schatzky☆ドイツ忘我と結実の境。

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ドイツ ケーキ Kuchen クーヘン文化 歴史

2007年12月22日
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穴埋め

研究動向用にって、
休みを利用して本をたくさん借りてきたは良いけど、

こんなに大量にどうするんだろう。コピーと本で、部屋が一杯・・・。

 

イギリスの学者がブリティッシュウェディングケーキについて本を書いている。

これは面白いですね。

まず、イギリスのケーキと、その他の大陸のケーキとの違い。

しかし、ここでヨーロッパのウェディングケーキとして例に挙げられているのは・・・。

フランスとベルギーのクロカンブッシュ。

・・・ドイツのケーキはどこ?

ないです。

でも、この本、面白いですよ。英語だけど。 







最終更新日  2008年01月27日 18時58分54秒
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2007年12月21日

穴埋め

引き続き文献探し。

論文書きの最後には、

書いている間に新しく出た研究などをうめるために、改めて文献探しをすることが多い。

そんなところで、変な新しいテーマや論文を見つけた日には・・・。

私は何がなんだか分からなくなって来た。

クロアチアのウエディングケーキについての研究があった・・・。

ウェディングケーキねぇ・・・。

ちょっとずれるけど、ケーキはケーキ。

クロアチア特有のケーキが廃れて、アイデンティティやメンタリティもなくなるという話だった。

そして、最近では、西欧のウエディングケーキの脇に再び、クロアチア特有のウエディングケーキが並ぶと。

これはアイデンティティとメンタリティの保有の外、

町おこしというか、故郷復興というような意味合いがあるとかないとか。

後、社会学科に行って、またコピー。

何がなんだか分からなくなっているときには、いらないものもいるように思える。

そして、いらなくてもコピーしたり借りたりしてしまう。

夜帰ってきたら、ぐったり。 







最終更新日  2008年01月26日 08時44分00秒
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2007年11月18日

たまには再び、美味しいドイツケーキの話を。

美味しいと思うのは人それぞれですけれど。 

ドイツケーキのお話、ケーキ文化論です。 

今日は先日の黒い森のサクランボケーキに続き、
ドイツ高度成長期に「ケーキといえばこれ」といわれんばかりに話題にされたケーキ。

1950年代終わりから、特に1960年代は家庭でもトルテを作るようになった時代で、

ドイツ語でトルテというのは、クリームなどでデコレしたケーキ
(要するに日本で普通にケーキといって思い浮かべるもの)ののことですが

特に、最初のころは、冷蔵庫で冷やさなくても作れるクリーム、

バタークリームで作るトルテに注目が集まりました。 

何てったって、冷蔵庫がまだ普及途上でしたから、

冷蔵庫がなくても作れるクリームは重要だったのですね。

「フランクフルター・クランツFrankfurter Kranz」はその中でも特に、

高度成長期の旧西ドイツで、「ケーキといえばこれ」というケーキでした。

でも、いま、普通の日本の辞書には載ってないだろうな(小学館大独和にはなかった)
ちなみに、独独辞典(Duden)には載っています。

1960年代に西ドイツにいた方だったら、そんないまの辞書を見て、
「なんでこんな有名なトルテが載っていないの?」と言っていたと思います。 

フランクフルター・クランツというのは、形から名前が付いていますが、

ドイツでは、バタークリームで作るトルテの代表で、
リング型で、3層ほどになっていて、バタークリームを夾み、
外はクロカントと呼ばれるアーモンドダイスに砂糖をカラメリゼしたものをまぶすことが多いかな。
この、クロカントを作るのがまた、手間なんですけれど、
昔はこれ、ついていなかったりもしたみたい。

さて、バタークリームトルテの代表的ともいえるもののバリエーションとしては、
モカクリームトルテなどがあります。 

黒い森のサクランボケーキも、
法律では、生クリームだけというわけではなく、
バタークリームで作る黒い森のサクランボケーキもあり。

とされています。 

そう、ドイツには、
あるケーキをシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテと名付けて良いかどうかに、
法律的な基準があるのだ。

