さえりんの部屋

2021/10/17(日)09:59

祈りのような想い☆彡・母の存在

子供を亡くした親(346)

​​​​​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​​​​昨日は次女と一緒にさえりんの事故現場へ花を供えに行きました。​ ​水曜日に霊感のある女性から「若い女の子があの横断歩道の真ん中で浮いていて穏やかに見守っている」と聞いたとき、本当にすぐにでも現場へ行きたいと思いました。​でも帰るときには雨も降っていて真っ暗で、木曜日も金曜日も朝から一日中用事で出かけていて、しかも主人は仕事次女は大学の実習があり私一人ではいけないし、それで昨日の土曜日に次女についてきてもらい、ようやく行くことができたのです。​ ​​​午前11時近くのアピタの花屋さんに花を買いに行くと、レジの女の子が「坂田さん」と声をかけてくれて顔上げると​​​今年1月に亡くなった友人Iさんの娘さんでした。​​​​​うちの次女と同級生の大学3年生のお嬢さんです。不思議なことに昨夜私はIさんのことを思い出していました。それは綺麗なコスモス畑の風を感じた時、さえりんのことを想いながら、同時に駆け抜けるように颯爽と生きて、穏やかな風のように​​​亡くなった、Iさんのことも頭に浮かんだからです。 ​最近、霊感のある方とお出会いしたことも不思議なご縁をたくさん感じるのです。​​​​​​​​ ​​お花を買ってそのまま事故現場へと向かいました。 次女と一緒に枯れたお花を片付けて、新しいお花を供えました。そして、私は横断歩道の真ん中の少し上をよく何度も見てみましたが、さえりんの姿も気配も感じません。せめて写真にでも写ったらいいのにと思いスマホで写真を何枚も撮りました。次女に「何をしてるの??」と不思議がられたので、私は「お姉ちゃんが映ったら嬉しいと思って」と言うと「心霊写真じゃん」と苦笑いされました(^-^; ​私はたとえ心霊写真でも幽霊でもいい、さえりんの気配だけでも感じられたらと祈るような想いになりました。​​​ ​でも、​私には何も感じられず、何も見えません・・・(>_<) ​​ ​「紗愛理もしもここにいるなら、ママと一緒についておいでよ!こんなところの独りでいるのは寂しいよ。ママと一緒に帰ろうよ。今から西尾のおばあちゃん家に行くから一緒に行こうよ!」​​私は横断歩道の真ん中の少し上の位置に向かって声を出して言いました。信号が青に変わり次女に背中を押され促されながらその場を離れました。次女は恥ずかしかったのだと思います。横断歩道に向かって一人喋る母親のことを。 ​私は紗愛理の姿が見えないこと、気配が感じられないことが悲しかった・・・​​​​ ​​わかっているんです。さえりんはこんなところにはもういないってことも、霊感がある方はここにある紗愛理の想いを感じて見えたんだということも。わかっているけど​もしもここにいるのなら、ほんの一目でも会いたい、気配だけでも感じたい、私の声が届いて欲しいと思うのは親心です。​最後にもう一度でいいから、紗愛理に会いたかった(>_<)​​​​ ​​​​​​​​​切ない想いを抱えながら、次女の運転で国道23号線を走り実家へ向いました。車中で私がどうしてこんな行動に出たのか、水曜日に出会った霊感のある女性のことを話しました。次女は運転しながらそっと涙を流しました。私は次女に言いました。「お姉ちゃんは感じる人の心の中にいるんだよ。だから霊感がある方が見えたのもきっと真実だし、私たちがきっと家にいるって思っているのも真実だと思うよ。お姉ちゃんの姿形は無くなっても残っているのは『想い』なんだって。だからその想いを感じていたらお姉ちゃんは傍にいてくれるんだよ」と、​次女は黙って頷きました。 ​​​​ (昨日のさえりん事故現場)​​​​ ​​​(実家の神棚には母が紗愛理コーナーを作って祀っていた)​​​ ​​​​​​​​​​​​​​​ 西尾市の実家に着くと、同時くらいに弟の車に乗って買い物へ行っていた母が帰ってきました。連絡していませんでしたがちょうどタイミングが良かったです。 母は「○○ちゃんが運転してきたの(^-^)入っておいで」と出迎えてくれました。