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さちくま。の部屋

さちくま。の部屋

美濃国府

夫が大学の図書館でたまたま「地名」の本を見つけコピーを取って来ました。見たいときにはいつもどこかに行ってしまうコピーやメモなのでここに書きとめておこうと思いました。
なので本のタイトルも夫が定かでないようで多分「岐阜県の地名」という本だったと思うと。


【美濃国府】
 遺構は発掘されていないが、比定地は諸説一致して垂井町府中としている。「和名妙」東急本の郡部に「国府在不破郡」とあり、行程は上り4日、下り2日と記される。府中は濃尾平野の西端にあり、国全体から見ても著しく西に偏しているが、諸国の例も一国の中央かまたは都に近い位置に設けられており、例外的ではない。しかも美濃国の場合は西端に不破関をもつ関国であり、その関には国司四等官が常駐しなければならないなど、特殊な条件があったことも関係していると思われる。不破関と国府比定地との距離は約5キロで、その間は東山道でほぼ一直線で結ばれている。また東山道の東への延長線上には近接して美濃国分尼寺(現在の垂井町内に推定)・美濃国分寺(現在の大垣市)が建立され、さらに府中の南方には美濃一宮である南宮神社があることも見逃せない。歴史地理学の成果によれば、美濃国府域は相川が形成した緩やかな扇状地の地形の上に方八町の区画が想定されている。その相川を隔てた南方、宮代周辺は古代不破郡の中心と目され、不破郡家や宮代廃寺・宮処寺跡などの白鳳時代の寺院、及び聖武天皇の不破頓宮などの比定地が集中する。これらの北方に比定される国府は諸国の例と同様、南面して設定されたことをうかがわせる。東西の両辺に土塁状の遺構をみる説もあるが、本格的な発掘調査をされたこともなく、明確ではない。
 その国府推定域のほぼ中心に御館(おやかた)なる地名が残り、西大門跡・ひじりなどの小字がある。また付近には美濃国神名帳に不破郡八十二社の一として「正六位上館守神」とみえる館守(たちまもり)神社もあり、国司らの私的な生活空間である館の所在地を想定させる。 御館地区から真南に延びる道路を地元では御幸(ごこう)道(「木曾路名所図会」にみえる)と呼び、それに沿う安立(あんりゅう)寺の境内からは古瓦が出土している。この辺りが国府の中心と思われる。なお、美濃国神名帳にはほかに不破郡内に正六位上市比女神・正四位下紙屋明神祭神とみる見解があり、また紙屋明神と垂井の紙屋塚の存在から、美濃国司の管理した製紙工房があったとする説がある。



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