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のんびり幸兵衛夢日記

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2010.04.10
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カテゴリ:出来事
何と3日で辞めました!
面接があった先週の土曜日からやめるまで、たったの1週間。

初日に始まった瞬間から分かったのは、本になったり映画になったりしているらしい、いわゆるそういうところだということでした。
就労開始に際して雇用契約書など書面も何もなく、すぐ振り回されるようにして始まり、社会保険に関してや給与支払い方法など、ハッキリさせたいことが聞けないままだったので、終業時に、「社会保険の手続きで、こちらが用意する必要のある書類はありますか」と聞くと、分からないとの答えでした。
確かに具体的な手続きや作業はそうかもしれませんが、私が聞きにくいことをそのような言い方をした意図は、分かるはずです。

それでも、よくないところということぐらいは分かっていたし、出来ることがあるだけで夢のようだったし、入ったからにはやるしかないと頑張るつもりでした。
でも結局、辞めやすい早いうちに決断するのが得策だと考えました。

事務のデスクの周りには、今働いている人(私以外3人)と短期間に辞めて行ったたくさんの人、さらに大量の不採用になった人の書類や、給与の算出方法(遅くまで残業しても、お給料は必ず「7(時間)」で割り切れる)、受注内容や業績の推移を示すものが揃っていたので、空いた時間にそれらを片っ端から読みました。

もう会社は実質すでに破綻しているのに、過去の幻影にしがみつき、借金と返済に追われて、マイマイコンコンしているのです。。
本来の業種は建設関係なのですが、今が不景気だというだけでなく、将来世の中の経済状況がよくなってきても、この社長のやり方はもう古くて、そういう時代が再び戻ってくることはありえないのです。

信じられないことに、辞める話をしている時に、「バブリーな時代は」(このとおりの言葉を何度も使った)社内旅行にみんなを引き連れてアメリカへ10日間行ったとか、不動産で資産を持っておいたほうが信頼があって有利だといわれて買った1980万円の土地が(小さい…)今は500万円になったとか、言うだけ恥をかくような話を次々に聞かされました。

なのに、本来の仕事がないからと、不況で失業した人の雇用を創出するための、本来の事業とは全く関係のない府の仕事を受注し、自分ではできないパソコンの作業をさせるための人手が足りず、あがいているのです。
大量の短期のアルバイトや、入ってはやめていく何人もの手が加わって、一つの文書の中で文体や書式などに一貫性がなく、後から修正を加えようにも設定上うまく行かなかったりして、手間が二重三重にかかっているということすら、分からないのです。

そんなところでも、これまで普通の会社で働いたことが全くない私にとっては、些細なことでもすべてが初めてのことばかりで、貴重な経験で、大変だったことはすべて楽しいと思えることでした。

私自身はそういう気持ちで、そこの中でやっていこうと思ったのですが、社長という人はどうやら短期間で切り捨てようとしているということが、2日目で分かりました。
終わり際に、「面接の時にどう伝わったか分かりませんが、今は試用期間中で、大体1週間くらいで見極めたいと思っています(求人票では2ヶ月だった)。ですから、ちょっとね、今は幸兵衛さんに来てもらっていますけど、まだ求人は生きてますので、ハローワークの方で求人は出したままにしてますので、そのことだけは、承知しておいてください」と言われました。
「では私はまだここに就職していないということですか」と聞くと、「そういうことです」。なんと!承知しかねるが。

初日ですでに、長くいるところではないと分かり次にどうするか考えなければとは思いましたが、それでも寝る間際までパソコンの勉強をしていました。
が、2日でそう言われたら、バカバカしくてそんなことをする気にはなれず、自分から辞めるかどうか、辞めるならいつ辞めるべきかということを考えるようになりました。