昨日実家へ行った理由は、この前私が「家を出ていかなければならないかもしれないからその時は空き家を貸して欲しい」と頼んだことを、とりあえず解決したら今は大丈夫だと伝えるためです。家で電話すると義両親に聞こえてしまうため直接実家へ伝えにきたのです。母は「まあこれからも大変だと思うけど、ここはいつでも空いているからね」と笑って言ってくれました。次女のリクエストでケンタッキーを買ってきたので母と私たちと3人で食べました。 ​母と私が話しているといつも次女がツボにはまって大笑いします。言葉の掛け合いやタイミングが面白いみたいです。​次女は「おばあちゃん最高(⌒▽⌒)アハハ!」とよく笑うのです。​​​​​​​​​​​​​母は「そう??」と言いながら突然話題が変わって「私は末っ子の次男を産んどいて本当に良かった(^-^)」と何度も言います。母は長男とは気が合わず、次男が買い物など毎週連れて行ってくれるようです。私も言いました。「私は次女を産んどいて本当に良かった(≧▽≦)もし紗愛理が一人っ子だったら・・・(>_<)」​と、​すると母は「本当に良かったね!!○○ちゃんがいてくれて、あの時はどうなるかと思ったけど」と​次女を見ながら微笑んでくれます。私は21年前次女を出産するとき、この母と亡くなった父が賛成してくれなかったら、主人と義両親の猛反対にあいながら、癌を患い2歳の紗愛理を抱えながら、家出してでも次女を産むという覚悟での選択は出来ませんでした。​本当に実家の両親の存在に感謝しています。​ しばらく母と話して帰ろうとしたら、母が仏間へ呼びました。仏壇の隣の神棚を開けてこう言うのです。「ここに神様と一緒にさえちゃんを祀って毎日お水をあげてお話してるんだよ(^-^)」と。そこには紗愛理の小さい頃と成人式の写真が飾ってありました。 私はつい最近まで母のことが少し苦手で素直に甘えたり頼ったりしませんでしたが、​母はいつも私が困っている時ピンチの時は「いざとなったらいつでも戻っておいで」と​笑って受け入れてくれるのです。​私は結局は帰らないのですが、それでもいつでも受け入れてくれる母がいる安心感だけで、また嫁ぎ先で頑張れるのです。​​​​​​​​​​​ 私は思いました。ついさっき事故現場でさえりんに「ママと一緒にお家へ帰っておいで」と祈るような想いで喋っていたのも、どんな状態になっても母が私を受け入れてくれていたからだったんだと思いました。いつの間にか私も、母のような存在になっているのかなと不思議な気持ちでした。そして、次女も母といるとこんなに笑うんだとちょっと不思議でした。あらためて、この母の器の大きさと安心感、存在感を感じてあったかい気持ちで、自宅へと帰りました。 ​​私はこの年になったから、さえりんを亡くし義両親とゴタゴタしているから、ようやく母の存在の大きさ、有難さに気付けたのかなと思いました。​​ (さえりん12歳の時 キッザニア甲子園へ初めていったよpart2) ​​​​​​​​​​​​​​​ ​​​​​ご訪問いただきありがとうございます!! いつも温かいコメントありがとうございます ​​さえママへのメールはこちらから ​​​​​​​​​​​​​​ ​​​にほんブログ村、応援おねがいします!! ​この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、 交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!! さえりんをクリックしてください!!    にほんブログ村 ​ ​​​人気ブログランキング よろしければこちらも応援おねがいします。 ​​​さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!​​​さえりん動画はこちら​​​さえりんの部屋別館​​​​​​​​ 会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗​​​​​​​​https://lit.link/aichinijiirokai​​​​​​​​ ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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