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カテゴリ:読書
斎藤幸平「人新生の『資本論』」を読んだ。
環境危機を解決するためには脱成長経済が必要だという主張には一理あると思う。資本主義では駄目で、成長を前提とする史的唯物論に立脚するマルクス主義でも駄目だという指摘も、その主張から導かれるものとして理解はできる。 そこで斎藤氏は晩年のマルクスが史的唯物論を否定して脱成長を考えていたのだと言う。 文献にあたる能力のない僕は「そうなのか」と思うしかないのだが、結局マルクス主義ではないところのマルクスの考えに従うべきだというのが本書の主題になるのだろう。(つまり、いわゆるマルクス主義は完全否定される) そうすると、そもそもマルクスにこだわる意味があるのかと疑問に思うのだが、めざす方向性として所有の問題に言及しているところにこだわりの意味があるのかもしれない。 しかし所有形態が変わっただけで物事はうまくいかない、ということは旧ソ連を見るまでもない。協同組合的なものも規模の拡大などによってやがて企業化するということも明らかなことだ。 環境問題の解決に、脱成長という方向があるということは理解できる。しかし脱成長などと言えるのは先進国である程度裕福な層に属する人だろう。それより貧しい層は経済成長を欲するはずであるし、そのために公正な市場を求めるはずだ。 環境問題の解決には脱成長が必要と考えることは、環境問題の解決は不可能だと言っているようなものではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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