フランクフルター・クランツも、何を持ってフランクフルター・クランツとして良いか、
決まりがあります。

こちらのトルテは、生クリームではなく、バタークリームで作られると定められています。

面白いね。

ただし、そのバタークリームのおかげで、
80年代に人気は急降下し、いまではあまり話題に上らなくなってしまったのでした。

何てったって、バタークリームは、重たいし、油たっぷりでダイエットの敵。
何だか60年代の香りがたっぷりで、

それよりは、生クリームでかるーく行きたい!
なーんてね。

まあ、生クリームも、その後、攻撃を受けるわけですが。

話はバタークリームに戻って。 


ほんとは、うまく作られたバタークリームは美味しいんですけどね。

そうそう、バタークリームの作り方にはいろいろありますが、

このフランクフルター・クランツに夾むクリームは、
家庭で作るレシピの場合、

バター、卵黄、砂糖という、バタークリームの材料の外、

ドイツでプティングと呼ばれる、
簡易(安価)カスタードクリームを混ぜるというやり方が良くとられていました。

こうすると、確かに、バターも節約できるし、バターだけよりは軽いのかな・・・。
(これはまだ、自分で作ったことがないのであった)。

写真を載せました。こちらからどうぞ。







最終更新日  2008年02月14日 20時30分20秒
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2007年10月18日

この数日間、直しに時間をとられている。

本文、最終項と導入部、更に語源がまだ残っていて、
それも書かなきゃならないのだが、
(今、現実的に考えられないのだが、く考えるとあと30枚位は生産しなければならない)
直しは直しで今、50数枚残っているので
(そのあと更に30枚+最終項、導入、語源の直しがやっぱり恐らく50枚位)
それも進めないと・・・。


今やっている直しは、1950年代の手作り礼賛がドイツに根付いた経緯について。

ドイツのケーキ文化は、知る人ぞ知る、家庭の手作りケーキ文化。

50年代の動向は、日本の一億総中流化ではないが、総手作り化とでも言いましょうかね。

総手作り化と言ったって、町のケーキ屋さんがなくなっちゃうとか、そういうわけではありません。
日本の一億総中流化といっても、これも、全部が全部そうだってわけじゃないですからね。

ケーキは手作りするものという文化がドイツで至るところに広まって根付いたのが、
1950年代から60年代なのだということです。

ケーキと一口に言っても、大きく分けると素朴なクーヘンと豪華なトルテとあって、
50年代には、クリームなどで飾り付けをしない、「クーヘン」を作るのが一般的。
といっても、今でも、やっぱり家庭のケーキは、
普段には素朴な焼きっぱなしのものを作ることが多い。

でも、客が来たり、何か特別なお祝い事があったり、そんなときは
家庭でクリームたっぷりのトルテを作ることも結構ある。
(トルテにはいろいろあって、シンプルな果物だけを載せた「トルテ」もあります。
それについてはまた改めて)

一方、1950年代、特に前半は、まだ、冷蔵庫もそうそう広まってないし、
クリームを塗りたくるトルテは、家庭で作るのは難しい。
だから、何かのお祝いなどで豪華なトルテが必要になると、
パン屋さんやケーキ屋さんで用意してもらうことが多かった。

でも、ドイツの市民階級では、「日曜にはケーキを焼いてお茶」というのがありまして。

これが、元々は、「誰でもできる訳じゃない、ちょっとしたステイタスを示す贅沢」だったのですが、
戦後、奇跡の経済復興を遂げ、戦前、戦中は叶えられなかった贅沢に手が届くようになり。

更に、家族で囲む午後のケーキなんて、「温かい家庭の象徴」にぴったり。
もちろん、それをせっせと用意するのは主婦の役目。
ケーキが焼けて家事ができるなんて、主婦の鏡ッ!!
(当たり前という話もありましたが)

というわけで、50-60年代の家族のあり方も、ケーキ手作り文化の定着に力を貸して、
ドイツではケーキは手作りするものという考えがぶわーっとひろまっていく。

もちろん、復興を遂げたあたりで、
いやいや、ケーキ、美味しいものを高級菓子店で買えるなんて、幸せ~という人もいたし、
消費文化の発展というのもあって、ケーキ作りなんて、古くさい、田舎っぽい、流行遅れという見方もあったんです。

