のんびり幸兵衛夢日記

2012/07/13(金)23:55

レベッカ

読書(211)

「レベッカ」(デュ・モーリア)を読みました。 「わたし」の一人称で話が進みます。 前半のわたしは、空想に耽りがちな若い娘。 いつも自分の経験不足を気にし、若さを疎ましく思い、自信が持てない。 ある時、1年前に前妻(レベッカ)をヨットの事故で亡くしているマキシムという大富豪と知り合い、結婚することに。 マキシムの大邸宅であるマンダレーでは、前妻の幼い頃からの使用人であったダンヴァース夫人が一切を取り仕切り、そこかしこにレベッカの気配を感じる中で暮らさねばならず、わたしは気後れし萎縮してしまう。。 上巻を読んでいるあいだは、下手したらこれは昼メロになってしまいそう、と思っていました。 わたしの、次はこうなるんじゃないの?それで、それで…と、暴走する妄想。 わたしとマキシムの、ほわほわ浮くような出会いとデート。 絢爛豪華なマンダレーの世界。 背表紙の言葉によると、「ゴシックロマンの金字塔」とのことですが、う~ん、上巻だけを古本で手に入れたものの、下巻を買うべきか?とちょっと迷いました。 が、結局下巻が届いたその日のうちに、最後まで読んでしまう面白さでした。 後半は、話の展開がスリリングで、すばらしいミステリー小説になっています。 前半のふわふわした部分も、すべて後半の話の展開に生かされて、ジグソーパズルのピースのように、しかるべき働きをして集約されていきます。 読みながら、こういうことじゃない?と読者が予想する要素をちりばめておいて、それらの予想をことごとく裏切る憎い展開。 それをやられた~と思うのが、また楽しい。 よく考えられたストーリーです。 しかも単にミステリーとして面白いだけではなく、どの時代にも通じる、人の心理が鋭く描かれています。 若く自分に自信のない「わたし」は、マンダレーを取り仕切るどころか、こそこそと使用人のような態度をとってしまうし、歳の離れたマキシムに対しても自信がなく子供扱いされていると思い、対等の関係にはなれずこの結婚は失敗だと考えてしまう。 しかしマキシムも、妻は自分のような人生の半分がすんでしまったような人間は好きではないのだと、年齢のことを気にしているし、「わたし」の若さや自信のなさから来る危なげではかない感じや、物慣れた態度をとらないところにこそ魅力を感じている。 そういった互いの気持ちを知り、二人の絆が深まり、「わたし」は自信を深める。 マキシムの危機的な状況もあいまって、「わたし」は一日のうちにぐっと大人になる。。 マキシムの好きな「わたし」は消えてしまうわけで、うしろの解説で恩田陸はそれを、果たして勝ったのだろうか(「わたし」は常にレベッカに勝つことを意識している)と書いていますが、私はこれでいいのではないかと思いました。 マキシムは世間体を気にして一見非の打ちどころのないようなレベッカと結婚したが、本当のところは、いい歳をして、自分の半分の歳のあどけないような娘を好むような人間。 しかし二人とも一生あどけないままでいるわけには行かず、犠牲を払いながら、ゆっくり成熟していくということでは。 40歳過ぎといっても、まだまだ人生の半分。以前のマキシムではなくなってしまっても、マンダレーでの暮らしとは真逆の暮らしをするようになっても、その人生がまた人間をつくっていくのではないか。 「わたし」の変化も、たしかに子供っぽさというか、けがれのなさというかけがえのないものをを失ってしまうという面はあるけど、人が大人になるというのはそういう犠牲を伴うものだということを描いているように思います。 この小説が1940年にヒッチコックによって映画になったことも知らずに読みましたが、読んだ後ネットで見ると、映画とはいろいろ違いがあるようです。 特に最後のところは、小説では夜なのに明るかったり灰が飛んでくるという、気配だけを匂わせて終わるのに対し、映画では鮮明に映像にしているということですが、それではこの小説の粋なところが薄れてしまって、興ざめではないかという気がします。

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