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慶文堂 ひま人日記

7-3-5 抗日義兵戦争の展開

5 抗日義兵戦争の展開

抗日義兵運動の開始
 清日戦争以後、韓半島の支配をめぐって鋭い対立を見せた日本とロシアはついに露日戦争を起こした。これと前後して日帝の侵略が本格化し大韓帝国は大きな試練を受けた。これに対していろいろな方面で民族的抵杭が起こった。日帝の侵略に対する最も積極的な民族的抵抗は義兵戦争であった。

 最初の抗日義兵は日本侵略者によって恣意的に行なわれた乙未事変と親日内閣によって強行された断髪令を契機に全国各地で起こった。そのなかで、柳麟錫、李昭応、許○(草冠に為)などの活動がめだっていた。

 いわゆる乙未義兵は衛正斥邪思想を持った儒生が主導し、一般農民と東学農民軍の残存勢力が加担した。彼らは全国各地で軍事活動を拡大し、忠州をはじめとする地方の主要都市を攻撃し、親日官吏と日本人を処断した。

 しかし、乙未義兵の闘争は、俄館播遷を契機に親日政権が倒れるとともに断髪令が撤回され、国王の解散勧告詔勅が出ることによって、大部分終息した。このとき、解散した農民の一部が活貧党を組織して反封建・反侵略運動をつづけて展開した。



義兵抗戦の拡大
 露日戦争を契機に、日帝は侵略を積極化するとともに一方的に乙巳条約の締結を発表した。これに対して社会の各界各層では日帝の侵略を球団し、条約の廃棄を主張する運動が至るところで激しく起こった。


 趙秉世、李相咼、安炳などは乙巳条約に署名した大臣の処罰を要求する上疏運動を始め、閔泳煥などは外交権喪失に鬱憤を我慢できず自決によって乙巳条約に強く抗議した。羅○(註;吉が二つ)、呉基鏑などは五賊暗殺団を組織して五賊の家に放火し、一進会を襲撃するなど売国奴を処断しようとした。また、張志淵のように激烈な抗日言論を展開し、日帝を糾弾し民族的抗戦を訴えた。

 乙巳条約を契機に国家の存立が危機に瀕すると、再び蜂起した義兵は条約の廃棄と親日内閣の打倒を掲げて激しい武装抗戦を展開した。まず、閔宗植は乙巳条約が発表された後に官職を捨てて義兵を起こし洪州城を占領し日本軍と対立した。そして崔益鉉は義兵をひきいて淳昌に入城し官軍と対峙したとき、同族同士殺し合うことはできないと戦いを中断して捕虜になったが、結局日本軍によって対馬島へ連行され殉死した。

 一方、平民出身の義兵将申乙石は義兵を集め寧海へ入城し、官軍の武器を奪取した後、平海、蔚珍などで活動したが、義兵の数は一時3000人を超えた。従来の義兵将はだいたい儒生だったが、このときからは平民出身の義兵将の活動がめだち、義兵運動の新しい様相をみせるようになった。



義兵戦争の展開
 高宗皇帝の強制退位と軍隊解散を契機に、義兵の救国運動はその規模と性格面で義兵戦争に発展していった(1907年)。このときの義兵を丁未義兵という。

 侍衛隊大隊長朴昇煥の自決を始発点にして、日本軍と市街戦を展開した解散軍人が義兵に合流することによって義兵の組織と火力が強化された。


 この時期の義兵組織と活動は全国各地に広がっただけでなく、豆満江を越えて間島と沿海州にまで及んだ。

 一方、全国の義兵部隊がソウル進攻のために連合戦線を形成したこともあった。李麟栄と許○(草冠に為)が指揮する1万余人の義兵連合部隊は京畿道楊州へ集結し、その先発隊がソウル近郊まで進撃したが、日本軍の反撃が強くて、それ以上前進できずに後退した。このとき、義兵はソウル駐在各国領事館に義兵を国際法上の交戦団体として承認してくれることを要求する書信を発送して、自ら独立軍であることを主張した。そして洪範圖と李範允が指揮する間島と沿海州一帯の義兵部隊が国内進攻作戦を計画し、義兵として活躍していた安重根は満州ハルピン駅で韓国侵略の元凶である伊藤博文を処断した(1909年)。


 このように活発に展開された義兵戦争は、その後日本軍の残忍な、いわゆる南韓大討伐作戦を契機に大きく萎縮した。しかし、多くの義兵は鴨緑江と豆満江を越えて間島と沿海州に移って独立軍になり、継続して日帝に強力な抗戦を展開し、一部の義兵は国内に残り山岳地帯で遊撃戦を展開した。



抗日義兵戦争の意義
 義兵戦争は全国を活動範囲にして、広範な社会階層を網羅したが、優勢な武器を保有した強力な日本の正規軍を制圧することはできなかった。そして最初は封建的支配秩序の維持に固執する両班儒生層の指導路線によって結束を強化できなかった。乙巳条約が強要された後では、外交権が失われ国際的に孤立したために国際的支援も期待できなかった。そうして義兵戦争は所期の成果を収めることができなかった。

 しかし、義兵戦争は執権層の腐敗と無能、そして外勢の侵略で国家と民族が危機におかれているときに起こった救国運動の代表的な形態であり、民族の強靱な抵抗精神を表出させたという点で重要な意義を持っている。さらに義兵戦争は国権回復のための武装闘争を主導し、日帝の植民地体制下では抗日武装独立闘争の基盤を作ったことによって、抗日民族運動史の大きな流れを作った。それだけでなく、義兵戦争は20世紀のはじめ、帝国主義列強の弱小国侵略が激しかった時期に、日帝の侵略に対抗して武装闘争を展開したという点で、世界弱小民族の独立運動史にも大きな意義を持つものである。


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