でも、1950年代終わりの週休二日制の広まりとか、
家族を大切にしよう志向は、
週末のケーキ作りを家庭の幸せに欠かせないものと捉える風潮を決定的なものにしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ということを今、直しでやっているわけだが。 

難しい。
話し合いを2時間して、6ページしか進まない。

その前に、彼女がリライトしてくれた文を自分でチェックしてから出向いているのだが
これもまた、時間がかかる。
この数日で20枚弱しか終わってない。

ふぅ。

今日は午後3時からまた、直しに出かける。
それまで、チェックと本文書きと両方しなくては。







最終更新日  2007年10月19日 18時40分09秒
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2007年08月20日

今日は現代における ドイツケーキ文化論。

日本では、ケーキを買うのって、別に何ともない行為ですよね。

特にお客様が来たときに
ケーキ屋さんのケーキをおだしする、
普通のおもてなしの一つです。

ドイツ、特に南西ドイツ、シュヴァーベンと呼ばれる地方では

お客様に出来合いのケーキをお出しすることは、
失礼なことだと思われている場合が多々あります。

ドイツとて
生活習慣が多様化して、個人的な志向が尊重されるようになった現在、

働く女性が増え、
また、たとえ専業主婦であっても、
「私はそんなことに時間を浪費したくない」という確固としたポリシーを持って
暮らしている方もいらっしゃり、

実際にケーキ屋からケーキを買ってきて
お客様に出しても、

後ろ指を指されることはもはやないでしょう。

今日では、このようなことについて文句を言う方が非難を受ける、
そういうコンセンサスができあがっているからです。


ただし、このようにもてなされたお客様が
心の中でどう思っているかは、また別の話です。

インタビューしたところによれば、
買ってきたケーキを出された場合、

何だか、
手作りのケーキでもてなされたときより、
軽んじられた感じがする。

という答えがありました。


ドイツではお客様に買ってきたケーキを出さない方がいい。

という生活習慣の根底にあるものは、
今では恐らく、
この、時間をかけてもてなそうとするかどうかという態度です。
手作りか否かで、知らず知らずのうちに、
もてなしの重要度を測っているのですね。

一昔前は、
これに加えて、主婦のモラルというものがありました。
手作りを出せなければ、恥である。というものです。

主婦はケーキを手作りするもの、できるもの。
買ってきたケーキでもてなすなんて、主婦の風上にも置けない。

更に、このあたりは節約が徳とされている地方。
ラインラント地方になると、気前の良さがチャームポイントになるんですけど
このあたりは、少し周りよりも多く出費すると
「浪費」
というレッテルが貼られがち。

そういうわけで、お金持ちがコンディトライ/高級洋菓子店で
きれいに飾り付けられたケーキをぽんぽん買うのは
あまりいい感じに受け取られません。

そんなこんなで、ケーキは手作り・・・
ということになっているわけですが。

もちろん、そうでないおうちもあります。
特に、都市と農村では、その差は大きい。
都市ではケーキ買う文化が農村よりも発展しておりましたので

「ケーキは手作りじゃなきゃー、だめ!!」と言い出したというか

思いこみだしたというか、

そういうところから一つ上を漂い続けたおうちもありまする。

ドイツにお住まいの皆さんの周りはいかがでしょう。

フランスやらスコットランドはどうなんでしょうか。
皆様のレポートをお待ちしております。
 

で、この習慣はいつ頃から定着したのかと言えば、
実はそれほど古くないんだなぁ・・・
これについてはまた改めて。







最終更新日  2007年09月08日 10時05分58秒
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2007年08月17日

