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2012年07月26日
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第2回(最終回) プラトン著『パルメニデス』を
               読んでみませんか

もしもプラトン(BC427-347)この著作がなかったとしたら、パルメニデスという人は今に伝わっていたでしょうか。おかげで2000年余の時を超えて、古代ギリシャのこの哲人が今日に伝えられています。

当方にとってきっかけとなったのは、ヘーゲルが『精神現象学』の「序論」で、「この著作は、古代弁証法の最大の芸術作品」などと評価していたことによるものですが。
しかし、なかなか接点は限られています。これは、近くの図書館にあった「プラトン全集4」(岩波書店 田中美知太郎訳 1975年刊)によるものです。

前回は、第一節から三節までをあたりました。
ソクラテス(BC469-399)とパルメニデスの弟子・ゼノンとの対話でした。
若きソクラテスと40歳くらいのゼノンとの対話でした。
私などが注目したのは、第三節でした。
若いソクラテスがこの対話の中で、すでに弁証法の考え方について、確かな関心をもっていたことをプラトンが紹介していることでした。

この対話の場面は、著者プラトンが生まれる20年くらい前のことです。したがって、素材はあったとしても、基本的にこの著作はプラトンの創作とみなければならないと思います。プラトンはこの著作により、パルメニデスという人の敬意ある存在が、その対話と取りまく様子によって、生き生きと再現されているように思います。

今回の第2回は、第四節から八節です。
ここで主人公のパルメニデスが、いよいよ対話者として登場してきます。
それは、若いソクラテスと、65歳くらいの高齢者のパルメニデスとの対話です。

ここでの主題は、イデア(理念)があるとした場合、それがもっている難題について提示しています。さらに、その困難を打開する可能性を示唆しています。
パルメニデスの本格的な対話は、アリストテレスとの間で、次の第九節から二七節で展開されます。
それに対し、このソクラテスとの対話は、その序論の位置をなしていると思います。
そして、この著作の紹介も、この序論までとしなければなりません。
本論にたいする吟味は、それぞれの努力にゆだねさせていただきます。

この序論的な対話でパルメニデスが主張しようとしている点ですが、
(あくまで私なりの理解ですが)全体としては対話を通して真理を探っています。それこそが弁証法と思います。
その仕方として指摘しているのは、肯定的に理解するとともに、否定的な面も検討しなければならない、ということ。
それが「充分な資格をもって真なるものをすっかり見ようとする」(第八節 P136C)力をやしなう方法だと指摘していると見ました。

さて、本題です。
第四節、パルメニデスは、冒頭でソクラテスの形相(イデア)論について確認します。
「君の言う区別とは、つまり、一方では形相がそれ自体で別に存在し、他方では、これを分有するものがまた別にある、と君はそう考えているんだね」(P130B)、と。

その上で、パルメニデスは形相があらゆるものにそれ自体であるのか?と問いかけ、「人間にも形相はあるのか。泥や汚物など、つまらないものについても形相があるのか?」と。
これに対しソクラテスは「いいえ、これらの見ている物については、そのままあるにしても、それらの形相が存在するとはおかしい」。「もっとも、やはりすべてのものに同じことが当てはまるとも思う」と。両方とも正しいようで私の心を悩ませた、と語っています。
パルメニデスは、「それは君の若さで、知愛の精神がまだ浅いからだ」と指摘しています。

第五節、次にパルメニデスは、形相を「分取するその仕方」について問います。
その対話の過程については省略しますが。
ここでもソクラテスは、「ゼウスに誓って、この種のことがらについて直ぐ満足のいく規定をだすことはとてもできないと思う」(P131E)とお手上げ状況で、降参します。

第六節、さらにパルメニデスの問いかけに、ソクラテスは苦し紛れの表明をします。
ソクラテスは、形相は一つということで、「それらの形相のそれぞれは観念なのかもしれない」との解釈を出します。
それに対しパルメニデスは「観念には対応するものが存在しているのではないか」と応じて、さらに対話が交わされていきます。

そうした対話の結果としてパルメニデスは、「形相としてあるのは、観念そのものではなくて、観念に対応している当のものがそうなのであり、それが単一性をもち、いつも同じものとしてすべてのものの上にあるということになるのではないか」(P132C)と。
それに対してソクラテスは「そうなければならないことが、あらためて明らかにされたようです」と答えています。

(それが弁証法というものでしょうか。ここには、対話を通してさまざまな発見が、ダイナミックに展開されています。それが注目されます。新たな真理を見つけ出していく様子が、そこに具体的に示されています)

パルメニデスはもう一つ提起します。
「君の言うように、形相を他のものが分有するとしたら、それぞれのものは観念から成ることになり、万物が観念行為をすることになるのでは?それとも、万物は観念だけど、観念行為をしないというのか?」
それに対しソクラテスは、「それも理屈に合わない」と苦しくなっています。

そして「これらの形相はお手本のようなものとして、自然のうちに不動のあり方をしているのであって、それ以外のものはこれに似たあり方をするもの、複写物としてあるものだ」、そして「形相に対する他の事物の分有関係は、他の事物が形相に似たあり方をさせられるということではないか」(P132D)と、さらに対話が続きます。

