星の街仙台★伊達政宗が隠した六芒星

2013/04/01(月)00:41

富山(とみやま)その4

第六章■松島(23)

大仰寺の入り口横に、横澤将監(よこざわしょうげん)代々の墓標がありました。 「泉区将監」「将監沼」 の地名はこの人からきています。 政宗公の家臣で、土木エンジニアでもあった将監さんは現泉区一帯に灌漑用水を作り地域に貢献しました。 のちに政宗公の命により支倉常長を迎えにサン・ファン・バウチスタ号でメキシコへ出航します。 だからこの船は大平洋を4回横断したんですね。 当時仙台藩の造船、航海術は最高レベルだったんでしょうね。 このとき約100名の乗組員が亡くなったという苦難の航海だったそうですが、将監さんは常さんを無事連れて帰るという大役を果たしました。 将監さんも向こうで洗礼を受けキリシタンとなりましたが、帰国後彼らを待っていたのは激しい弾圧でした。 フィリピンに足止めされたとき、船を売って、一般貿易船に乗り換え長崎に着いて、そして出発地の月の浦へ到着。 ということになっています。 ソテロさんはしばらくフィリピンに残り、のちに長崎に密入国しますが捕らえられ政宗公の助命嘆願容れられず、1624年火刑により殉教しました。 身の危険を感じた将監さんは棄教したようですが、常さん同様その後の足取りが不明です。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る