今日は再び、ドイツケーキ文化論。

もう、繰り返したかもしれないけど、大事なポイントなので、書いてみた。

ドイツでは素朴なケーキが有名です。これはほんと。

更に、 

クリームなどで飾り付けをする前に、焼く段階で

基本の材料のみならず

いろんなものを入れて、生地自体がどっしりと、リッチだったりする。 

これの元はどこにあるのかというと、

ドイツでは元々家庭でケーキがよく焼かれてきたからだと。

結構そう思われてる方が多いんですが、

これは、実際には、正しいとはいえません。

ドイツでも、高級な菓子作りは元々、職人のお仕事でした。

ただ、一つ謎があって、

ドイツでは、特に地方においては「パン焼き小屋」というのがあり

ここで週に1回とか2週に1回とか

パンを焼いていたわけですね。

パンを焼いているその脇で、

例えば余った生地を伸ばして、

パン焼き小屋のかまどがゆるーく暖かな状態になったところで

季節の果物をぽんぽんぽんと載せて焼く、

そういうことは、行われていたらしい。 

歴史的には、これを「上流階級からの伝播」とみるのが

Wiegelmann大先生の論。

ただ、どこもそうかというと、どうなんだろう。

ここは、個人的には謎だと思います。 

全てが上層階級からの伝播とは言えないのではないだろうか。

それともやっぱり、富裕農民が都市上層階級とやりとりして、

そんな風になったのだろうか。 

 







最終更新日  2007年09月07日 00時41分39秒
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2007年06月16日

ドイツのケーキ文化論、再び。
今日は、ケーキから少し派生して、

ケーキを作る機会のうち、戦後初期の季節行事と誕生日に関するお祝い事について。 

2,3年前に、1950年代の婦人雑誌「コンスタンツェ」をチェック。
そのときは、ケーキに関する記事全て、
さらに当時の女性地位や女性と家庭の関係を示唆する記事をまとめておいた。

この作業に、半年以上を費やしたのだが、
でも、当時は使い方がまだ、分からなかった。

今、戦後初期の話をまとめていて、
あーあーあーと思うことが幾つかある。

この雑誌は1949年12月位から発行されているのだが、

例えば、1950年には、
子どもの誕生日、イースター、クリスマスの行事に向けてケーキを用意しましょう!
という記事があるのだが

1951年から1953年末まで、それがぱったりと姿を消し、
53年末に、アメリカに渡った若いドイツ女性がドイツのおばあちゃんに
ドイツっぽいクリスマスのメニューを送ってくれと頼み、

孫におばあさんが答える形で、ドイツというお国料理はなくて、
地域によっていろんな料理があって、
あと、甘いものがあるという答えを書き、

各地の代表的なメニューのレシピを公開している。

アメリカ移住というモダンな香りを加えることで、
伝統的、悪くいえば古くさいクリスマスの料理を記事に取り込むことに成功したというか。

1954年以降は、
毎年イースター、クリスマス、加えて55年にはアドヴェントのケーキまで加わって、

季節の行事に引っかけたごちそう作りの記事は、毎年毎年豪華になっていく。

1950年には、こうできたらよいというあこがれのようなものがあったのか、
それから数年間は、そのような季節のお祝いは古くさいものと思われたのか
そのあたりは推測するしかない。

なぜ、この空白の3年間が面白いのかといえば。

コンスタンツェという雑誌は、都会の知識層で、
いくらかお財布に余裕がある階級をターゲットにしていた。

当時の女性像として好ましいものは、
職業を持ち、モラル意識の高い、自立していながら、結婚すれば家事を一手に引き受け、
夫となる男性と子どもの幸せのため、二重の負担を喜んでこなすというものだった。
これも、雑誌のそこここに、出てくる。

コンスタンツェは、このモットーに則り、
読者が「あ、いいな」と思う程度に少しモダンで、
だけど社会的風潮からはみ出さない、
そんなスタンスで、当時の社会を牽引する層にとって好ましい女性像を描き出していく。

そういう中で、
この3年間、伝統的といわれるイースターやクリスマスのお祝いの記事がないこと
というより、1954年にしっかり大きな枠組みで復活したことは、非常に興味深いこと。