パルメニデスは、こうした対話の全体から結論を導き出します。
「種目(形相)をそれ自体がそれ自体で(独立に)存在するとして、それをもし誰かが規定するなら、どれほどの難問がそこから生ずるか」(P133A)ということが分かるのではないか、と。
これに対しソクラテスは、「よくわかります」と答えています。

さらにパルメニデスは、「最大」の難問として、形相がそうした性質のものだとして、それは知ることが出来ない(不可知なもの)との主張が当然に出てくることを指摘します。
形相を不可知のものとする人は、われわれの説得に容易に納得しないだろう、と。(P133B)
1、それは、君にせよ誰にせよ、それぞれの事物には自体が自体において本質があるみなしているものは、第一にそうしたあり方はわれわれの間には存在しないと見なしているのではないか。
2、すると、形相の本質的なあり方が相互関係をなしているものは、その相互関係は形相の形相に対する関係としてあるのであって、われわれのところにある類似物に対してそうあるわけではない、と。
3、そうした例として、主人と召使のとの関係について。
ア、そうした関係は、主人や召使が自然に本来のものとしてあるのではなく、
イ、人間の人間に対する関係として、そうした関係としてあるが、
ウ、そうした主人と召使の関係は、われわれとの関係ではないから、そうした関係が持つ力はわれわれとは関係をもたないと。(P133E)
(ヘーゲルの『精神現象学』B「自己意識」の「主と僕」は、こんなところに素材があったということでしょうか。)

第七節、ここでパルメニデスは「最大の難問として不可知論」について述べてます。
パルメニデスはいいます「知識をそれ自体として分有していない以上、形相は何一つ知ることが出来ていない。美そのものも善も、あるところのものが不可知だということになる。そして、およそわれわれがイデアとして、それ自体存在をすると想定しているもののすべてが不可知なのだ」と。

さらにパルメニデスは、神と人間との関係についても、別々の関係になる、と。

パルメニデスは、結論的に「もしも存在するものにイデアがあるとすると、このような多くの難問が出てくる。その結果、聞く者は誰しも困惑し、イデアなんてものは存在しない、万一存在しても人間には不可知なものだとの異論をたてるだろう」との認識を述べています。

しかし同時に、パルメニデスは、見通しをのべています。
「そうした異論を翻意させる説得はむずかしい。そのような説得は、すぐれた人を待たなければならない。もしもそれぞれの事物には何か類となるものがあり、本来的なあり方となるものがそれ自体で独立に存在するのだということを学び知ることのできる人があるならば、その人こそ待たれる人なのだ。もし自分で発見するだけでなく、他人にもこれらすべてを充分に区分した上で教えることのできる人があるならば、なおさらまた驚異すべき人物なのであり、述べてきた諸困難の処理にはこのような人を必要としている」、と。(P135B)

これは、科学というものがまだ幼年期にある古代ギリシャの中にあって、その後の未来に対する確固とした素晴らしい見通しと確信を述べたものといってよいのではないでしょうか。パルメニデスのたぐいまれな見識ある言葉といってよいと思います。

パルメニデスは、「また逆に、それ自体ある本質ということのを知ることの困難さから、形相の存在を許さないとしたり、それぞれ一つのものについて何か形相をきめようとしないと、自分の考えをどっちにむけたらいいのかさえ分からなくなる。イデアが存在のそれぞれについて恒常的に同一性をたもって存在していることを認めないとしていると」、もっとさらに一層の混乱をきたすだろう、と。

それでは『問答による討議のいとなみにも効力をまったく失わせることになるだろう』と。(P135C)

ソクラテスは「ほんとうのところは、おっしゃる通りなのです」と答えています。

第八節、パルメニデスは、結論として、ソクラテスに対して練習が必要だとアドバイスしています。
パルメニデスはソクラテスに対して問います。「知識の探求にとって、君のなすべきことは何か?」と。
ソクラテス「さっぱり見当がつかない」
パルメニデス「それは、もっと練習をつむことだ」と。
ソクラテス「その練習は、どのようなやり方をするのか?」

これに対して、パルメニデスが答えます。(P135E)
「それは君がゼノンとやったこと(問答〔対話〕によって討議すこと)だ。」

さらに「それに加えて、それぞれの事物について、〈もし・・・であるならば〉との前提を建てて、そこからの帰結を考察するだけでは足りない。さらに〈もし・・・あらぬならば〉を同じものについて前提し、考察してみなければならない。

この後に、冒頭に紹介した言葉がでてきます、
「もし充分な資格をもって、真なるものをしっかり見ようとするなら」と。

以上が、全体の序論に当たるとされる第八節までです。

「それを、もっと具体的に述べてほしい」との参加者の要望に対し、パルメニデスが、それに答えたのが、第九節から二七節で展開した本論という関係になっています。

初めにギブアップしたように、
その本論を読み解くのは、それぞれの努力にぞくするということで、
これにて、当方のお役は、一つの区切り、終了とさせていただきます。

お付き合いいただいた方に敬意を表して、終了とさせていただきます。







Last updated  2012年07月27日 19時03分43秒
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