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どうしてもこの記事を自分の日記に残しておきたくて、著作権とか問題あるのかなあと、少しほかの人の日記をのぞいて、扱い方を見てみたのですが、人それぞれ、結局解決することはできませんでした。
一部を抜粋して掲載することは、かえって意図をゆがめることにもなりかねないと思いますので、全文を掲載します。 ______________________________________________________________________________ 2004/11/20付 朝日新聞土曜版「be」~「フジマキに聞け」足るを知る人こそ 質問:私は小さい頃から親の敷いたレールを歩んできました。最近はそのトラウマもあって、「自分らしさとは何か」について悩んでいます。自分らしさにゆるぎのない藤巻さんから、何かアドバイスをください。(三重 29歳女性) ■弟・足るを知る人こそ 生まれてから10年あまり、フジマキの人生は暗かった。 アレルギー体質でアトピー性皮膚炎がひどく、小学校に入学して早々、検査入院することになった。しかも、東京の病院でフジマキはひとりぽっちだった。「ちょっと買い物に行ってくる」と病室を出た両親は、そのまま父の赴任先だった九州に行ってしまったのだ。人間不信に陥った。 退院後も、父は転勤を繰り返し、フジマキは4回も小学校を変わった。体が弱く、引っ込み思案の転校生は、いじめの標的だった。砂場に連れていかれ、口に砂を詰め込まれるなんてこともあった。 おそらくこれくらいのトラウマなら、どんな人間も抱えていると思う。それを克服することで人は成長する。克服できないほど深く傷ついた人は、自分でトラウマだなんて言い出さないはずだ。 自分捜しの旅なんて、近所の本屋で間に合うというのが、フジマキの信条だ。最近も、禅語の解説書をペラペラめくっていたら、「知足」という言葉を見つけた。足るを知る人こそ、最も幸福に近い人だと。あなたにこの言葉を贈りたい。 ______________________________________________________________________________ 「フジマキ」とは現福助社長藤巻幸夫氏のこと。 なにも、アレルギー、アトピーという言葉のためにスクラップしておきたいというのではなくて、全く一言の無駄もないくらいに、いつも私が考えていることばかりが書かれているのです。 まあ、そう考えるのには、似たような体験をしていてわかりやすかったということがあるのは事実だとおもいます。 私がアトピーで初めて入院したのは、大学卒業の直前でしたが、それまでアトピーで入院することがあるということすら知りませんでした。 しかし実際に入院してみると、病棟内は重症のアトピー患者さんでいっぱいでした。 大人の私でも、それまで生きてきた20年ちょっとの中で、一番きつい…、という気持ちでいましたが、同じ病室内には、幼稚園前の女の子もいて、毎晩お母さんもいない中、長くつらい夜を、ひとりで耐えていたのを思い出します。 親を最も必要としている子どもに対して、親の方は健康なのでその必死さがイマイチ伝わらない…。そこから、不信感が生まれる、というのは、実感としてよく分かります。 親の仕事に合わせて、子どもが何度も転校させられた、という箇所も、まさに自分の体験と重なり、子どもより大人のリズムに合わせた生活や、家の中において父親の仕事を最優先した価値観、環境の変化など、ある程度のパターンが見られるような気がしました。 そして、これくらいは誰でもあることだといっているところ、ここがカンジン。 トラウマ、自分探し、これらを軽軽しく言うな。 足るを知れ。他所は他所、うちはうち みんなと一緒になりたい、みんなと一緒じゃいや、では欲望にきりがない、と思います。 以上、自戒をこめて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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