ドイツで砂糖が庶民化するまで

元ネタは[ ドイツ ケーキ Kuchen クーヘン文化 歴史 ]日記に入っています。

砂糖がドイツで爆発的に広まったのは、19世紀半ば以降。
イギリスから遅れること、およそ50年から1世紀。
イギリスは植民地があったし、何より工業化が早かった。
これに砂糖消費がぴったりこんと合ったんだな。

ドイツの産業革命はイギリスよりやっぱり50年から1世紀ほど後だった。
そこに砂糖革命、サトウキビではなくテンサイから取る砂糖の生産がマッチング。

農業で言えば化学肥料が開発され、痩せた土地もテンサイ向きになり。
テンサイから取れる砂糖の量も増え(いつも同じだけ搾り取れてたわけじゃないのよ)
輸送経路も便利になり、

でも最初は、やっぱり、テンサイの茶色く色づいた砂糖より
サトウキビから取れる真っ白な砂糖の方が人気だった。

お偉い人々は、というか、お偉い人々についていたコックやら砂糖菓子職人は、
自分たちの出版する料理本に、
「砂糖」「白砂糖」「上白糖」と指定して書いている。

私たちから見たら、全く普通なんだが
砂糖の値段が蜂蜜よりズーーっと高かったときにそんなことを書いているのは
よく考えれば普通ではない。

更に、テンサイ砂糖がかなりの割合を占めるようになっても
「白砂糖。」とこだわり続ける砂糖職人。

でもそこから逆に、それではテンサイ砂糖を使ったのは誰?
と考えると、色が付いててなんか不気味だけど、それでも砂糖は砂糖だし・・・と
少ない予算から砂糖を買っていただろう人々が浮かび上がってくる。

テンサイ砂糖も買えなくて、でも甘い砂糖の代わりを欲しかった人は
その代わりにシロップを買った。
シロップは、19世紀後半半ばまで、30年間くらい、ものすごい生産量を誇っていた。
丁度、砂糖が庶民化するとき。
そして、砂糖そのものが買えるようになると、シロップの売り上げはどすんと落ちる。

こうしてみると、より上等、より"本物"の砂糖へと
人々の志向が移っていくのがよく分かる。

この移行、そもそも砂糖消費の拡大には、地域差がかなりある。
まず、大都市は農村よりも広まるのが早かった。
大都市には輸送条件の良さ、
上層文化が下へ伝わりやすい社会構造、
産業化による影響、市場経済の機能など、
農村よりも砂糖が伝わりやすい条件が整っている。

農村は産業化に組み込まれにくい自足自給経済、輸送の不便さ、
上層文化との接点の少なさなどがあり。

南北差は、20世紀初めになると割とはっきりしてくる。
これは、ドイツの南部は果物がたくさんあるので、
果物加工に砂糖が使われたのだろうという予測がなされている。
マーマレードもその一つ。
そう、マーマレードだって、砂糖がなかった時代には作れなかったのよ。

後は果物で作るお酒。モストなんて、その典型ですな。
バーデンは20世紀初め、他と比べて労働層の砂糖の消費量がずば抜けて高いのだが
これは果物だろうと歴史家は言っている。しかし、モストはヴュルテムベルクにもあり、ライン川沿いも捨てておけない。ワインかなぁ・・・・























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