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カテゴリ:第二章■愛子(あやし)
政宗公は城内の一角に大規模な味噌工場を建てました。 これが日本初登場の「御塩噌蔵おえんそぐら」です。 仙台市博物館所蔵 今では全国的に有名になった「仙台味噌」ですが、ルーツは政宗公にたどり着きます。 仙台藩の味噌は、朝鮮出兵のときに大活躍しました。 各藩が持ち寄った地元の味噌は長期間の滞陣で変質してしまったのに対し、政宗の味噌は持ちが良くそのうえ美味だったことから、兵糧としての完全品質を他藩からも認められました。 米と塩に恵まれた仙台の味噌は贅沢な作りで美味しく、そのウワサはたちまち江戸庶民にも広まり、江戸藩邸内にも味噌蔵が作られブームになりました。 政宗公は’実業家’としても大活躍してたわけです。 片倉家の飛び地(ホラあの密造船のとこ、すぐ近所には鮎川金山)では、塩が作られてましたよね。 それを城内に運ぶときホラ、フリーパスでしたよね。 塩の中に金塊仕込んで、そのまんまおえんそぐらに運べたわけですわ。 というか、上の絵図見てください。広瀬川から下ろしてすぐに蔵直行ですってば。 だからホラ、幕府に献上する金塊は別として、隠し金塊ですよ、幕府の金山奉行大久保さんと打ち合わせしてたやつ。 大久保さんは密かに政宗公とタイアップしたがってたようですから。 おえんそぐらは、絶好の’一時保管金庫’でもあったわけですってばさ。 それで、どんどん運び込まれる金塊の山、どーします? どっかに移すでしょフツー。人が寄り付かないところよ。 広瀬川使えばナニですから、アソコにソレすればアレですよホラ。 モーソー中・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.30 20:41:02
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