勤め、政所と呼ばれた。史跡草津宿本陣 田中七左衛門本陣、遺構を残し、公開されている。(国指定史跡)安藤広重 東海道五十三次 草津宿JR草津駅よく歩きました。雨は最後の方だけだったので、助かりました。