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カテゴリ:アトピー
やっとこさ、始められることになりました。
2007年の2回の入院の後、自分では劇的によくなったと思い、翌年の春、仕事をやろうといくつか回りましたが、1ヶ月ほどで、おたふく風邪になりそこから調子を崩して断念。 去年も、春にひと月ほど回りましたが、全然ダメ。 そのうち、目薬で一時的に下がっていた眼圧が再び上がり眼科通いが続いて、ストップ。 今年は3年目で、これから暑くなるまでにどっか決まればいいんだけどなあ、とまた探し始めたら、今度は1社目で決まりました。 捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこのこと。 いろんなことがありました。 できることがあればどこでもいいと思って、派遣、バイト、パート、契約社員、臨時職員などに応募しました。 派遣では、私のような人間には経済的に価値がないとみなし、慇懃無礼で散々な扱いで、疲れるだけ損でした。 最初に行った時のことはここでも書きましたが、通院していることを話した途端手のひらを返したように冷たい態度になったのですが、その頃から私は、本当の理由は違うところにあって、断る名目を探していたのではないかという気がしていました。 2つ目の派遣会社では、ネットに出ていた求人情報を示し働きたいと言うと、確認してきますとブースを出て行って、その足音が廊下の途中でクルッとターンしてこっちに戻って来、残念ながらほかの人に決まってしまいましたと言われましたが、何か月経ってもその情報はネットに掲載されたままでした。 こんなことやっても無駄ならはっきり言ってくれないかなあと思いながら向かった3軒目で、対応した男性は、自分もアトピーでこれまで就職でもさんざんいやな目にあって来たと言い、私のことを根掘り葉掘り聞いた後(それでもイントロにも達しませんでしたが)、自分としてはあなたのような人に何年かかっても再び働いて頑張ってもらいたいが、今の日本では、これだけ空白のあるような人を雇おうというような会社は、自分の知る限り皆無だ、と言いました。 そこまで言い切る権利はないだろうと思いましたが、とりあえずそれで派遣の線はやめることにしました。 その後行った流通業界のパートの面接では、社会経験が少なすぎるという名言を聞きました。選挙に出るわけでもあるまいし。 また、私の最寄り駅の隣り駅から通勤しているという50代に達しようかという男性には、やっぱり遠すぎるよねと言われました。 ツツガナクやってこられた人の無知に驚きました。 今日行った所は、先日ハローワークで紹介状をもらって応募したところで、履歴書が届いたと思われる昨日の、夜7時も過ぎてから電話があり、急遽面接となり、さらに話の延長で一気にそのまま前任者からの引継ぎも行おうとするほどセワシナイ決まりようで、これまでとの違いに戸惑い、即決しかねて一旦家に帰って家族に相談してから、改めて返事をしました。 はっきり行って、いつ潰れてもおかしくないようなところです。 でも、私のこれまでの空白も、体調のことや通院のことを話しても、全然問題にされませんでした。 全然経験がないのに、一人っきりの事務です。どうなるのやら、恐ろしい限りですが、出来なくなるまでは、頑張ってみようと思います。 それにしても、この日記を始めた時は、まさかまた働けるまでによくなるとは思いもしませんでした。 そのような希望は極力持たないように努力していました。 本当に長い年月、できるだけのことをしても、全然よくなる気配がなかったからです。 思うように外に出て行ったり動き回ることが出来ず、アタマの中だけ全力疾走で一生懸命の気持ちで、でも何も希望がなかったので、その時の自分にとって真逆の、「のんびり」と「夢」という言葉をこの日記のタイトルにしたのです。 きっと、これから始める仕事でも安泰とは行かず、また近いうちに職探しをするかもしれません。 また、体調もどうなることやらですが、それでも、一歩踏み出せるだけで、自分にとっては大成功です。 なにより、ヘルペスで病院に駆け込んだときにその場で「アトピーの治療にも取り組んでいきましょう」言ってくださった、今の主治医に感謝しなければ。 そして、ここで見守ってくださった人にも、感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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