何故そんなに急いだかというと、私の前任者はすでに3月いっぱいでやめていて、引継ぎのためにわざわざ土曜日に出勤してもらうことになっていたからです。
1週間ほどでいなくなるかもしれないのなら、引き継いでもすべて無駄になってしまいます。会社にとって無駄になることは知ったこっちゃないけど、辞めたあとにわざわざいろいろ教えてくれる人に悪いという気持ちが生じるのがいやだったし、正直、お金を扱う仕事をそんな不安定な状態で引き継ぎたくないと思ったのです。引き継いでしまって、辞めるにやめられない状態になるのはいやだと思いました。

私の後ろの席の人は、一番古くて、事務所の鍵も預けられていましたが、その人でさえ、去年の11月に入ったばかりでした。
私の前任者は2ヶ月で辞め、しかも引き出しに残っていたノートを見ると、先月の初めから求人関係の記載が多くなっていたので、どうやら入って1ヵ月後ぐらいには辞める意思を伝え、後任の人を探していたようです。
いろんな人の名前があって、最後に私の名前にだけ☆印と「様」がついて、それが最後の書き込みでした。
その前の人も、2ヵ月で辞めているようでした。
もし私が1週間後に辞めさせられることがなくても、それは幸運ではないように思えました。

でもとにかく始めてからそのように考えるまでに時間がなかったので、外に出ている社長に電話で、話があるから終業後もしばらく待っていると言ったものの、帰ってくるギリギリまで、本当に迷いました。
昼休みには、いつも外に食べに出る残りの人たちに時間をずらしてもらい、すぐ近くにあるハローワークに行って(この会社の近くにハローワークがあるのが諸悪の根源?)、相談もしてきました。

会社で見た大量の求人票、不採用になった人の履歴書のコピー、ハローワークに返送すべき紹介状、紹介から2週間経っても連絡がないためハローワークから来た採否の結果を報告するよう書かれたFAXのつづり。。
私の場合、まだハローワークの求人を取り消していないのだから、自分が1週間で辞めることになれば、ハローワークには「不採用」と通知されるのではないか?
ということは、書類で見たたくさんの人たちの中にも、同じような扱いを受けた人が混ざっているのではないか、また、自分の次にあの求人票を見て来る人も、やはり同じように不安定な状態になるのではないかと思ったからです。

人手が欲しい、便利な人が欲しいということだけに気を取られていて、人を雇って使うということはどういうことなのかという根本をないがしろにしすぎていることが、一番許せない気持ちでした。

2人の人が話を聞いてくれましたが、結局のところ、ハローワークに届けられる結果しか、向こうとしては把握できないということでした。
不景気ですしね。会社の中のことはよく分かりませんが、とにかく明日引き継いで、仕事を続けてみはったらどうですか(ニコッ)。
ハローワークの立場としてはそれ以上のことは言えないということで、何度も申し訳ありませんと頭を下げられました。
別に何かしてくれることは期待しておらず、ただ次の人のことを思うと、辞める前に一言話しておきたかっただけなので、それで充分でした。

でも確かに、どんなにおかしなところでも続けるべきなのかもしれないとも思い、社長が帰ってくるギリギリまで迷いましたが、帰ってきた顔を見た途端決断できてしまいました。
そして、会社を出たらスッキリして、今朝もスッキリと目覚めて、全然後悔の気持ちも湧かず、これでよかったと思いました。

とにかく、圧倒的に人的資源が不足していて、常にギリギリすぎ。
過去の幻影にしがみついて、現実を直視することを避け、従業員に犠牲を強いています。
私には、それに付き合えるほど、体力に余力がありません。
会社にちゃんと就職したことになっていないのなら、厄介なことに巻き込まれなければならない義理もありません。
それでも続けている人にはそれぞれ事情があって、私より少し前に入った人は一度大学を出た後また別の大学の土木建築関係に入り直していたので、歳がいっている上建設関係はもろに不況なので、踏ん張っているのかもしれません。
私の後ろの席の人は、はるばる京都から来ていました。
みんないろいろあるのだとよく分かりました。

いろんな意味で貴重な体験ができた3日間でした、いやほんとに。





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最終更新日  2010.04.10 15:42:48
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