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みかんの木を育てる-四季の変化

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2013年02月26日
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 『落日の宴-勘定奉行 川路聖謨』
    (吉村昭著 講談社 1999年刊)を読みました

川路聖謨という人は、名前はどこかで聞いた覚えはあるんですが、この本で初めてその人となりを知りました。「聖謨」は、「としあきら」と読むんですね、むずかしい。
著者の吉村昭(よしむら あきら 1927年-2006年)氏は、以前に紹介した丹那トンネルの開通への苦闘を描いた『闇を裂く道』(1987年)の著者でもありました。
両方とも、たまたま伊豆が舞台となっていること、また、ともに大地震が出てくること、さらに歴史の事実を大事にしようとしている作風を感じさせられました。

この『落日の宴』ですが、一般の書店では品切れだったのですが、Amazon.co.jpで入手することが出来ました。

写真: 004

この本は、幕末の1853年ころのこと、長崎と伊豆でのロシア使節との条約交渉において、幕府側の交渉係をつとめた川路聖謨が主人公です。

本の書き出しは、ロシヤ使節のプチャーチンが長崎にやってきたため、それと交渉するために幕府は、交渉掛(係)として川路などを長崎に派遣します。小説は、この長崎へ向かおうとする急ぎ旅の様子からはじまっています。
江戸から長崎まで、幕末当時の幕府高官の旅は、籠を基本とする旅なんですね。おそらく川路日記から行程を調べたのでしょうが、すごい急ぎ旅の様子が紹介されてます。

この最初の交渉の後に、再びプチャーチンが日本にやってくる。今度は伊豆の下田で条約交渉に入ります。
川路たち交渉掛は、こんどは伊豆・下田へ、やはり急ぎ旅をすることとなりました。
そして始まった下田での条約交渉ですが、国境問題、通商問題、大使館設置などが話し合われたようですが、その最中に大災害にみまわれます。その第二回目の交渉に入ろうとした時に、安政の大地震が起きたんですね。
今問題になっている東南海地震です。それがどのようなものか、ある程度イメージできます。

前回の『闇を裂く道』は、「丹那トンネルと1930年の伊豆地震」でしたが、
ここでは「日露条約交渉と安政大地震(東南海地震)」です。
震災がどの様なものであったか、その状況を知る上でも参考になります。

安政地震と津波によってプチャーチンの乗ってきた「ディアナ号」は沈没してしまう。
乗員の500人余が海岸に投げ出されてしまった。幕府はロシア使節500余人の難民をかかえることとなります。この事態に、プチャーチンの要請をうけて、伊豆の戸田港で代わりの船を建造することになりました。またそうした中で条約交渉も継続して、日露和親条約が締結されるところとなったわけです。
この作品は、川路聖謨の晩年までを対象にしていますが、やはりこの「日露交渉と安政地震」あたりが山場になっています。

著者・吉村昭の作品は、たまたまの二作しか読んでませんが、その二作とも歴史的な史実にしっかりと材料をもとめているようで、その時代状況を感じさせてくれて、読み応えがありました。

じつは当方は、今年の9月に「伊豆の旅」を企画していて、その案内役になっているため、いろいろ伊豆の歴史舞台の見どころを手探りしているところなんですね。
この吉村昭氏の作品二つは、伊豆の旅を準備する上で参考になりました。

伊豆といえば、なんといっても第一には源頼朝や北条政子など、鎌倉時代の舞台になっています。さらに第二に、今回で、伊豆・下田が、幕末の外交交渉の場であり、安政大地震の記録の場でもあったことがわかりました。さらに第三に、以前の『闇を裂く道』によって、丹那断層と1930年の伊豆地震などを知りましたが、地震と火山が、温泉が集中しているところでもありました。
これで伊豆は、三つの歴史を知ることのできる土地柄だということがわかりました。

これまでの、日露和親条約と安政地震については、戸田の造船郷土資料博物館に展示されていた資料により、それはディアナ号の遭難関連の資料が中心だったのですが。
今回、この『落日の宴』によって、日本側の、幕府側の交渉掛がどうなっていたかが明らかにされました。
それと、韮山代官所の江川太郎左衛門とのかかわりなど、当時の幕府の状況も立体的に見えてくるように感じています。

(もう一つ、『日本渡航記』(岩波文庫)があります。これはプチャーチンの副官・ゴンチャロフが書いたもので、ロシア側からみた日本と幕府の様子についてですが、これもこの際ですから、目を通しておくつもりです。)






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Last updated  2013年02月26日 20時01分22秒
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