それから2年後、、56年、「コンスタンツェとケーキを焼こう」というシリーズも始まった。

時代として、女性を家庭へ戻す動きが始まるのも、
男性が戦場や監獄からもどって来始める、このころ。
伝統への回帰が、決してばばくさかったり、古くさかったりするものではないと啓蒙し、
ケーキを自分で焼くのは、素晴らしいことなのだと
雑誌は若い女の子を仮のターゲットに据えて
実際はかなり年齢幅の広い読者層に訴えた。

1956年には、初めて、大人の誕生日パーティに関する話題が出る。
1957年には、子どもの誕生日をどう企画したらよいかという記事が
3号にわたり、年齢別に書かれている。

子どもの誕生日にケーキという習慣は、
戦前、既に裕福な階層にあったものだが、
戦後、景気回復とともに復活。

ただし、大人が誕生日を祝うのは、しばらくあとになって習慣化する。

そんなことをいろいろと書くのだが、

まだ思うように書けない・・・(アウ)。 







最終更新日  2007年07月11日 08時48分55秒
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2007年06月08日
菓子パンというのは、菓子パンであって、ケーキではない。

日本語で言うとかなり明確でいいのだが、
ドイツには、菓子パンというカテゴリーは、明確に存在しないので
ややこしい。

たいてい、「一切れ」というような言葉で言い表されるものがあるのだが、
これは地方によって呼び方が違う。
Stueckシュトゥック(シュレックじゃありません)というのが、一切れにあたるのだが、
これをシュトゥックレと呼んだり、シュトゥックヒェンと呼んだり、
ところによっては、Teil(タイル)と呼ぶところもあり、
その場合、一切れはタイルヒェンと呼ばれたりなぞする。

まあ、これらの一切れの一群は、
それぞれ一つ一つで独立しているということで、
ケーキとはみなされないのが普通なのだが、
これをKuchenクーヘンと呼ぶひとも、中にはいないわけではない。

甘い、小麦粉と卵とバターを使って焼いた菓子だから、
彼女にはクーヘンなのである。

で、それはいいんだけど、
後、あまみのあるパンというのがあり、これが面倒くさい。

フランスのMao姉さんは
コッペパンみたいなもの?とおっしゃっていたが、
確かにコッペパンみたいな、ほんのり甘みのあるパンなんだが、
イースト生地で作り、
少々砂糖、卵1個くらい、バターもほんのちょっぴり入る。

なぜ面倒なのかというと、
今は、これをKuchen,クーヘン、つまり、ケーキとみなすひとは
ほとんどいないに等しいのだが、

戦中、戦後辺りはこれを主に食べていたというひとがわりといる。
これにジャムかバターをつけ、
どっちもつけると大ご馳走だったのだが、

これをケーキを食べていたことにしていいのかどうかということなのである。

ケーキじゃなくて、パンなんでしょう?というかもしれないが
食べ方の様式が、ケーキの食べ方なのだ。

おなかを膨らませるために食べるパンとは違い
お茶の時間の語らいを楽しむ様式が入り込むと
パン。
というカテゴリーには入れられないので
今のところ独立させている。

そうねぇ。
お茶の時間の語らいを楽しむためではなく、
おなか一杯にするために食べたひともいるんだが。

うーん。
それでも、砂糖やバターや卵がちょっと入って、
普通のパンとは違う、贅沢なカンジが漂ったのよね。

そこがポイントか。






最終更新日  2007年07月07日 00時40分32秒
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2007年05月01日

元の引用は

甘いGRAUBROTなんてありえない!

 でござる。

と、思うのは中欧の人で、北欧の人にはフツーだそうだ。

あ、Graubrotというのは、文字通り、灰色っぽいパン。
グラォブロートといい、Mischbrotミッシュブロートともいう。

ライ麦が入っているから色が暗くなるんだな。
健康ブームに乗っかって、
今では小麦の祖先、Dinkelディンケルを使う場合も結構ある。
ディンケルは日本語で、スペルト小麦。


甘い灰色パンなんてあり得ないと中欧人なら思う

と書いてあるのは1972年のことなので、
今現在のドイツではどうかといえば、

Vollkornフォルコルン(全粒粉)でケーキを作るのがブームになったあと、
ナンデモアリ。

あまりないけどねぇ。珍しいというか、不味いというか(失礼)

