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2012年09月07日
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何故に般若心経?と思われるかもしれませんが、実は私は20歳ぐらいの頃から宗教のみならず霊界・ニューエイジをはじめオカルト的な世界にまで興味を持ってイロイロと情報を集めて来ました。

そんな私の基本(己の生き方の指針)になったのが仏教。それも原始仏教と呼ばれる、古い形の仏教でした。

仏教については自分なりに理解しているつもりではありますが、でもまだ分からないところがあります。

その一つが、この般若心経。これだけ有名で一般的で、沢山の方に読まれているお経というのは他に無いと思いますが、ではその意味は?となるとほとんどの人が“そんな事は考えたことも無い”と答えるのではないでしょうか。

でも般若心経というのはまぎれもなく“漢文”であり、ちゃんと意味があるハズなんです。私自身、前々から翻訳して読んでみたいと思っていたのですが、なにぶん難しそうで手が出なかったのです。

それなら本なりサイトなりで誰かが解説した文章を読めばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、それだとちょっと問題があるのです。

外国語(古文でも同じ)を翻訳する場合、“翻訳”という作業の途中でどうしても翻訳者の考え・解釈というものが入ってきます。それが正しければ良いのですが、もし正しくなかった場合、読者はそのまま正しくない解釈を受け入れることになり、そしてそれが正しくないという事にも気がつかないという事になります。

それを避けたいと思うのならば、信用のおける翻訳者を選ぶか自分で原典に挑むしかありません。

仏教経典の原典で使用されている言語といえばパーリ語なんでしょうが、でもパーリ語の原典にお目にかかる機会など無いし、もしあっても文字すらも読めないのですから話になりません。

したがって私が参考にするのは“漢訳”の般若心経という事になります。ただし、若い頃に購入した般若心経関係の本が一冊だけある(新解釈“空”の宇宙論・糸川英夫著/青春出版社)のですが、こちらは英語訳を参考にしているので、部分的にそちらも参考にしていくことになると思います。



さていよいよ般若心経を読んでいきたいと思います。なお正式に仏教学を学んだわけではなく、あくまでも素人の私が考えた事なのでご了承下さい。

(全文)
  *仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経
仏説摩訶般若波羅蜜多心経(了)



*以下、各文章ごとに読んでいきたいと思います(なお語句の説明は『佛教語大辞典・中村元著/東京書籍刊』によりました)


(A-01)観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。

(B-01)
観自在菩薩は観世音菩薩、いわゆる観音様のこと。つまり、『観音様が、深い“般若波羅蜜多”を行(ぎょう)じた時』。

“行”とは“行った”、“行じた時”とは“行った時”となります。では何を“行った時”なか。それが“深”と“時”の間にある“般若波羅蜜多”です。それも“深”という文字が入るので、⇒深い般若波羅蜜多を行った時・・・となります。


ここで問題になるのは“般若波羅蜜多”とはいったい何なのか?という事。


佛教語大辞典には、

*般若波羅蜜多=完全な智恵。最高の智恵の完成。人間が真実の生命に目覚めた時に現れる根源的な叡智。

とあります。なんだか分かったようなワカラナイような感じですが、でもこのままでは意味が通りませんのでこの説明を元に私なりに解釈してみたいと思います。



観音様が行なったというのですが、ではいったい何を行ったのか?


“深く”という言葉から私が連想したのは“禅定”でした。現代的に言いかえると“瞑想”になりますか。仏陀釈尊が悟りを開かれたのも菩提樹の下での禅定でしたので、この場合も禅定・瞑想状態に入って心の奥深くに進み、ついに人間の心の最奥・魂そのものに到達した時に得られる完全な智恵・最高の智恵であり根源的な叡智、そういった物を獲得したのではないか、と思います。


そしてその結果が『照見五蘊皆空、度一切苦厄』=“五蘊は皆空なり”と“照らして見”て、一切の苦厄を“度”した、と。


“五蘊”とは、この後に出てくる色・受・想・行・識の五つであり、“物質と精神とを五つに分類したもの”(佛教語大辞典)のこと、人間を含むこの世界の全てです。


つまり、観音様が深い禅定に入って完全な智恵・根源的な叡智を獲得なさった上でこの世界(五蘊)を見ると全てが“空”であると悟られて、一切の苦難や災厄を超越された、という意味になりますか。


さてここで問題になるのは“空”という言葉の意味です。

“空(くう)”=もろもろの事物は因縁によって生じたものであって、固定的実体がないということ。縁起しているということ。単なる「無」(非存在)ではない。全ての現象は固定的実体がないという意味で、空(欠如している、存在しない)である(佛教語大辞典)

さてさてこれも、分かったようなワカラナイような。

この世界は“無=非存在”ではないが、でも固定的実体は無い。それは“事物の因縁によって生じたもの”であり、そしてそれが次々と切れ目無く“縁起している”から“ある”のであって、固定的実体は無い。つまり“空=欠如している・存在しない”のである、という事か?・・・ムズカシイ。


ここで“因縁”という言葉が出てきましたが、これは原始仏教で教えの根幹を成す“十二因縁”の“因縁”ですね。


十二因縁=無明・行・識・・名色・六処(ろくしょ)・触・(そく)・受(じゅ)・愛・・取(しゅ)・有(う)・生(しょう)・老死(ろうし)


