schatzky☆ドイツ忘我と結実の境。

2008/12/01(月)10:40

ケーキ(文化)の研究って楽しそうだね 2

研究と大学(136)

ケーキ(文化)の研究、楽しそうだね。には、「そんな女子供のお気楽な食べ物」というニュアンスが含まれる。 といってもいいです。ほぼ、確定。そんなお気楽な食べ物を研究って、研究になるの、研究にして何になるの。 そこまで行かなくても、「お気楽そうで、研究も楽そうだよねぇ。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前回も書きましたが 研究を楽しんでできることはとても大切なこと。 というか、確かに、楽しくなくては続けていけないのが研究かと思います。実際の論文書きは、テーマの内容に関わらずヒーヒーいってたりしますので(笑)、 書いたり分析したりのつらさを支えてくれるようなおもしろみのあるテーマでないと 書き続けられない、病気になるというのは、ある意味、真実だと思います。私はケーキ文化をとても面白いと思う。だから、その文献を読んだり、資料を探したり、 味気ない(と思う人がいる)化学式をみたり、延々と続く堂々巡りの語りを我慢強く聞き続けたり、何人もがドイツ語でいっぺんに勝手にしゃべっているテープ起こしをしたりするのも、それらをまとめて平均睡眠時間3-4時間で1年以上机に向かい続けるのも、親が倒れても離別があっても、投げ捨てないで続けてこられた(もちろん、いろんな支えがあってのことですが)だけど、ケーキが嫌いな人には、砂糖やクリームの味を思い浮かべるだけで吐き気がする人には、ケーキ文化を題材にした研究を深めることは難しい。そういうことです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ただし、そのテーマが一般に「楽しそう」と思われるかどうかというのは、 社会学/文化学的にみて、別の意味を持っています。 「ケーキの研究って楽しそうだよね」というのは、 ケーキを楽しいと思う人はやっぱり多いということですよね。 それは、小難しくいえば、 ケーキを「楽しさ」と結びつける社会的なコードができあがっているということです。 そんなの、当たり前じゃないかというかもしれません。 でも、アナタはどうして、それが当たり前だと自信を持って断言できるのでしょう。ケーキが、もしくはケーキのある空間が楽しいのは、当たり前ですか? 同じように、「ケーキ文化なんて、お気楽だね」 「ケーキなんて、女子供の食べるもの」という評価は、どうして「一般的」なのでしょう。 また、それが世界の果てまでも、誰にでも通じると、アナタはいえますか。また、私たちの生きている社会では、そういう考え方はどこから来ているのでしょう。これらは、それは私の研究の中で、とても大切な意味を持っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私の研究では、ドイツのケーキ文化が持つ象徴的な意味の変容を扱っています。ケーキ文化がドイツでポピュラーになるのと平行して、 その象徴的な意味は、贅沢からいわば家族的な愛へと比重を移していきます (このあたりは少し複雑なので、ここでは単純に、家族的な愛と表現します)。ケーキが楽しいというのは、その後半で大切な意味を持ってくるのです。食べ物は、往々にしてその国や地域の文化をとてもよく体現しています。 ドイツのケーキ文化には日本に比べて異なる部分が多いだけでなく、 他の欧州諸国に比してもドイツに固有な部分がたくさんあります。それは、ドイツという国が置かれてきた地理的理由や政治的理由、 ドイツが培ってきたものの考え方と深い関係があります。そんな大げさな、といわないでください。 それは、本当のことなのです。 ドイツの私的な社会がどういう発展を遂げてきたのか知りたいとき、 ケーキ文化の発展を追っていくことで見えてくる歴史があります。そういうの、私はとてもおもしろいと思うんです。それが、私がここまでやってこられた理由です。そして、経験主義的文化学、ヨーロッパ人類学、ヨーロッパ民俗学が持つ意義の一つも、 ここにあります。 ケーキの研究、楽しそうですね。とか ケーキで何ができるの?という怪訝なお顔というのは ある意味、わかりやすく、ありがたい反応です。 なぜならそこに文化学の意義があふれていて、説明にとりかかりやすいからです。これは、前にも書いたかもしれませんが、ここでもう一度書いておきたかったことです。 機会をくださったPfaelzerweinさん、Mixiのお友達、どうもありがとうございます。

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