穴埋め
論文には、仮定が必要だ。
普通、そう思うと思うんです。
でも、うちの学科の場合、仮定がなくて始まることも、多かった。
調べてみて、分かることを述べていく。
最初から、仮定してしまったら、方向性が固まってしまう。
そういうことを危惧しているというか。
でも、めくらめっぽうにやるのではなくて、
ここまでは、こういう事実があって、こうなることは分かっている。
さて、その次はどうなるんだろう。
ということなんだが、
AからBを導き出すためには、Bという仮定があって、
そのBを導くためにいろいろ試行錯誤するんだけど
Aから現在の形Cまでの過程を描いて、それでCという形になるんですねという場合、
Cになることは分かっているので、それを仮定する必要はなく
道のりは仮定するものではないというか・・・なんというか。
道のりの方向性を決めるとき、それを仮定というのなら、そこで仮定を定めるわけですが、
一概にそういうわけでもない。
というわけで、うちの学科の先生には、「仮定なんて、出すな」とおっしゃる方もいらっしゃいます。とても研究熱心な先生です。
でも、新しい先生は、みんな「仮定」好き。
それは、仮定があった方が楽だから。
と、私は思っています。
オリエンテーリングがしやすいんですね。
さて、私は、仮定を書きました。
ずっと書かなかったけど、
仮定を書くという形をとることで、これから論文の中で何が説明されるのか
ちょっと種明かしをしたのです。
肝心なことは、本文に譲ると書いて、でも、何がこれから起こるのか、
そんなさわりを書きました。
考えていた道筋が、研究していくうちに、段々とずれることも、匂わせました。
そして、序章が漸く終わりです。