何故人は老い、死に行くのか?(老死)、それは生(生まれて来るから)があるからだ。ではなぜ生があるのか?それは有(存在)があるからだ・・・と、そのよって来る所を考えていくと、その根本には無明があるからである。つまり無明を無くせば行が無くなり、行を無くせば識が無くなり・・・、生を無くせば老死も無くなる、というのが(非常に簡単に言うと)十二因縁です(なお十二因縁の説明はここではしません。まだ自分で理解・納得していない部分があるので)。


つまり物事(結果=果)には必ず原因(因)があり、原因を引き起こすきっかけ(縁)がある、という事を示しているわけです。

それが因果、もしくは因縁果などと呼ばれる考えです。この考えをこの世界に当てはめると・・・、


人間を含めたこの世界が“結果”として“ある”のは、その結果を形作る原因(因)があるからであり、さらにその原因(因)を誘発するきっかけ(縁)があるから、この世界が“ある”のである。

この場合、そもそもの原因(因)、もしくはきっかけ(縁)が無かったらこの世界(結果=果)は無い!という事であり、この世界はそのぐらい不確かな存在でしかないのだ、という
事も言えるのです。分かりますでしょうか?


実はもっと簡単に、分かりやすく説明できるのです。


それは、夢の世界。

『インセプション』というハリウッド映画があります。レオナルド・ディカプリオや渡辺謙が出演している映画なんですが、その舞台となるのがターゲットの夢の中なんですね。


夢の中では、人でも車でも建物でも食べ物でも、なんでも普通に“ある”。実際に触れるし食べられるし話も出来る。でもターゲット、もしくは夢の中に入り込んでいる本人が目覚めたら一瞬にして無くなってしまう・・・そんな世界でした。


夢の中では実際に存在しているのに、実は固定的実体はない・・・これは般若心経で説く“空”の世界そのものではないか、と思ったりしました。


ただ、夢とは違うのですがこのモチーフ自体は日本の漫画で数十年も前からありました。私が覚えている限りでは、永井豪さんの“凄ノ王”の中に出てきます。


強力な超能力者である主人公“凄ノ王”の精神が作り上げた世界。その特殊な世界に普通の人々が入り込んで生きている・・・うろ覚えですがそんな感じだったと思います。


つまりこの世界も何らかの原因=因があり、それを誘発するきっかけ=縁があって、どこかに存在しているのだ、と。

ではその“どこか”とはいったいどこであり、またその“因”や“縁”は何か、というとそれは分からない。


もしかしたら・・・その“どこか”とは創造主または造物主と呼ばれる存在の心(心というか、創造主自体が意識エネルギーそのものの存在なのかもしれません)の中であり、創造主の意識が“因”となってこの世界を作り上げているのかもしれません。


いったい何のために?


自分自身が“知る”ために。そのために経験し、体験するためにこの世界を作り上げたのだとしたら、どうでしょうか。


でもどうやって?


“ヒト”として色んな経験・体験をするために。そのためにこの世界を作り、また生き物を作り、そして万物の霊長である“ヒト”、つまり人間を作り上げたのだ、と。


では人間とはいったい何なのだ?


これは私の中ではハッキリしています。人は創造主の分身(言葉の意味が難しいのですが)のようなものです。佛教では“人皆仏性あり”といい、神道では“人間とは神の御霊(みたま)を分け与えられた存在(わけみたま)である”といい、またキリスト教でもイエス・キリストを信じる者は「神の子ら」と呼ばれている・・・そうです。

つまり人間の根幹というか本性は造物主=神そのものであり、それが“魂”と呼ばれる部分だと思います。

さらに言うと、観音様が深い禅定に入って到達したのは“魂”の世界であり、それは“神”の世界そのものなのだと思います。だからこそ、それは“完全な智恵”であり“最高の智恵”、“人間が真実の生命に目覚めた時に現れる根源的な叡智”なのです。


ではいったい、造物主たる神は何を知るためにこのような事をするのでしょうか?


それは恐らく自分自身というものを知るために。でも、待てよ。創造主は全知全能ではないのか?なんでも知ってるのだろう?・・・ここまで来ると私の思考は停止してしまいます。

そして昔、若い頃に読んだあるヨガ行者の本に書かれていた文章を思い出すのです。曰く、

“神は戯れでこの世界を作られた”

と。戯れ?遊びですか?という事は、もしかしたらこの世界は我々人間が想像もつかないほど壮大なスケールの“RPG”なのか??などとついつい不謹慎な事を考えてしまうのであります。



閑話休題


つまり観音様は、人間の存在も含めたこの世の全ての物は因縁によって生じたものであって、固定的実体がなく、実は存在しない(=空)、夢の中の世界のようなものであるという事を覚られて、一切の苦難や災厄を乗り越えられた・・・という意味に、私は解釈します。


そしてここまでの文章が般若心経の結論であり、もっとも大事な部分でもあります。


あとは後ほど、というか、いつかそのうち・・・。






最終更新日  2012年09月07日 12時51分38秒
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