ライ麦で作るパンは、酸味が多くなっちゃいがち。 


今日は

「ミッシュブロートが甘いなんてあり得ない」
というのが市民階級にはめ込まれた食のシステムだったんだ
ということを、

農民はその真似をしたのかしないのか、いずれにせよ、
ライ麦で作ったパン生地に果物のムースを載っけて
祝祭などに食べてたぞ
ということを引っ張って、

ついでに
80年代の健康食ブームで再び壊れたシステムを取り上げる・・・
のは飛びすぎてるから、
これは第二部にとっておく。

日本語とドイツ語混ぜてかけたら一番楽なんだけど

そうも行かないわね。 

 あら、ドイツケーキの話してるんじゃないの?と思ったそこのあなた、

その通りです。クーヘンだの、フラーデンだの、トルテだの、の前段階の話なの。







最終更新日  2007年05月24日 19時29分53秒
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2007年04月29日

ちょっとお堅いというか、特殊なドイツケーキ文化論が続いたので
ここら辺でミーハーなお話を。

(調べなくても書ける気軽さで書いております。失礼)


今日はクーヘンじゃなくて、トルテのお話。

トルテというのは、大体、日本でいうケーキにあたります。
詳しいことは、左にあるページ、
日本ケーキはドイツトルテになるのだ。
のあたりをお読み下され。

ドイツが世界に誇る、黒い森のさくらんぼケーキ。
シュヴァルツヴェルダー キルシュトルテ。

生まれたのはそれほど昔ではなく、
1919年とか、1930年代とかいわれています。
(アイディアが出たのは第1次大戦頃という話)。

これまで、「創った!」というご本人(とその周り)が主張してきたんですが

ラドルフツェルというところ(ドイツの南端、ボーデン湖のほとりにあります)で
生まれたケーキ職人が、
ボンという街に修行に行ったとき

ちなみにボンは旧首都です(^^)/

Bad Godesbergバード・ゴーデスベルグという区域の一角にあるカフェで修行の最中、
そこにあった、新鮮なさくらんぼにこんもりと生クリームを盛ったデザートを見て、

マイスター試験のための創作ケーキに
シュヴァルツヴェルダー キルシュトルテ、黒い森のさくらんぼケーキを作った。

というのが定説でした。

最近、うちの街で
「同じころ、ボンとは別に独自で
シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテを創っていた!」

という調査を行った人がいて、

その人によれば、最初の人がボンにいて
黒い森のさくらんぼケーキを創ったといわれる年、

いろいろ調べてみたら、
その年には彼は徴兵されていて、創りようがなかった。

ということになったらしい。

というわけで、その調査人は、
「うちの街がシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテの産みの街」
かもしれない。

ということを書いています。

私の研究とは直接関係がないので、
美味しければいいじゃないか。と私は思いますが(^^;)。

ちなみに、本物のシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを作るには、
黒い森、シュヴァルツヴァルトで採れるさくらんぼで作った、
キルシュヴァッサーというお酒が非常に大切です。

これがないと、黒い森のさくらんぼを名乗ることはできませぬ。

というわけで、黒い森のさくらんぼケーキは、大人のケーキなのでござる。

ドイツケーキ、寄り道文化論でした。

今年は4月に雨が少なかったので、サクランボがうまくなるか、
ちょっと心配されているという話を聞きました。

ドイツのサクランボは大きく分けて3種類。

黒いサクランボは、アメリカンチェリーと似ています。

中を割ってもダークチェリーそのもの。

色の明るいサクランボは、時々酸味があるものの、甘いのに当たると、

黒いサクランボに負けず劣らず、美味しい。

そして三つ目は、Sauerkirsch,酸っぱいサクランボです。

このサクランボは、サクランボケーキによく使われるもので、

コンポートや瓶詰めを使うことが多いかな。

食べると思いっきり酸っぱいです。 







最終更新日  2007年05月20日 23時32分52秒
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全30件 (30件中 1-10件目)

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