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慶文堂 ひま人日記

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2007年09月10日
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カテゴリ:考える葦
今年の5月から8月にかけて、我ながら驚くほどアチコチに行ってきました。

日本海・太平洋・白石のお城・仙台・多賀城・十分一峠を通って肘折・蔵王・福島県いわき市・秋保大滝・鬼首/鳴子方面・・・。


前々から車の運転が好きで、(機会があれば遠出したい!)と思ってはいましたが、なんだか休みのたびにどこかへ行っているような気がして。
で、先日も運転していてフト思ったんです。

(なんか躍起になってアチコチ見て歩いてるよなァ。こりゃひょっとして、もう長くないのかな?)

って(^_^;)ゝポリポリ
いや、別に『病気している』とか『自殺したい』とか、そういうのは全然ないんですよ。
モチロン、そんな予定もありません(笑) ただ何となくそんな風に思っただけで。




悩み多き20歳の頃。私の最大の悩みは『死』でした。

怖かった。死んだらどうなるんだろう?って。
それだったら、イロイロと調べて『死』というものを知ってやろう・・・そう考えました。


一時、密教系の某・新興宗教へ入会寸前まで行ったこともあります。
家族に散々反対されて、それじゃァ直接その根本経典を読んでやる!・・・と思い、古本屋で購入して読んだ『阿含経』。
その中に描かれている仏陀・釈尊の姿や教理と某宗教で主張している内容のあまりの違いに私の入信熱はあっさり冷めてしまい、それからはどんな新興宗教へも興味はなくなりました。



その代わり、色んな文献を読み漁りましたよ。

仏教・キリスト教・新興宗教。
精神世界の本、霊能力者と言われている人の本からオカルト的な本、エジプトの死者の書・チベットの死者の書まで。



その結果、自分なりに分かった事。それは、

『死後の世界はある』

と言うことでした。そして、

『人間は生まれ変わり=輪廻転生している』

と言う事。




平成19年=西暦2007年の現在、『輪廻転生』とか『死後の世界』などと言ってもそんなに笑われるようなことはないでしょう。
ところが私が興味を持った当時、かれこれ25年ほど前はまるで違いました。
そんな話しをすると、

「そんなのは迷信だ」

とか、

「バカバカしい」

などと言われたものです。変な目で見られましたよ。
まだまだ『科学万能』が信じられた時代でした。



でもその一方で、当の科学者、それも当時の最先端科学である『量子力学』の科学者や心理学者たち自身が疑問を持ち、まったく別な哲学体系を持つアジア、特に中国やインドに注目し始めました。
そして一気に『精神世界』というものが注目され始めたのです。
私がその世界に興味をもったのも、ちょうどその頃だったのでしょうね。
でもまだまだ一部の人間の興味の対象でしかありませんでした。



今は違います。
江原さんと美輪さんの『オーラの泉』のような番組が成立し、あまつさえ土曜日のゴールデンで放送されるようになったのですから。

日本も変わったものです。
変わったついでに、私もちょっと自分の考えなどを披露しようか、などと思った次第です。
かなり変わっていると思うので飛ばしていただいてもけっこうですし、読んでくださる場合でも適当に読んじゃってください(笑)
それに第一、これはあくまで私個人の考えですから。




私にとって、『生きる』という事と『死ぬ事』という事はそれほど大きな違いはありません。
昔から『生死一如』と言うんですが、私もそう思っています。

死と生は背中合わせ。扉のこちら側が生であり、扉の向こうが死です。
ただ『存在の形態が違う』というだけで。

肉体という衣をまとっているのがこの世界であり、向こうの世界に行く時にはその衣を脱いで行く事になります。
この『肉体という衣』を自動車に例えると分かりやすいかもしれません。


運転手である貴方は『魂』とか『実体』とか呼ばれる存在です。
そして運転手である貴方がこの世界に産まれてくる時に、自分の乗る自動車を選ぶのです。

「それじゃァ私は、ベンツの最高級車がいい!」
「私はフェラーリがいいな!」

ちょっと待ってください!ベンツの最高級車ですか?
その車を選んで乗ったとしても、貴方は維持出来るんですか?だいいち、ベンツの最高級車を買えますか?
ポルシェにしても同じです。運転技術の未熟な人間がいきなりフェラーリを運転したらどうなります?
暴走して事故を起こすのが関の山ですよ。

自分が乗る車を選ぶには、条件があるんですよ。その条件を『カルマ=業』と言います。
そしてその『条件』こそが、人間がこの世界に生まれてくる『原因』になるんです。


この世界はいわば『学校』です。
一人一人がクリアすべき課題・宿題を持って生まれてきます。そしてその課題・宿題を果たせるような条件の身体や環境を、自分自身が選んで生まれてくるのです。

時には黒人に、そして時には白人に、また黄色人種に。
お金持ちに生まれたこともあるでしょうし、貧乏な家に生まれた事もあるでしょう。
容姿端麗に生まれたこともあるでしょうし、またそうでない時もあったでしょう。
時には身体的に障害を持って生まれて来た事もあったでしょう。
そうやってそれぞれの立場になり、それぞれの立場を経験して成長していくのです。
そしてその立場を、そして学ぶべき事柄を理解した時に、その宿題は修了。
次の宿題を果たすべくまた新たな条件のもとで生まれ変わるのです。


