なぜ聖書なのか
私はこのブログで、聖書「創世記」をまとめたものをのせていますが、それはなぜでしょう?最初は、しっかり1章ずつでも読んで、まとめたかった。その、まとめたものを、たまたまブログに書いてみた。・・・って感じで、深く考えていませんでした。創世記には、誰が誰を生んで、その誰が誰を生んで・・・。っていう、家系図的な部分が多いのですが、それはとばしています。だってまとめきれないんだもん。。。でも、その部分を飛ばせば、物語として上手くまとめることが出来るんじゃないかと思っていました。しかし、そんな甘いもんじゃなかったです。なんでこの人はこんな事を言うんだろう、とかやるんだろうとか、理解出来ないことが多々あります。たとえば、14章では、「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。 糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から 私は何一つとらない。 それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と 言わないためだ。」とあるけど、何で『アブラムを富ませたのは私だ』と言わなかったら何も受け取らないんでしょう・・・。おごりたかぶっていない人だからかな?こういう疑問をそのままにしたら、勉強になりませんよねええ・・・。牧師先生に聞いたらいいのかしら。それとも、まだ初心者で最初だから、だいたいのストーリーの流れが分かればいいのでしょうか・・・。みなさん、どう思います?にほんブログ村