さえりんの部屋

2020/03/01(日)07:19

我が家のひな祭り

思い出(27)

​​​​​​​​​​​​​​​我が家のひな祭りは毎年3月3日近くの日曜日の夜、 家族でお祝いをしていました。 3月3日は父と母の結婚記念日でもあるので、娘たちのひな祭りと兼ねて 一緒にお祝いしていたんです。 父は毎年この日には母に綺麗な花束をプレゼントしていました。 父21歳、母20歳で一人娘だった母の家に父は婿養子に入ったのでした。 今までにはたくさんの苦労やケンカもあったと思いますが、 それでもいつもでも仲がいい両親は私たち夫婦の目標でした。 そしていつか娘たちが年頃になったら、さえりんには誰か婿養子に入って くれたらいいなあと、次女は好きな人を見つけてお嫁に行けたらいいなあと 私は密かに夢を描いていたのです。 娘たちが小さい頃は、母と私でちらし寿司やご馳走を作って蛤のお吸い物、 いがまんじゅう、雛ケーキを買って、雛人形が飾ってある仏間を眺めながら 娘たちの健やかな成長と、父母の結婚記念日も一緒に「おめでとう!!」と 楽しくお祝いをしたのです。 さえりんが大きくなってからは、お得意のイチゴのレアチーズケーキや おこしもの(米粉の餅)を作ってくれました。 それが娘たちが大きくなり、父と母も年を重ね母が病気になったこともあり いつの間にか私も雛人形を出さなくなり、ひな祭りのお祝いも簡単になり、 両親の結婚記念日のお祝いもしなくなっていました。 たださえりんだけは忘れずにケーキを作り続けてくれてたのでした。 それなのに今年は全く何も無くなってしまったことが本当に寂しい・・・ 娘たちが小さい頃はあんなに賑やかだった家族も今はバラバラです・・・ 父と母は自分のペースで生活されていてご飯の時間も食べるものも 私たちとは全く合わなくなって、買い物も別々、好きな時に好きなように したいのだと、お互いに納得しています。決して仲は悪くないですが、 どちらもあまり干渉しないように暮らしています。 気楽でいいのですが、寂しいなあと思う時もあります。 こんなとき、さえりんがいてくれたら、両親と私たちとの 橋渡しをしてくれたのになあって思うのです!! 次女はお祖父ちゃんっ子ですが、忙しくて殆ど家にいないので 橋渡しの役目にはなれません。 やっぱりさえりんの存在がいかに大きかったかと思い知らされるのです!! 昨日はほんのささやかですが、三色のお米がのったいがまんじゅうだけは買って さえりんのお仏壇に供えました。お雛人形だけでも出せて良かったです。 今年のママはこれが精一杯なんだ・・・ゴメンね(>_<) 来年にはさえりんが作ってくれたイチゴのレアチーズケーキが作れるように 頑張るから、許してね・・・さえりん (さえりん11歳から19歳までのひな祭り) ​​ご訪問いただきありがとうございます!! いつも温かいコメントありがとうございます よろしければ応援お願いします。 よろしければこちらも応援おねがいします。​​​​​​​​​​​​​​ ミヤちゃんさんへ いつまで私はこうやって生活するのだろうって時どき思う時がありますが きっと死ぬまでなんでしょうね。さえりんの部屋は永遠にさえりんのものです。 でもいつか私が住んでたりして(≧▽≦)何年か何十年経ったらさえりんと一体化 して毎日いつでも一緒に居られると実感できる日が来るといいなって思います。 シャルルさんへ お近くの妹さんのマンションでお母様が暮らしてみえるんですね。 妹さんは2年しか暮らせなかったんですね。でも妹さんの魂はやっぱり そのマンションで今はお母様と暮らしてみえるのではないでしょうか(*^▽^*) 一番大好きだった場所に居たいと思うから。さえりんも絶対にうちにいますよね。 宝ママさんへ 私も思いっきり変なおばさんです!!この前は大きなシナモンのぬいぐるみを 抱っこして梅を見に行っちゃうし、家でも車でもいつも独りごと言っちゃいます。 昨日も運転中に急にフラシュバックして「娘を轢かないで!!」って無意識に 叫んでいました。そしたら聞こえてないはずなのに通行人がこっちを振り返って いました(;'∀')それも仕方ないんです。変なおばさんで上等ですよ(´∀`*)ウフフ ​

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