こうやって、何度も何度も生まれ変わってくるのです。


そしてこの世に生を受けている間に今までの宿題を清算して行くのですが、新たな宿題を生じる場合もあります。
また一方では他者のため、地球環境の為になる良い事をして良い種を蒔く(ある意味、ご褒美)こともあります。



良い種を蒔く(ご褒美)か、それとも悪い種(新たな課題)を蒔くかはあくまでも本人次第。
そして、その蒔いた種を刈り取るのもけっきょくは本人なのです。


『人は蒔いた種は刈り取らねばならない』

これは聖書の言葉です。キリスト教ではこの言葉をどのように解釈しているのかは分かりませんが、私は輪廻転生という考えを持ってきて初めて理解できる言葉なのではないか?と思っています。




仏教では、良い種(ご褒美)を『善因』といい、悪い種(宿題)を『悪因』と言います。
『善因善果』・・・良い因(種)は良い結果を生む。
『悪因悪果』・・・悪い因(種)は悪い結果を生む。
ただ、例え『因』があっても『縁』が無ければ『果』は生じません。
つまりいくら種(因)を蒔いても畑(縁)がちゃんとしていなければ芽は出ませんし、果実(果)も生じません。先の二つが揃って初めて『果』が得られるのです。
そしてその『因』を果たす(果)べく色んな条件が整えられるのが『縁』です。


人は生まれながらにして身体的特徴や環境が違います。
(この場合、身体的特徴や環境というのは、『果』を果たすべく『因』から導き出され、整えられた『縁』であり、同時に『善果=ご褒美』の場合もあります)


その違いを以って『不公平だ』と思いがちです。でもそれは違うのです。
それこそ漫画『俺の空』の主人公・安田一平のように容姿端麗にしてスポーツ万能。その上財閥の息子として生まれた、というような人間も実際に居るかもしれません。
でもそういう良い環境なり身体的な特徴を持って生まれて来たと言うことは、もちろん『ご褒美』の場合もありますが、クリアすべき宿題を果たす為に必要な状況の場合もあります。


安田一平の場合は妾腹として生まれ育ち、その負の環境が彼の精神的な成長を手助けして思いやりのある人間として描かれていましたが、実際にそんな境遇に生まれたらどうなるでしょうか?


小さい頃から何不自由なく育ち、自分の言うことは何でも聞く大人が大勢いる。
容姿端麗、スポーツ万能。頭脳明晰・成績優秀。お金に不自由をした事もない。
・・・どうでしょう、うらやましいと思いますか?私はウラヤマシイとは思いません。



そんな恵まれた人間が、果たして他人を思いやる心など持てるでしょうか?
優しくなれるでしょうか?

私は無理だと思います。私なら自己中心的で傍若無人、はなはだ鼻持ちならない人間になるでしょうね。



人間というのは自分の経験や知識から物事を判断するしかありません。
けっきょく自分の尺度でしか判断出来ないんです。
それなら悩み、哀しみ、後悔し、そして喜び・・・色んな事を経験して自分の尺度を大きくするしかないんです。その上で初めて相手の立場や考えを想像し、理解して行く事が出来るのです。


それらの事を経験し、学ぶためにこの世界があり、そして生まれ変わって来るのです。
そして学ぶべきことを学び終えるともうこの世界からの卒業であり、次の新たな世界へステップアップする事になります。

仏教では、『この世界からの卒業』は『輪廻転生』からの卒業、つまり『輪廻の輪から外れる事』を意味し、その境地を『解脱』とか『悟った』、『涅槃に入った』などと言い、それを成し遂げた人を『悟った人』『正等覚者』『仏陀』などと呼びます。
そして『悪因』はモチロン『善因』も、『この世界に繋ぎとめる原因』として否定しています。



富める人、恵まれた人ほど気をつけなくてはなりません。
己の持てるモノ(財産や能力など)を、どのような使い方をするか?
自分の為、自分の欲求のためだけに使うのか?それとも他者の為、世の中のために使うのか?
どちらを選ぶかはその人次第であり、そしてどちらを選ぶかによってその人の人生、そしてその後の進む道が決定するのです。



私たちは恐らく何度も何度も死に、生まれ変わりしてこの世で学習し、経験してきたのです。
つまり『生』と言い『死』と言っても、あくまでその過程に過ぎないのです。

動かなくなった自動車を降りるように古い肉体を脱ぎ捨てて別の世界に入る、それが私が考えている『死』です。


私は幸か不幸かその方面の能力、つまり霊能力はありません。
したがって以上のようなことを『証明してみろ』と言われてもとても出来ません。
ただ一つ、確実に言えること。それは、

「死ねば分かる」

と言うことです(笑)


なお、最後にもう一つ。『自殺』は絶対にいけません!
学校でならば授業放棄して勝手に帰っても怒られる、もしくは処罰されておしまいですが、この世界からの放棄は絶対にやってはいけないことなのです。厳罰が待っているのです。

役者が舞台の途中で舞台を降りてしまったらトンデモナイ事になってしまうでしょう。
かなりのペナルティーが課せられることは間違いありませんよね。そしてなかなか舞台に上がれなくなります。誰がそんな役者を使いますか!それと同じです。

『人身受けがたし、今すでに受く』

その受け難い人身を受け、人間として生きているのです。その今の『生』を大事に生きなくてどうするんですか!『自殺』などしたらますます受け難くなってしまいます。絶対にいけません。


神様は貴方が背負いきれないような重荷は決して負わせるような事はしません。
貴方が解決できるような荷物しか背負わせませんよ。





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最終更新日  2007年09月10日 15時38分05秒
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