2006/09/27(水)09:54
意識の問題
飲酒運転:「直ちに免職は行き過ぎ」 兵庫県知事
飲酒運転が発覚=懲戒免職ってのが行き過ぎかどうかなんだけど。
飲酒運転は本人が酒を飲みさえしなければふせげる。
そして、飲酒運転は事故として発生しなくても潜在的に凶器をコントロールできない
状態でふりまわすってことで、通りで包丁をふりまわしているのと変わらない。
その通りが人ごみであればたくさんの人が傷つくけれど、夜中で誰も歩いていない
道であれば誰も傷つかない。
でも結果だけでなく、包丁をふりまわす人がいれば、警察に連絡して、すぐに
かけつけるだろう。飲酒運転は同じなんだ。
ところが、飲酒運転をしてしまう要因として、本人の自覚だけの問題にできないという
考えがこのようなことをいわせてるんとちゃうかな。田舎なんで、公共の交通機関が
ないので、外にでかけるのに車を使わないとしょうがない。外にでかけて酒を飲めない
なんてのは無理なんで、どうしてもでかけてしまうやろ、なんていうおためごかしを
言っているとしか思えへん。
本人の意思があればふせげるものではないので、それで本人に大きな責任を負わせる
のはどうかという考えなんでしょ。
でも、こういった考えがのさばっていること自体、飲酒運転が減っていかないことに
他ならないと思う。
でもね。こういったある意味社会正義のために自由を奪うってのは、生活指導が
厳しい学校みたいで嫌やなって気もあるんよ。もちろん飲酒運転はあかんけどね。
事故を起こす、起こさないも結局は自己責任として事故を起こしたらそれだけの
責任を負えばいいって考えもあるだろうけど。
そうはいっても、人の命がなくなって責任の負いようもないのだから、やっぱり
歯止めが必要なんだ。
それでも思うのは、結局金や権力をもっている立場、法律を決める立場の人は、
自分で運転をしないで出かけることは全然問題がないんだよね。